ロシナンテの肋
『いつの時代も、革命家の最期というのには挫折と屈辱がつきまとうものだ』
加藤という日本人青年が先日、酒をやりながら漏らした言葉です。
私の知る限りの革命家と言われる者達は、何かを成し遂げることはあっても、
それが人生の最終ではなく、向上心と探求心、そして好奇心から生まれる新しい革命に身を捧げ続け、
その闘いの中で挫折と屈辱にまみれながら死んでいくような気がしております。
足ることを知らず、只ひたすらに己の理想と目の前にある現実を照らし合わせ、
理想を追い求めるが故に疎外され、迫害され、
常に己の命が危険に曝される日常に身を捧げ続けているのです。
やらねばならない、やれるのではないか、もし何も出来なければ…。
様々な感覚が錯綜していたことでしょう。
己の社会的立場や、存在価値に脅かされる自分自身との格闘。
常に自問自答の日々、葛藤。
かの有名なチェ・ゲバラ(エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)の最期も、悲しく悲惨なものでした。
「チェ」というのはアルゼンチンで呼びかけに使う愛称です。
「おい!」とか「やあ」とかいった感じらしいです。
「おい!ゲバラ!」ということになりますね。
私が「チェ・カトウ」と名乗っても不思議ではないわけです。
あまりチェのことをご存じでない方達の為に軽く説明させて頂きます。
チェは1928年、アルゼンチン、ロサリオという都市で生まれます。
私も初めは「あれ?キューバ人じゃないんや?」という驚きと共に不思議な感覚に陥りました。
何でアルゼンチン人の彼がキューバ革命に参加しているのだろう、と。
それは様々なチェについての文献を読み漁るうちに明らかになってきました。
その話は後ほど。
彼は幼少期から重度の喘息を患っていました。
彼の人生は革命と喘息の人生であったといっても過言では無いほど、
最後の最後まで喘息が付きまとっていたようです。
にもかかわらず、高校時代にはサッカーやラグビー等を好んで行い、
両親や周りの者達をハラハラさせていたようですね。
いるいる、そういう人間。
そして大学に進学し医学を学び、
在学中にオートバイで南アメリカを放浪し、ハンセン病の治療に己の使命を見いだします。
南米の貧困とインディオの悲惨な生活を目の当たりにし、
自分の医術を貧しい人々や、虐げられたインディオのために活かしたいと思うようになっていったのです。
しかし、もう一つ。その放浪旅行の中で南米各地の政治経済状況と
触れあっていく中で、マルクス主義革命を志すようになっていくのです。
彼は大学の卒業後、アルゼンチンから亡命します。
当時アルゼンチンでは軍医制をとっていたためです。
彼は軍隊ではなく、貧困層の民の為に医力を使いたかったのです。
しかし、病に喘ぐ人々を救えても、その背後に広がる貧困や差別が、その病の元凶となっている。
もっと人々を救いたい、差別や貧困と闘わなくてはならない。
そうしてグアテマラで出会ったペルー人社会主義者イルダ・ガデア(後のチェの最初の奥さん)の紹介で、
亡命キューバ人と知り合うのです。
その亡命キューバ人というのがフィデル・カストロです。
チェとフィデルは一瞬のうちに意気投合してしまいます。
そして、キューバの独裁、圧政、バチスタ政権を打倒するために
共に立ち上がることを決意するのです。
キューバの貧困層を救うのだ、と。
解放するのだ、と。
そしてキューバ革命は始まります。
キューバ革命のお話を書き出したらキリがないので、今日はチェがどういった人間なのかに
話を絞りたいと思います。
知りたい方は、文献などを読んでみてください。
その文献たちは、あなたの心をきっと擽ってくれることでしょう。
キューバ革命の最中、シエラ・マエストロの山中でのお話。
チェ達は食糧難に喘ぎ苦戦を強いられていました。
そんな時、突然、草むらから物音が聞こえました。
チェは咄嗟に腰の拳銃を構えるのですが、拳銃の弾などもう入っていません。
ゲバラが誰かと聞くとどうやら麓の村の住人らしいのです。
日に焼けた真っ黒な肌、そして、屈託のない笑顔が二つ。
どうやら、農園の労働者のようです。
「俺たちは危険を冒してここに来ました」チェは二人にそれは何故かと問います。
「これを…」農夫が差し出した大きな籠には、たくさんの食料や果物がありました。
更にゲバラは農夫に尋ねるのです。
「何故私達にここまでしてくれる?」
農夫は月の光に白い歯を見せながら、
「あなた達はあの憎たらしいバチスタの野郎と戦っています。
しかし、私たちにはそんな度胸はないのです。
だから、私たちはあなた達が好きです。
