極東最前線

Sunday, June 25, 2006

タブー・サンデー

また性懲りもなく苛々しておりまして、
カルシウムの不足は否めない私、加藤でございます。

さて、冷戦時代のアメリカ合衆国連邦共和国を中心とした資本主義陣営と、
ソビエト社会主義共和国連邦を中心とした社会主義陣営との関係、
NATOとワルシャワ条約機構の敵意剥き出しの殺伐とした関係、
マーシャルプランとコメコンの経済的な牽制の仕合、
今正に、その時代の繰り返しともとれる社会が構築されつつあります。

そう、米国と北朝鮮のミサイル実戦配備が着々と進んでおりますね。
キューバ危機以来のミサイルに対する驚異ではないでしょうか。

テポドン発射実験。
そのニュースは瞬く間に世界各国に広まり、資本主義陣営に暮らす人々(勿論我々)や
北朝鮮から半径3500〜12000kmの範囲(射程距離)に暮らす人々にとって、絶大な恐怖と不安を与えるものでした。
大陸間弾道ミサイル(以下ICBM)の発射実験に成功したとなれば、我々の生活の不安は頂点に達するものとみられ、
同時に米国にも多大な苛立ちと恐怖を降り注ぐものとなるでしょう。

米国本土にも到達することが可能な距離を飛ぶテポドン(2号)は果たして本当に発射実験に踏み切るのでしょうか。

マスメディアなどでは、太平洋の海の真ん中に落とす見込み、とされておりますが、
もしも実験に失敗し、宇宙空間に到達する程の噴射量が出ずに日本上空を通過すれば、
勿論領空侵犯になるという可能性も十分に視野に入れておかねばなりませんね。
そして更に実験に失敗し日本に落下するようなことがあったら…。
そして落下してしまったところに原発などがあったら…。
想像するだけで恐ろしい。

というところで米国もテポドンや東風-31、サドラー、スカルベルといったような、蒼々たる顔ぶれのICBMの驚異から身を守るために弾道弾迎撃ミサイルの開発が現在進行形で行われております。
パトリオットとスタンダードミサイルがそれです。
日本海上にイージス艦を配備しそのイージス艦に実戦配備されるであろうそのミサイルは、恐らくSM3スタンダードミサイルであると考えられます(私の見解なので当たっているとは限りません)。
SM3スタンダードミサイルは大気圏外まで到達して飛翔中のミサイルを迎撃するというものでありますが、マッハ20以上で飛翔するICBMを打ち落とすのは困難であるとされており、開発には莫大な時間と資金がかかっておるわけなのです。
日本にも2008年までに完全配備が完了すると言われております。
一部配備は今夏行われる予定です。

様々な文献などを読み漁っておりますと、2008年というのは様々な兵器の完成や配備、軍整備を予定している年でありまして、その「ジャッジメント・イヤー」に何かが起きてしまうという予感がしてしょうがありません。
ハルマゲドンとなる可能性も十分に秘めております。
2008年までに何としてでも私の思想の根回しを完成させねばならんな、と感じる訳なのであります。
手遅れになる前に…。

威嚇するために武装をし、その守備のためにまた武装をする。
武力に勝るものもまた武力であると。
世界がそれを認めてしまっている中で、私達が子供達に暴力がいけないことであると教えていくことの意味とはいったい何なのでしょうか。

「でもねママ。日本の総理大臣や米国の大統領がミサイルとかを使ってるのに、何で僕は拳銃を所持しちゃいけないの?」

そう発する子供達に、私達は国民として何を説明しなければいけないのでしょうか。
只々嘆くことしかできないのでしょうか?
政府が導く道しるべの所々に、地雷やブービートラップが仕掛けられているようでは、
世界は破綻していく一方なのではないでしょうか?

