極東最前線

Thursday, October 13, 2005

フレキシブル社会

今日は割と爽快です。

人間て何かしらの目標ができると目が覚めますね。
その目標が自分にとってプラスになるかマイナスになるか。
全くの未知数である目標だとしても、
なんだか胸が高揚しますね。
ハイです。ナチュラルハイ。

そんな一日だったわけです。

何故、社会はずっとリピートしてるんでしょうか。
明確な目標を失ってしまっているのではないでしょうか。

「社会のラインには乗りたくない」
でも
「社会はラインに乗っていないと迷走し続ける」

社会って、世界ってとても不器用なんですね。
私達以上に。
そしてとてもデリケート。純粋。
敷かれたレールには何ら疑いもなく、ひたすら驀進し
先導者が変われば、またそのベクトルに驀進する。

私達の大勢(多数派)が決めるラインは
時に過酷で、時に非情です。
少数派の人間はひたすら耐え、のちに社会を恨みだします。
社会とは大きな人間の流れ。
流動し続ける変動的な風潮は、
曖昧な固定観念を植え付け、その結果として
順応できない人間は、疎外され、新たな少数派を作り出していきます。

社会って恨む対象にはならないのかもしれませんね。
雲を掴むようなもんですからね。

でも私が学生時分には、事あるごとに
「社会が悪い」だの
「政治が悪い」だの
やたら吠えてたなぁ…
ただ吠えてたって何も変わりゃしないって。実行しなきゃ。

社会に不満を抱いて吠えてたんじゃないのでしょうね。
ただ、「吠える」っていうスタイルが好きだったんでしょうね。

今はどうなんでしょう。

社会を恨む?
私達を導く先導者を恨む?

恨みが募って垢となり、洗い流されてリセット。
そして新しい皮膚の上には、また新たな垢が溜まっていく。

何故かリピートしていきますね。社会って。

不満はエネルギーになるときもありますが、栄養にはなりませんからね。
何かを恨んで生きるのってしんどいですからね。
自分の中で恨む気持ちが発生したら、
よく自分の周りをよく見渡してみましょ。観察しましょ。
何か違った感情が産まれるかも。

フレキシブルな人間が織り成す、
フレキシブルな社会を私は提案します。


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