でも、私たちは卑怯者。どうしても力の強いものには逆らえないのです…。
でも、あなた達が本気で闘っている姿を見て感動したのです。
あなた達は最後の一人になっても戦うつもりなのでしょう?」
さっきまでの疑問が吹き飛んで、チェの胸に熱いものが込み上げてきます。
チェは目いっぱい無理をして
「ああ、俺たちは最後の最後まで戦い続ける。
そう、このシエラ・マエストロの大要塞を根拠地にしてな」
農夫は笑顔で
「北の村と南の村は押さえてあります。
でも、その他の村はまだなのです。
…私たちは卑怯者だから、皆と一緒でないと立ち上がれないのです…。
だから、あなたに頼みたいのです。
村々をまわってもっと説得して欲しい。
あなたの不屈の闘志をもっともっと伝えて欲しいのです」
そして、農夫は去っていきました。
帰り際にチェは農夫にこう言います。
「あんた達は卑怯者じゃない…もう、立派な戦士だ」
私、この話を聞いたとき、泣いちゃいました。
チェが革命カリスマと言われる部分が垣間見られたように思います。
民に愛された所以がここにあるのではないかな、と。
そうしてキューバ革命も終わり解放されたキューバでチェは大臣として政治に従事するのですが、
それでも軍服に無精なヒゲ面。どこでも葉巻を燻らす。
まさにミスターやりたい放題。
しかし、チェの革命の魂は未だ消えてはいませんでした。
彼は革命闘争を求めて、アフリカ、南米を転戦するのです。
そして遂に、ボリビアの山中のゲリラ戦において政府軍に逮捕されます。
1967年のことです。
逮捕から2日後、チェは裁判にすらかけられることなく、
バリエントス大統領の命令によって銃殺されます。
チェ・ゲバラという紛れもない英雄を撃つ羽目になった兵士は、
ゲバラを射殺することを躊躇ったと聞きます。
チェは兵士に向かいこう言いました。
「ここにいるのは英雄でも何でもない、只の一人の男だ。撃て!臆病者め!」
そして彼は39年という短い人生に幕を閉じたのです。
かなり駆け足でチェ・ゲバラという一人の男の人生を紹介してみました。
彼のやろうとしていたこと、やり遂げたこととは結局のところ何だったのでしょうか?
帝国主義打倒と、共産主義への夢。
フィデロ・カストロが彼を賞賛したことが今になって理解できます。
チェは革命的禁欲主義、革命的犠牲の精神、革命的闘争心、革命家としての労働精神を最高度に発揮しました。
そして、彼のようにプロレタリア国際主義の精神を高い段階に押し上げた人物は現代、他には見当たりません。
たくさんの文献を読み漁りましたが、読めば読むほど奥深く、
彼をそこまでかき立てたものとは、いったい何だったのだろうか、と
チェの探求心に、私の探求心がかき立てられていきました。
革命家の最期とは、悲しきもの。
志半ばにして断念させられるか、皆に忘れ去られるか。
満たされることなど、望んでもいない。
誇り高き意志と、屈することのない決意が、只形になって溢れてくるばかり。
私はチェ・ゲバラという革命家を、尊敬するわけでもなければ崇拝しているわけでもありません。
しかしながら、彼の成し遂げた事実に、私も支えられていることは確かです。
彼は自分で言っていました。
「自分は只一人の男だ」と。
私も、どうってことない只一人の男に過ぎませんが、
そんな男にも何か成し遂げることができるんだ、と。
私の構想する大阪革命と日本大革命、大東亜人民闘争、国際市民革命が成し遂げられると信じるのも、
こんなチェ・ゲバラという「一人の男」が歴史の中で、革命の基盤作りをしてくれたからなのかもしれません。
私は立ち上がらなくてはいけないのです。
たとえ一人であったとしても。
「貧困層を前に人はどう行動するか」
今、世界中で巻き起こっている問題・紛争の多くは根源に「貧富」の闘争としての一面を必ず抱えています。
私たちがチェから問いかけられている問題は、単純であるが故に深い。
決して理想を曲げようとせず、努力を惜しまなかったチェ・ゲバラ。
彼の生き方そのものが世界中の人から注目を浴び、
今でも多くの人間から愛される理由こそ『徹底した平等意識』、
そして他人の為ということが自分の為に繋がるということの精神の発揮であるように思います。
私達ももう一度考えていかなくてはいけないのではないでしょうか?
自分の生活を、只々惰性で生きてしまうのではなく、
自分の理想とは一体何か、そしてその理想を達成するには、
今、何をしなくてはならないか。
そう、自分に対する問いかけも、絶やしてはなりません。
常に問い続けるのです。
私は、やらねばならない。
皆さんも一緒にいかが?
0 Comments:
Post a Comment
<< Home