「戦争とは政治活動の一つ」という事を頻繁に耳にします。
政治活動ならば、暴力でものを訴えてもいいのであると言う考え方。
ルールに則って行う行為の一つであるという考え方。
それで大勢の人が死に、路頭に迷い、悲しみや憎しみを生み出す。
何故今まで様々な場所で語られてきたであろうこの出来事に、
何一つ耳を貸さずに、正義だ悪だと喚き散らし、人種を越えて脳味噌を攪拌するようなその行為を
今も尚続けざまに行われているのか。

欲望、金、偽善。

戦争に対して苛立ちや憤りを感じているようでは、偉くはなれないというのが世界各国での共通認識です。
表向きは正義を面を被り「戦争はいけないことです」というパフォーマンス。
そして他国の戦火には喜んで肩を貸す。
肩を貸さねば自分がやられるから。
何よりも自分が一番可愛いのですね。


ここで詩を紹介したいと思います。


『兵器の朝』

産声は遠く細い

奏でる音は美しい

喜びの声はない

悲しむ声もない

近くで音が聞こえない

遠くの音が聞こえる

見えるものは黒く

産声は消え

全ての音もまた消える

冷たく軋む音は

全ての音を掻き消して

全ての色彩をなくす

産声は遠く細い

見えるものは黒い

明日はない

もうすぐ終わる


ⓒK.Katoh(2006)



さて、ここから自己啓発。
遅ればせながら自己紹介をしたいと思います。
自己紹介は自己啓発の基本です。


私姓を加藤、名は景と発します。
平和を愛する民でございます。
見たことすらないことに対し「できない」とは言わない偏屈であります。
皆で手を取り合う揺るぎない社会システムの構築が目標であります。
反戦に身を捧げ、私が死ぬことで世界の均衡が取れ、世界平和が完成するならば、
喜んで死のうと、お気に入りのセイロンティーをやりながら思い、揚げ句に泣く男でございます。
とろけるような甘い口当たりの脳味噌の持ち主であります。
「安全性AAA」、それは車の安全性を示すものであり、私の安全性を示す世界基準でもあります。
動物が好きすぎて動物が飼えない動物愛護家であります。
刀を抜けば、そこは闇でございます。
「反核宣言(関白宣言の替え歌)」を風呂場で歌いながら苛々するのが日課であります。
夢見る少女じゃいられないのであります。
世界の戦争、紛争を無くすためには、全世界の善悪の判断を曖昧にすることが先決であると考えております。
その次に必要なのは、経済の相互依存関係を構築し、武力行使を非合理的なものにすることであると考えております。
趣味は日本刀を振り回しながら、いい顔することであります。
白旗こそ、歴戦の殊勲者たちが残した最高で最大の統一国旗であります。
真面目な人間と真面目な話をするよりも、おもろい人間と真面目な話をするほうが、
己にとって意味のあるもののような気がしております。
バーベキューではホタテを焼く役割を担っております。
時折、1000万パワーに達する事がございます。
手の施しようがないほどに、自虐的な発言を徹底するのでございます。
国家規模の自由主義というものに憧れを抱いております。
すぐ泣きます。同時に吐きます。
特別何かの宗教を信じているという意識はございませんが、宗教の存在自体は素晴らしいものであると感じております。
と言うのも、常日頃に感じることの一つに「皆、個々に独自の宗教を持っている」と感じることが頻繁にあるからなのでございます。
音楽と笑いと酒で世界が救えると思っております。
熱狂的なデッド・ケネディーズ信者であります。
生産は社会が成立するための最低限の労働であり、労働も義務であるというのは少なからず正しいものである事をここで宣言したいと思います。
職業差別には遺憾を示します。
私も差別されていると感じることが屡々ありますが、被害妄想であると自分に言い聞かせております。
好きな事を諦めて犠牲的精神を養うのはひじょうに重要なことであると感じております。
私は酒を断てないし、煙草も断てない。
これを禁ずることで得られるものは大きいと思えば思うほど酒や煙草が断ちにくくなるものなのであります。
国歌を「愛してマスカット」にしたら面白いと思っております。
何事をも完達するための犠牲は必要ないと感じておりまして、
私の思想の奥底には犠牲はゼロの桃源郷と、統一化された思想を持ち合わす社会が構成されております。

そんなところでしょうか…。

因みに写真は世界で初めて音速飛行する座薬の撮影に成功したものです。



Sunday, June 11, 2006

情報は何時も己の知らぬ間に

人類の最大にして最高の目標は1つになること。
そう高らかに宣言してから、私は幾度此の感情に苛まれたでしょうか。
こんな目標を掲げる人間は阿呆だ糞だ下手人だと、道行く方達には散々叱咤罵倒され、
さも私が吐き溜めに片足突っ込みながら雑踏を彷徨っている畜生であるかのように、
人々は私のことを偽善者であるとか、赤であるとか散々仰って下さいます。
貴重なご意見であると思います。

