極東最前線

Monday, October 17, 2005

生活にも『反核』

みなさんこんばんは。
極東最前線の徒労民こと加藤です。

みなさんは日常生活の中で、
『他人に好かれたい』とか
『みんなを楽しませたい』などと思うことはありますか?

私は後者(みんなを楽しませたい)はよく思うことなのですが、
前者(他人に好かれたい)と感じたことはあまりありません。

しかしこの二つの事象を考察すると、かなりニアなところに存在しているように思います。
人を楽しませることは、人に好かれること。
私の中では陰と陽である二つの事柄。

「何でそんなに好かれようとするの?」と人は問います。
違う。別に好かれようと思ってジョークを連発する訳じゃない。
ただ人をたのしませたいのだ。と、私は答えます。
しかし、相手は腑に落ちない表情。疑惑。

矛盾て自分の知らないうちに自分の中に生成されていくものなのですね。
自分の中では、絶対だと思っていたことが
相手にとって絶対とは限りません。
自意識の崩壊は、今もすぐ隣に居るものなのですね。

しかし本当に人に好かれたいわけではないのですが、
その事を一生懸命相手に伝えたところで、特別前進するわけでもないので
早々に諦めてしまいます。
と言うより呆れてしまいます。
「なんて多数派の人間なんだろう」
「システムの一部になっている君の思考が、また私を傷つけているんだよ」と。

そうやって自意識を押し売りされると、人間が嫌いになってしまいそうで怖くなります。
自分の事だけに、ムキになってしまうんでしょうね。
ムキになって、逃げる。
目の前の敵(強要)から逃げる。

それじゃ何も変わらないですよね。
相手の意見は、それとして受け止めておかないとね。

他人にバカにされようが、コケにされようが、クソミソに罵倒されようが
受け止める勇気が必要ですね。私には。
イライラを胸に抱いたまま、生活するのは私にとっては苦痛以外の何物でもありません。
イライラは様々な弊害を生み出します。

世間では、殺人などを犯す人間が
「イライラしてたからやった。」
などと言うことがあります。
それも自意識の強要なのですね。
外部からの自意識の強要に耐えきれず、自分がまた自意識を外部に強要する。
それを受け取った人間がまた外部に自意識を強要したらどうなるでしょうか。
これほどの悪循環が罷り通っていてよいのでしょうか?
自分でストップすることがどれほど社会貢献かをもう一度考えてほしいのです。

受け止めて消化する。

フラストレーションを+のエネルギーとして消化できる機関を自分の中に建設しましょうよ。
そう私に言いたい。

イライラとか、できればそんなんはナシで生活したいのです。
強く望みます。政府に。そして自分に。

でも私は、ほんとうに人に好かれなくてもいいのよ。
と表面上は思っていても、本能レベルでは違うのかもしれませんね。
もうちょっとこの議題については考える時間が必要です。
なんだか結論がでませんわ…



睡眠不足気味で掴み所のない話になってしまいました。
また元気なときに脳味噌フル稼働で書きます。


目の前の驚異から目を逸らすな。
生活にも『反核を』!



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