堂堂巡り、一寸振り返って
遂にこんなところまで来てしまいました。
頭が唸るような激痛に苛まれています。
さて、原因は何でしょう。
時々、目に眩いばかりの閃光が迸ります。一瞬だけ失明。
そして、嘔吐。吐瀉物にはスパゲッティが少々。
さて、原因は何でしょう。
体調が最悪です。腹も痛い。
と、言うわけで体調も悪い、人相も悪い、星の巡りも悪い。
何が悪いって、政治が悪い訳じゃない。
あんたが悪い訳でもない。
どうにもこうにも私が悪い。
いいのは天気と未来だけ。
そんな極東最前線、主催の加藤が今夜もお送り致します。
さて、皆さんは『賢い』と言う形容詞を用いる際に、
どのような意味を込めて、何を以て『賢い』と定義していますか?
その言葉を使うシチュエーションにも依るかと思いますが、
ある人は、学校のテストの点数がいい人や、大学へ進学した人達を賢いと言い、
ある人は、柔軟に様々な社会の出来事に対応する人を賢いと言い、
ある人は、しょうもない雑学をたくさん知っている人を賢いと言い、
ある人は、パーソナルコンピューターの知識が豊富で、様々なパソコン言語を習得している人を賢いと言い、
ある人は、免許、資格の類を常人より多く会得している人を賢いと言い、
ある人は、ある特定の職業に従事している人を賢いと言い、
ある人は、目の前で壊れてしまったビデオデッキを分解して、アダルトビデオを取りだしてくれる、
つまりは電器屋のあんちゃんを賢いと言いますよね。
どれも一概に間違ってはいないのかもしれませんが、
私には如何せん腑に落ちない部分があります。
腑に落ちないと言うか、釈然としない。
自分を基準に物事を見定めることを前提にした上で、
己の持つ知識を超越する現実を目の当たりにすると、
そこには、敬いや尊さ、恍惚、憧憬などといった感情が生まれます。
私が思うところの『賢い』と言う意味合いは『尊敬』を意味しています。
己の志す道の遙か前方に存在しているもの(人であったり、物であったり)に、
私は『賢い』という表現を用いています。
尊敬というのは人間個人単位で異なるものでして、つまりは価値観の相違により、
自分の親は尊敬できても、あんたの親まで尊敬してないぜってのが、
是つまるところ「価値観の相違による、自意識内尊敬」と言う感覚。
それを踏まえて考察するところ、
他人が「○○さんは賢い」と言ったところで、私にとっては別に只の凡人であったりするのです。
人間各々の私情を形容する言葉には情報操作の危険が常に含有しているのです。
おーこわ。
『賢いか賢くないかは俺が決める』By Katoh The Sage
しかしながら、近年の学歴優先主義の社会に於いて、この言葉の意味するものは、
専ら「本に書いてあることを、記憶していること」のように思います。
もっと噛み砕いて言うと「お勉強のできる、テスト等の点数が高い」とでも言いましょうか。
私の価値観に於いては、それを賢い、尊敬出来るかというと、
ごめんなさい。出来そうにありません。
「自分が知らない事を知っている」と言う点では、立派やねっては感じるのですが、
私自身に、それを尊敬していられるほどの余裕がまだ無いように思います。
ベクトルが少しく異なってしまっているが故に、
そして、それだけでいっぱいいっぱいになって驀進しているが故に、
「ごめんね。お勉強のことは最後に考えるわ」てな感じです。
それと同時に、『賢い』と言う表現は難しいものでして、
己より秀でている者に対して使う表現ににも係わらず、
己よりも上の立場の人間には用いたりはしませんものね。
間違っても担任の先生や自分の会社の社長に向かって「あの人は賢いね」なんて言いません。
微妙なラインに位置づけされている表現なのです。
そこで未だ真理を悟るに至らず、凡夫の段階に止まっている私も
ある種の「賢者」なのではないだろうか…なんて厚かましすぎる?
悟りの道を切り開くために猪突猛進、切磋琢磨している人間、
善を行い、悪を離れし者。それ即ち賢者というのです。
賢者が最終形ではないですよ。賢者の上は聖者と言います。
それならば私を含め、本質を見極めようと藻掻いている人間は
全てが『賢者』と呼ばれるに相応しい。
私はこれから自己紹介などをする際には『賢者・加藤』と名乗ります。
ベギラマとザオラルが使えるからとか、しょうもないこと言うなよ。
否、私は実は悪の化身なのかもしれないなぁ。
秩序を乱す者が悪ならば、それを紊乱する私はやはり悪なのでしょうか。
賢者などとは到底名乗れるものではないね。
と言うわけですが、絶不調です。
頭が割れて、中から幼虫が少し出てきそうです。
又、幼子からやり直せと、そう言うことですか?
ああもううんざりだ。どうしようもなくて、やるせなくて、
楽しい話の一つもできやしない。
人間の屑だ。また笑ってら。
へらへら。
狂って済むなら狂わせてくれ。頼むから。
アンニュイな気分で臭わせてくれ。
人参と大根が死闘を繰り広げています。そやそや。
調子はずれで、未だに。
丈夫に頑丈に、鉄はちょっと嫌だな〜なんて考えても考えてもまた窪みに落ちて、
そこそこに大体に於いて、やれんよ。
かかる生活をどうにかしたくて。
打破したくて又、ちゃうちゃう、本当は何も考えたくないんだな。そう。
考えなくて済むなら、本当は考えたくなくて。
でも、考えてしまうもんだから、調子が悪くなるん。俺。
妥協した方がいいよ。便乗した方がいいよ。
わかるよ。
流れには逆らわない方がいいよ。システムの一部になりなさいよ。
わかるよ。
殺しちゃ駄目、仲良くしなきゃ駄目。
わかるよ。
わかるよ。わかるよ。
もう嫌。
何がしたいの?どうしたいの?
何でなの?理由は何?
それからどうするの?できもせんのに。
それで?必要なの?いらないの?
解らないの?出来ないの?
俺を質問攻めにしないでよ。
矛盾を引き出すために必死にならないでよ。
歯車になれない。荷車にもなれない。
役にも立たない、愚にもつかないポンコツは、
去るか散るか、せいぜいだろうよ。
本然はもうどこにもないよ。
諦めてしまえよ。てね。
畜生。
遣り切れないね。吐く。
嗚呼。嗚呼。うくく。
そんでまた、一つ頷いて。
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