極東最前線

Friday, March 17, 2006

南柯の夢

万物全ての“もの”や“現象”には、どんなものにも『状態』というものがございます。
生きる、若しくは存在し続ける為に、その様々な状態を転々とし、
今現在の状態と社会の状態の中で感情を構成し、又新たなる状態を得るのであります。
人間で言うなれば、どのような人間であっても必ず『状態』を保有しております。
愉しい『状態』、悲しい『状態』、苦しい『状態』、生きている『状態』、死んでいる『状態』。
様々な状態を、幾つか保有しながら生活をしているのです。

『状態』とは其の人間が持つ、様々な感情が表面に滲み出ることで、
対する相手が何かしらの感情を受け取る、又は移入することにより、
対する相手にも新たな感情を植え付け、その感情から自分以外の人間の姿や内面を
決定づけるものであるように思います。
胃や腸の状態が悪ければ、苦々しい表情を其の人は表面化させることでしょう。
情緒が不安定な状態であれば、鬱屈した苦悶の表情を浮かべることでしょう。
苛立ちが蓄積された状態を保てば、体中に発疹が現れ、その苦しみから解放されることもなく、
ゆくゆくは危篤状態などに陥ってしまうことでしょう。
『状態』とは、精神の奥深いところの見えない部分ですらも、
信号として発信することで、我々に警告を促す役割を担っていたりもします。

人間以外にも勿論あります。
例えば空や大地、行動や発言にも『状態』と云うものはあります。
目に見えて感じる状態と、頭の中や肌で感じる状態があると云うことなのです。
「フランスの若者達が起こした暴動を、どういう状態で起きた暴動だと感じますか?」
の様な事ですね。
このときの『状態』とは、フランスの暴動自体の表現であると共に、
フランス国家の経済状況や制度、警官の在り方、移民問題、情報インフラとなるインターネットや携帯電話の事など、
暴動が発生し、それに係わった全てのものの状態を指しているように思います。
個として確立していないものの状態とは、曖昧であるケースが多いようにも思えます。
「個の絶対、集団の脆弱」と云った感じでしょうか。
個は主観的な状態を持っているので、比較的容易に知りうることが出来るが、
集団の状態は、個の集合体であるが故に、その本質を知るのは難解なのであります。
そして、干渉し合う状態というのは脆く、かつ情報が歪みやすいという点もしっかりと認識しておかなければ、
情報操作によって混乱を招いたり、集団に埋もれてしまったりと、弊害を引き起こす危険性も秘めているのです。

集団の中に貴方がいるのであれば、
「個の集団」になれるように心がけ、決して「集団の中の個」にはならないことです。
貴方のアイデンティティーを以て集団を形成しているならば、
貴方の状態が闇に葬られるようなことは決してありません。
必ず貴方の状態が浮き彫りになる、加えてその他の皆の状態も見ることが出来る。
そして集団であるが故の利点も有意義に使うことが出来るでしょう。
後者であるならば、貴方の状態は何があっても浮き彫りにはなりません。
貴方の状態、其れ即ち集団の状態なのです。
貴方の意志とは裏腹に、集団が一人歩きをしてしまうことでしょう。
貴方の感情をも剥奪し、死んだことすらも解らない。
それが集団。

皆が宮本武蔵の『五輪書』を読み、二天一流、独行道を体得しているのであれば、それでいいのです。
それが如何なる合戦のときも、役に立つ兵法であるのです。
1人対1人であろうが1000人対1000人だろうが、志は個で持ち続けよ、と。
集団の闘いも、結局は個人の闘いなのです。
自分が自分で感情を作りだし、自分が自分の身を守り、自分が誰かを斬るのです。
誰も頼るべからず、神仏すらも頼るべからず、と。

因みに私は体得しておりません。
未だ未だ私の心技体は『伝統剣術』止まり。
つまりは闘うためのものではなく、伝統を継承し続けるが為に習う剣。
とても『兵法』と呼べるような代物ではございません。


それにしても、やはり人間は『状態』を決定づけたがる。
それは何故か。

偏に「安心したいが為に」ではないでしょうか。
どのような状態か解らない人間や現象は、自分に被害が被る可能性を秘めているが故に
おちおち煙草の一服も、油断の一つもできやしない。
状態を知りたいが、解らない。
その解らない成れの果てに「決定づける」と云う行動に打って出るのです。
勿論無意識レベルです。
「安心したいが為」と云うのも深層心理レベルのお話ですよ。しかも空想。

しかしながら『状態』と云うものにも幾つかありますね。
主観的な状態と客観的な状態の2種です。
それらは同じ人間を指す時に於いて、必ずしも同じ見解であるかというとそうではありません。
暗澹とした表情の自殺志願者に「ヘラヘラするな!」と怒号を浴びせる熱血漢、といったような感じです。

私は、たまにですが1000万パワーに達することがあります。
体中の至る所から気迫とエナジーが満ちあふれ、突然笑い出したくなってしまうのです。
しかしながら、そういうときには決まって公衆の面前であったり、会議中であったりと、
堪え忍ぶことを余儀なくされているのであります。
そして耐えている私は、耐え難いほどのエナジーを気合いで抑え、表情を歪め、
太股にシャープペンシル、場所によってはアイスピックやメスなどを幾度も刺す愚行に及び、
ついには周りから偏屈扱いをされてしまうのです。
其の状態認識の相違が、人を傷つけてしまったり孤立化させてしまったり、
揚げ句に殺めてしまったり。
適切な『状態』を把握することも肝要な能力なのではないでしょうか?

その為に朝鍛夕練して足掻いては藻掻き、叫んでは泣きを繰り返しては、
誰の状態も知り得ない、即ち決定づけをしない事を心がけてはいたのですが、
そんなことをしていたら、気になりすぎて誰とも会話すらもできなくなり、
家で一人悶々と酒を煽りながら化石発掘セットを掘る生活。
あ、今回は牙の立派なナウマン象だね…とかブツブツ言い出す始末。
嗚呼、益々手に負えない奴になっていくようです。

常人恐るるに足らず。
されど私が今最も恐れていることは、人間と会話をすることであり、
自然などを見ることであり、ニュースや新聞などを読むことなのであります。
「うぉー!俺にあんまし情報を与えんとってくれやー!」
と、悶絶するのが日課です。
絵に描いたような阿呆の状態であります。

今これを読み、小生のことを
「この愚鈍者が。早く死んで呉れればいいものを。25年も長生きしさらして。」
とお思いの貴方。
貴方も今、私の状態を決定づけてしまう一歩手前ですよ。
そこで思いとどまるのです。
己の安堵の為に、視野を狭めるのはおよしよ。
確かに小生は貴方を殺さないとは言えない。
只、皆常に闘いの中に身を投じて生きているのです。
貴方も拳を振り上げなさい。
そして、心をも光に振りかざすのです。
万物全ての心が光に照らされるとき、私の役割は終わるでしょう。

拘りは捨てよ。信念を持つのだ。
狭い道ばかり行くタクシーの運転手じゃないのですから。
50年後が見えますか?
皆が統一人民解放記念広場に向かって走っていく姿が見えますか?
皆が世界の統一国旗を掲揚する姿が見えますか?
プライドはいらないのです。ポリシーを持つのです。それだけ。


只、私は整然と公言いたします。

「今の私の状態は最低だ」



最後に一句詠ませて頂きます





夢々投じ忌諱され候
幻以て瓦解に及べば
廃忘怪顛の我が状態
陣を張りては牢となり
木霊の轟き儚きかな


   ⓒK.Katoh(2006)





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