と同時に「私の言いたいのはそこだ」と毎度毎度思うのであります。
私の行動の一切合切を勝手に決めつけて、自分一人の中で解釈するならまだしも、周囲の人間にまで「加藤は真っ赤な似非平和主義者の理想主義者」のような発言を繰り返し、徹底した情報操作を繰り返すのです。

初対面の方とカフィなどをやりながら四方山話に華を咲かせていると、
「ところで加藤さん、宗教家なんですってね。」
ピキーン、シャリーン、ずぶぶ。
耳と脳を劈く音が木霊します。
こらこらこら、だれやそんなん吐かしてるやつは。
面倒くさいのと話が長くなりすぎるのを避けるため、
その時点で特別否定はしません。
私の考えるところの宗教は、入るものではなく己で切り開くものだと考えているため、
強ち外れてもいないかなと。
どういった意味で「宗教家」と仰っているかは存じ上げませんけど
また私の知らないところで、私が一人歩きしているのね。

またある人と猥談なんぞを楽しんでいると、
「そうそう、加藤君て無政府主義者なんやってね。」
でた。これこそ情報操作の真骨頂。
私は常々「断固たる政府の確立が群衆の自由を獲得するための最も重要なエレメント」と謳ってまいりました。
と言うのも、世界が統一国家となったとき、世界に一つだけの政府を設け、
全ての秩序を統一することこそが、即ち『1つになる』と言うことであるからなのです。
アナーキズムとは全く逆の観点から考えているだけに、
ここは一つ完全否定せねばならん、と一瞬考えて踏み止まる。
是を一生懸命に否定したところで、得るものとはいったい何なのでしょうか。
この対面する人間の「私に対する情報」を正すことがそんなにも重要なことでしょうか。
先行する情報を知らない私が、新たな「私に対する情報」を流すことで、
又新たな偽物の情報が外部に流出してしまうのではなかろうか。
この悪循環を根絶やしにするためにも、私が此処で思いとどまらなくてはならないのではないでしょうか。
と、思い笑って誤魔化す。いひひ。

真剣な話をしていると「嘘やろ」と言われ、
ちゃらけた話をしていると、何の垣根もなく只皆は笑ってくれます。
皆は私を『お茶目な人間』と捉えているが故にそのような解釈をするのでしょうか。
それとも皆、真剣な話をすることが嫌いだから、真剣な話をしている私の姿を目の当たりにすると、
それを認めたくない、若しくはそんな話したくもないし聞きたくもない。
そのような観点で私を観ているが故の結果なのでしょうか。
私の声は私の佇まいと同等のものでないといけないのでしょうか。
声は姿を超越することはできないのでしょうか。

さて、逆バンドワゴン効果とも言えるこの情報操作を食い止めるために、
私はいったい何をしなくてはならないのか。

一つの方法として「誰ともコミュニケーションをとらない」なんて考え方がありますが、
私、社会の円滑な基盤作りの為に最も重要なことがコミュニケーションだと考えております故、
この方法は却下致したいと思います。
そら全ての人間が己のことを知らなければ、変な情報を流される事なんてなくなるでしょうね。

こんな話を皆さんはご存じでしょうか?

------------------------------------------------

『開く者と開かれる者』

地球上には様々な文明や技術が氾濫しております。
それは人々を助けることもあれば、只の贅沢な代物であったりもしていますね。
我々の生活はこれらの技術・製品に助けられて生き長らえていると言っても過言ではありません。
それと共に心の豊かさを蔑ろにしてしまう生活が人々の日常生活から垣間見られることも屡々あり、「物が豊富=心が豊か」とは言い難い世界が我々の世界です。

しかしながら、そんな贅沢な地球のあるところに、
『何もない村』
と言うものが存在していることを皆さんはご存じでしょうか?
その村には言葉の通り何もない。
あるのは「人・食料・住居・布を巻いただけの薄っぺらい服」だけなのです。
草むらや砂場に木や藁で作られた家。
畑を耕し、田植えをし、彼等は完全に自給自足の生活を行っておりました。

社会の日常生活に嫌気がさし、疲れ、逃げ出したくなった人々が暮らすその村では、
外部、つまりは我々が今現在暮らしているこの社会との関係を完全に断ち切っているのです。
鎖国時の日本のような状態です。
「アウトローの集団」という仲間意識からか、妙な犯罪、盗みや殺人等という出来事も一度も起きていませんでした。

