極東最前線

Saturday, January 28, 2006

Cow,Pig and the Egg

過ちを
改めざるは
生き恥曝し

世風を肌で感じ、又鬱勃しそうになりながら、
肘をつき、項垂れる。
そんな感じです。

ところで、皆さんは『牛丼』を喰らったことはございますか?
大衆料理として名高い、この文明開化の産物。
皆さんも一度は口にしたことがあることと存じます。

牛肉輸入問題が政治やマスコミュニケーションの中で賑やかに取りざたされる中、
我々一般庶民には、なかなかに手を出せない代物となってまいりましたね。
高級な牛丼なんて、最早牛丼では無いように思います。
近々、高級料理店にも牛丼が並ぶのではないでしょうか?
『ザギンにドンギューでもいーくーくーいー?』(※1)又は
『ギロッポンでチャンネーとドンギュー』(※2)なんて云う発言が業界で繰り広げられるのではないでしょうか?
(※1:銀座に牛丼でも食い行く?)
(※2:六本木でねーちゃんと牛丼)

と、そのようなややこしい話がしたいのではなく、もっともっと身近なお話。

私の家の近所には牛丼業界ではお馴染みのY野家があります。
どうにもこうにも金が無かった学生時分の頃には、
月に1回の贅を尽くした高級料理が、そこの牛丼でした。
究極と至高の料理を遙かに超越した、正に「神のどんぶり」と、当時は最高ランクに君臨しておりました。

当時の食生活ときたら、現代の日本人とは思えぬほど悲惨な有様でした。
基本的には1日1食。
茹でていないうどんに塩を塗して食したり、
百円均一で2個100円のレトルトパウチのカレーを湯に通さず丸飲みしたり、
生米をがりがり囓ったり、
友人の家から「喰わないなら呉れ」と、半ば強引に頂いた『五目御飯の素』を
米4合に対して0.5袋の割合で作り、激薄五目御飯(味は白米)を作ったりしておりました。

今になって考えてみると
「食えてただけまだマシかなぁ」なんて思いますね。
何も食えずに苦しんでる人間も、この世界には溢れていますからね。

当時の言い訳としては
「俺は食を諦めた。300円あるなら、俺は食料を買わずにechoを2箱(当時の価格)買うのだ。」
と、成金悪食のバーストヘッド共を小馬鹿にしておりました。
すいませんでした。

最近は金もある。どや、まいったかとばかりにY野家の牛丼も食い放題。
「何が『神のどんぶり』じゃ。普通の牛丼やんけ。ぼけ。」と、最近は有難みが薄れる一方。
そんなんではあかん。食することにもっと感謝せねばならぬ。
私に今欠けているのは、
「当たり前のことを当たり前と感じずに、一つ一つに感謝すること」なのです。

そこで、食に感謝すべくY野家へ行くことにしました。

Y野家に着き、店員の作業効率や客の回転率を考慮した席の並びが、
妙に自分にとって居心地の悪さを感じ、なかなか席に着けずにいると、店員が
「こちらへどうぞー」なんて、勝手に席を決め、
「馬鹿野郎。お前らのロータリーの一部にはならねぇぞ。俺は地べたで飯を食うんだ。」と
文句の一つも言いたかったのですが、心のリトルな人間に成り下がりたくはないので
その感情を押し殺し、店員の誘導の儘に席に着きました。

最近は牛丼てないのね。悲しいわ。
そんでもってメニューが豊富すぎるわ。解らん。
なんて悲壮に喘いで、一瞬の悩み。注文が決められない。
私が知っているY野家は、席に座った瞬間に注文をするのが粋。
席に座ってから躊躇しているようでは、「この童、素人だな。虚けが。」と店員になめられてしまう。

そこで平静を装いながら一言。
「並と卵。あとけんちん汁を呉れ給え。」と。

「はい。ありがとうございます。並いっちょう!卵1こ!おあとけんちん1つ!」と店員。
自分に100点満点をあげたい。完璧な注文ではないでしょうか。
牛丼は最近消滅しているので豚丼。
只そこで、「豚丼の並」と注文するか「並」と注文するかで勝負はほぼ決まるのです。
牛丼がまだ大衆料理の第一線で活躍していた頃は
「並」と言えば「牛丼の並」が常説でした。
しかしながら豚丼が勢力図を拡大している昨今。
「並」は「牛丼の並」と「豚丼の並」の2つを表す言葉となってしまっているのです。