村の周りは何十メートルにも及ぶ高い塀で囲まれており、
その塀の周りにはまた塀があり、その周りにはまた塀があり、と
幾重にも重なったその塀は外部との交信を断絶する防御策であり、
断固たる意志の象徴でもありました。
外部と村を繋ぐ入口は一つしかなく、そこには村の猛者達が交代で門番をし、
村に入ってくる侵入者を食い止める役割を担っておりました。

その村に住む人間は僅か100人ほど。
男性もいれば女性もいる。その村の中で子供が生まれたりもしていました。
父親も母親も、子供達に「自分たちは社会の敗北者」であるとは頑なに伝えずに、
この暮らしが普通なのだ、という生活を刷り込んでいきました。

「いい?坊や。あの塀の外には悪魔がいっぱいいるの。あなたはあの塀の外には絶対に出てはだめよ。悪魔があなたの脳味噌と心臓を剔って食べちゃうんだからね。あなたが外にでちゃったら、きっとあなたの中身は空っぽになってしまうわ。だからあなたはこの村でみんなと一緒に畑を耕したり、布を織ったりして成長していくのよ。解ったかしら?坊や。そう、いい子ね。」

テレヴィジョンやレイディオ、インスタント食品やその他様々な商品の存在など、
知る由もないまま、子供達は成長していくのです。

何も無い村に、何も知らない子供達。
それでも彼等は笑顔を振りまき、子供同士で楽しそうに遊んだりしていました。

そんなある日の事。

村の一つしかない入口の方で、なにやら大人達が大勢騒いでいるようです。
「いい?坊や。あなたは家の中でじっとしていなさい。何があっても外に出てきてはだめよ。ましてや外を見ることもしてはいけないわ。家の中で耳を塞いでじっとしているの。私達が迎えに来るまで、絶対に外に出てはいけないわよ。」
全ての親たちは子供達にそう言い聞かせ、村の入口の方へと向かっていきました。
大人達の形相は今までに見たこともないような焦りで満ちあふれているようです。
子供達は家の外で遊びたかったのですが、その大人達の表情に圧倒されて、
口答えが出来ないほどでした。

子供達は待ちました。
耳を両手で塞ぎ、目は力一杯に閉じ、両親が呼びにくるその瞬間を只々待ち続けました。
その時間は長く感じました。
2日、3日、本当はほんの数分だったのかもしれません。
子供達は恐怖と飢えに耐えながら、光が差すその瞬間を待ち続けていました。

やがて耐えかねた子供達が1人2人と家の外へと出て行きました。
その子供達は他の家で待ち続けている子供達を呼びに行きました。
肩を叩くと、待っていた子供は両親が迎えにきたと勘違いし、恍惚の表情で顔を上げましたが、
そこに立っていたのは子供。

「何で君が僕を呼びに来るの?お母さん達が呼びに来るまで外に出ちゃダメだって言ってたじゃないか。」
「それが…何かおかしいんだ。外に出てみたんだけど大人達は誰もいないんだ。」

驚いた子供が家の外に飛び出してみると、呼びに来た子が言っていたとおり、
外には大人らしき人物は一人としていませんでした。
辺りには待ちきれずに家の外に出てきた子供達が数人いるばかり。
いったい何が起きたというのでしょうか。

「大人達は村の外へ出たんじゃないか?」

誰かが言い出しました。
大人達は自分達を見捨てて、村の外へ出て行ったのだ。と考える子供と
悪魔の巣窟である村の外へ大人達が率先して行くはずがないではないかと考える子供。
子供達は言い争いました。
言い争っても答えは出ないと解ってはいましたが、彼等は言い争い続けました。
自分の親を愛するが故に子供達は言い争い続けなければならないと思ったのです。

そんなとき、村の入口の門が開く音がしました。
大人達に「悪魔の口の開く音」と教えられていた子供達は、その門の開くときの鈍い音があまり好きではありませんでした。
子供達は咄嗟に苦い表情をしてしまいましたが、両親が迎えにきてくれたとの期待から、半分笑顔で門の方へと走っていきました。
しかしその期待はあっさりと崩される結果となりました。

門を空けそこに立っていたのは、テレビカメラを抱えた男とレポーターらしき男。
カメラマンは大柄でスキンヘッド、褐色の肌に白いTシャツが似合うその男は、
一見ラガーマンのような風情を持ち合わせていました。
体はゴツいが心は優しい、そんな佇まいを臭わせるその男の肩にはバズーカ砲のような大きなテレビカメラが載せられていました。
レポーターの方は黒のジャケットに色の薄いデニムパンツ。
ジャケットの中の水色と白のストライプのボタンダウンシャツが爽やかさを醸し出しているのと同時にサラサラの髪の毛と、小豆色のフレームの眼鏡が伊達男を演出しています。
いかにも胡散臭さを丸出しているその様は、村の外の世界では詐欺師や博打打ちが打倒であると思わせる風体です。

私達はそれが何か一目で分かるのですが、村の子供達は外の代物を見るのは初めて。
子供達は咄嗟に身構え思いました。
「これが村の外に潜む悪魔だ。」
子供達は何の疑いもなくそう思うのでした。
悪魔が僕たちの脳味噌と心臓を剔りにやってきたのだ。
大人達のいないこの時をこいつらは待ち望んで、遂にその瞬間がやってきたので、挙って僕たちを食べに来たに違いない。

「何てことだ…。誰も居ないと思って来たが、子供達が大勢いるじゃないか…。」
「どうします?大佐。カメラ回します?子供全員モザイク処理してたらモザイクだらけになっちゃいますよ。」
「兵隊じゃねぇんだから大佐はやめろって言ってんだろ。この木偶の坊。」

その口ぶりからカメラマンの方がレポーターよりも立場が低いのが明らかです。
カメラマンは子供達を映すことに若干の戸惑いがあり躊躇していました。
それが良心の呵責からくるものなのか、仕事としてやりたくない仕事なのかは定かではありません。

「しょうがない。なるべく子供は撮らないように家とか塀とかを中心に撮るんだ。子供が映っちまっても後でカットするさ。」
「大佐は優しいっすね。僕もやっぱりここの子供達は撮らない方がいいと思ってました。」
「だろ?この優しさが出世する鍵だ。あと、その『大佐』ってのをやめねぇとぶん殴るぞ。」

子供達はそんなやりとりを只々見続ける事しかできませんでした。
何をくっちゃべってんだ、この悪魔達めという感情と、何をしでかすつもりだという感情。
恐怖と困惑で今すぐにでも両親に帰ってきて欲しいと祈ることしか出来ませんでした。

レポーターは子供に歩み寄り質問しました。
何故君たちはココにいるのか、何故子供しかいないのか、君たちは村の外に出ないのか。

「大人達は皆どこかに行っちゃった。それで子供だけが残されたんだ。僕たちは村の外に出てはいけないと教育されて育ったから大人達を村の外に探しに行くことが出来ないんだ。」

震えと緊張、悪魔と会話をしてもいいものかどうかが解らず、子供はそう答えました。
一人の子供は「悪魔と喋っちゃダメだよ」と小声で囁いていましたが、又ある子供は抵抗したって悪魔にはきっとかなわないだろうから、全てを正直に話すべきだと、子供達の間でも意見が分かれているようでした。
しかし目の前にある驚異を一掃するのが先だという共通意識からか、その口論は特別揉めることはありませんでした。

レポーターは悟りました。
子供達は何も知らないんだ。
自分たちの両親がどうなったかすら何も知らないんだ。
そして、事実を子供達に伝えるべきなのか、それとも知らないままこの村に住ませておくべきなのか、悩みました。
事実を伝えて、この子供達はどういった行動にでるのか大変興味がありましたが、それと同時に村の外の世界がどういったものかを教えたときの子供達の行動にも大変興味がありました。
外に興味を持つだろうか。
取り乱したりはしないだろうか。

その間、カメラマンは子供達を映さないようにと注意を払いながら、村の至る所をカメラにおさめました。
村の家々、田畑、洗濯場、墓場、火葬場、様々なものをおさめました。
この村の現状をドキュメンタリー番組にするためです。

「あの親たちの子供か…。気の毒だな…。」

カメラマンは呟き、子供達にチラリと視線を投げかけましたが、突然こっちを振り向いた子供と目があったので、咄嗟に笑顔を作り軽い会釈をしました。

一通り村の内部をカメラに取り終えたカメラマンはレポーターの元へと戻りました。
するとレポーターは子供達に取り囲まれて、何やら楽しそうにしている様子。
人混みの中からはレポーターの笑い声も聞こえていました。