にも係わらず、私は何故「並」とだけ店員に伝えたか。
それは『賭け』でした。
もしも「並」とだけ伝えて、店員が
「あいにく今は牛丼がお休みで、豚丼になるのですがよろしいでしょうか?」
なんて質問を返されるようであれば、私の負け。
恥ずかしい。死にたい。今すぐ。と鬱屈してしまっていたことでしょう。
私は「牛丼は今現在メニューにない」ということと「Y野家の現在のメインは豚丼」というのを天秤にかけたのです。
そして後者に重きを置いた私は「並」と注文するに至ったのです。
勝った。この勝負もらった。
私は、そう思っていました。
この瞬間までは…。

しばらくすると、店員は豚丼を先ず持ってまいりました。
ん?まて。まずどんぶりものを持ってくるのか?これがメインだろ?
豚丼だけ先に持ってこられてもしょうがねぇんだよ。この愚図。
解るだろ?卵、分かり易く言うと鶏卵。
それが無いとこの豚丼は何の意味も成さない、只のオブジェと化すのだよ。
一瞬己の目を疑い、必死に目を擦っては見たものの、目の前の豚丼は現実。
己の目を潰して今すぐここで抗議の焼身自殺をしたろか、なんて思っているところにけんちん汁登場。

この野郎。なめてんのか。
日本料理(大衆料理)の基礎其の1。
「まず汁物で箸を湿らせる」だろが。
私の理想を此処で声高らかに謳うならば、まず一番初めにけんちん汁を持ってこい。
そして、そのけんちん汁を2,3口啜っているところに鶏卵や。
その湿った箸で鶏卵をかき混ぜる。
十分に鶏卵が溶かれた時に初めて豚丼を登場させる。これや。
私の理想ではありますが、皆さんも同じ心境ではありませんか?

そんなこんなで、豚丼にはいっさい箸をつけず、只々けんちん汁を啜っていたわけですが、
鶏卵が一向にやってこない。
丼飯はその熱を放出し冷める一方。

ここは一つ店員に文句の一つでも言ってやらねばならぬ。そう心に決めたまではいいが、
何故か2人いた店員の1人は奥の扉を開け放ち、なにやらガサゴソと忙しいふり。
もう1人の店員に関しては、何処を見渡しても姿が見えず。

そこで私はある1つの仮説を立ててみました。

「私に豚丼を食べさせない気なのではないか」

卵を注文した人間は、卵が出てくるまで豚丼を食さないという特性を逆手に取り、
私のような汚い格好をした愚民に、自分たちが作った丼飯を食べさせたくない。
若しくは、只、平凡に働いているだけではもの足りず、客の困った表情を見ては、ひたすら楽しむ。
抵抗か、愉快犯的な行動なのか。
私には解りませんでした。

しかし私は負けん。
鶏卵が無いくらいで豚丼が食えないと思ったら大間違いだぞ。
高々鶏族の類の卵如きで、私が鬱屈すると思っていたのか。この大馬鹿者め。
食ってやる。食ってやるさ。豚丼。
と、私はけんちん汁を一気に飲み干し、豚丼をかっくらう事を心に決めました。

そして喰らう。
怒り、焦りが悟られないよう、細心の注意を払って、気持ちゆっくり喰らう。

あと2口で完食やな。私もよく挑発に乗らずに耐えたものだ。
大人になったやないか。加藤よ。

「おまたせしました。卵になります…。」

目眩がしました。
まさかこのタイミングで卵か…。冗談も休み休みイェイ。

しばしの間、店員と私は絶句。
店員は気まずい表情を浮かべ、そそくさと奥へ引っ込みました。

負けだ。負けだよ…。
完敗だ。

「ありがとう」

私は「卵を持ってきてくれてありがとう」と言う意味と、
「勉強させてくれてありがとう」、2つの意味を込めて店員様にありがとうを言いました。
敗北を知ることは、いつか必ずしや己の糧となります。
負けることを知らない人間は常に緊張の糸に張りつめられ、
その糸が切れたとき、今まで蓄積されていたものの決壊と共に廃人となってしまいます。
私は敗北に打ち拉がれて、これでもう廃人にならなくてすんだのだ、ありがとう。と
また、店員様に感謝しました。

最後の2口の米に、卵と悲しみを思い切りぶちまけて、丸飲み。そして完食。

食事代を支払うとき、店員様の表情が悲しみで溢れておりました。
いいんだよ。何も悲しまなくて。
私は喜んでいるのだから。
こんなにも清々しい敗北感はもう二度と味わえないかもしれない。
そんな体験をありがとう。

そんな店員様の名前を覚えておこうと、胸元に光る名札をちらりと見ると
名前と共に「新人ですのでよろしくお願いいたします」
との文言が添えてありました。



ひょっとして、鶏卵のことは忘れてただけじゃあるまいな。
まさかな。考えすぎだ。

頑張れよ。
また皆に鶏卵の大事さ、敗北感の大事さを伝える伝道師としての活躍を期待しているよ。



ふぅ。
酒でも飲みます。


0 Comments:

Post a Comment

<< Home