「大佐。何やってんすか?村の中は一部始終撮り終えましたよ。」
「張本。ちょっと見てみろよ。こいつらチョコレート食ったことねぇんだってよ。俺のチョコ食わしてやったらハトにエサやってるみたいに取り合いになってやがんだ。笑えるだろ。あと、大佐はやめろよ。殺すぞ。」

子供達はチョコレートは疎か、この「外の世界から来た悪魔」の持ち物全てに興味を持ちました。
衣類、テレビカメラ、メモ帳、シャープペンシル、缶コーヒー等々。
初めて見るもの全てに興味を抱いていました。
子供達の中には、その初めて見るものが悪魔の代物であると頑なに触ることも見ることすらも拒む者もいました。

レポーターは子供達に、外にはこれよりもっと凄い物がいっぱいあると伝えました。
君たちの見たことも聞いたこともないような代物で溢れているのだと。
おいしい食べ物、様々な仕事、何でもあるんだ、と。
子供達は外への興味で胸がいっぱいになってしまいました。

「まずいっすよ。外の事教えちゃ。部長があんまし余計なことはするなって言ってたじゃないすか。」
「お前はいちいちうるせぇな。いいか?ここの子供達に外のことを教えて外に興味を持たせる。外に興味を持った子供達は必ず外に出てくる。しかし、その外の風景は自分たちが未だかつて見たことも聞いたこともないような風景な訳だ。その出てきた瞬間をスクープすれば視聴率も取れるし、部長も喜ぶ。このドキュメンタリーも大成功ってことだ。なんせノンフィクションだからな。取れるぜ〜。視聴率。」
「でもこの子供達の将来はどうなるんすか。この子達にも人権はあるんすよ。」
「ねぇよ。こんな死刑囚の子供に人権なんてあるわけねぇだろ。」

この子供達の親は犯罪者、しかも死刑囚だったのです。
村の外で犯罪を犯した親たちは、逃げるためにこの村を作り、高い壁でその村を覆い、籠城して暮らしていたのです。
幾度となく警察が扉をこじ開けようとしましたが、その度に門番が警察を皆殺しにして村の火葬場で夜な夜な燃やしていたのでした。
子供達が寝静まったそのときに。

レポーターとカメラマンは帰っていきました。
「いつか外に出てこいよ〜。楽しいことがいっぱいだからな〜。」
とだけ言い残して。
カメラマンは困惑した悲壮の表情でレポーターと子供達を見ていました。
出てくるなよ。
そう願うだけでした。

その晩、子供達だけでの会議が行われました。
外に出るのか出ないのかのその会議は朝まで続きました。
次の日もその次の日もその会議は続きました。
悪魔の囁きに乗せられてはいけない。
自分は両親の教えに則って、何があっても外には出ない。
村の中で両親を待ち続けるのだ。という意見と、
ここにいてもいつ両親が帰ってくるのか解らない。
それよりも危険ではあるが外に出て、こっちから両親を探した方が得策だ。という意見が真っ二つに分かれていました。

結果、外に出る組と村に残る組に分かれて、各々が自分の道を信じた行動を起こすことで決着がつきました。
外に出る組みは明日にでも外に出る、そう告げて村に残る組に最後の挨拶をしました。
ひょっとしたら帰ってこれないかもしれない。
その時は皆、仲良く暮らしてね。自分たちのことは忘れたって構わないから。
村にこんな馬鹿な奴等がいたんだ、と笑い話にでもしてくれ。
そう伝えて皆泣きながら寝床につきました。

次の日の早朝、子供達は皆は門のところに集まっていました。
出発のその時が来るのを待ち遠しいような、不安なような、しかし彼等の表情は逞しく見えました。
外に出て親を見つける。目標はそれのみ。
いざというときのために大人達が村の倉庫に隠し持っていた剣や散弾銃を携えて、彼等は外へと繋がるその門を開きました。

外で待ちかまえていたのはあのレポーターとカメラマン。

「来たっ!来たぞ!おい張本!起きろ!カメラを回せ!」
「何すか、こんな朝っぱらから…。」
「ガキ共が出てきたんだよ!いいから早くカメラを回せ!」

そそくさとカメラを回した張本(カメラマン)はまだ頭が睡眠から目覚めていないせいか、カメラの重みで体が蹌踉けていました。
しかしながら、そのカメラはしっかりと子供達をおさめていました。
レポーターとカメラマンは子供達に近づいて行き、

「やっぱり出てきたんだね。待っていたよ。さぁ外の世界を案内しようじゃないか。」

その瞬間、子供の一人が持っていた剣でレポーターの胸を貫きました。
カメラマンは何が起きたのかすらよく解らない状況でした。
只、持っているカメラのレンズに血が散布した現実を一瞬では理解するのが困難であり、唖然とした表情をしていました。
子供は立て続けにカメラマンの首を斬り落としました。

「村の外にいるのは全て悪魔だ。全ての悪魔は殺すことに『こども会議』で決まったんだ。」

子供は足下で倒れていた虫の息のレポーター背中を滅多刺しにしました。
レポーターとカメラマンは死にました。

その子供達は外で様々な物を目の当たりにしました。
様々な食べ物、機械、悪魔達。
それらは全て子供達には刺激が強すぎる物ばかりで、そんな社会に子供達は馴染めず、路地裏や日陰の場所を転々としながら両親を捜し続けました。
自分たちを見た悪魔達は口々にこう言いました。

「汚ねぇガキだな。お前等みたいなのがいるから治安はいつまでたっても良くなんねぇんだ。」
「物乞い?や〜ね〜。吐き気がするからあっちに行ってちょうだい。」
「可愛そうな子…。苦労しているのね。頑張ってね。」

子供達の心は荒んでいく一方でした。
言葉の意味はよく解りませんでしたが、自分たちが嫌われているのだというのは表情を見て解りました。
これが悪魔の恐ろしさなんだ。そう自分たちに言い聞かせるのでした。
優しい言葉をかけてくれる奴達は、自分を騙そうとしているのだ。
相手は悪魔だ。
様々な手段で自分たちを仕留めようとしているに違いない。

時に何人もの悪魔達を殺害しました。
彼等の村には法律は疎か秩序も明確にされていなかったので、何かを殺めることがいけないことであるという考えは全くなかったのです。
時々食料も略奪しました。
警察をも殺しました。

最早何も信じることすら出来なくなっていた子供達は、正に心を剔られたも同然でした。
これが大人達が言っていた「脳味噌と心臓を剔られる」と言うことなのか。
そう気付き始めていました。

そしてある日、電器屋のショーウィンドウのテレヴィジョンに自分の父親が映っていることに気がつきました。
自分の親はこんな小さな箱に入れられて、可哀想に。今出してあげるからね。
そして子供は散弾銃でショーウィンドウを割り、テレヴィジョンも剣で叩き割りました。
電器屋の店主は泣き叫びながら、
「あなた何て事をするの!あ、あなた今テレビで話題になってる殺人児童ね!何なの!何の用なの!」
何の事を言っているのか子供達には解りもしませんでしたが、子供の一人が問いました。

「今、この箱の中に入っていた人はどこにいった?」

「テレビに映っていた人のこと!?その人は死刑囚よ!死んだわ!女子大生を何人もレイプした揚げ句に殺し続けたのよ!あなた知らないの!?あいつ等は犯罪者だけを募って小さな村に高い壁を拵えて何年も籠城していたのよ!そこに軍隊が乗り込んで全員捕まえたって聞いたわ!」

「全員死んだのか?その時捕まった人達は全員死んだのか?」

「そうよ!全員死んだわ!」

失望。絶望。
愕然とした表情を浮かべ、子供達は電器屋を後にしました。
それと同時にパトカーがこちらへ向かっているのが見えました。
この少ない村外生活で学んだものの1つとして、白黒で赤い物が瞬く車を見たら逃げた方がいいと学習していた彼等は逃げました。
必死に何キロ、何十キロと逃げ続け、気付けば、高い塀に覆われたあの村へと戻ってきていました。
自分の親たちは死に、自分たちはもう村の外で行う目的を失ってしまったのだ。
もう戻ろう。もといたこの村に。
この現実を村の皆にどう伝えようか。
そんなことばかり考えていました。

戻った子供達は、村の子供達に全てを語りました。
自分たちの親が死んだこと、外にはいろんな機械や食べ物が溢れていたこと、誰も自分たちに優しくはしてくれなかったこと、孤独で辛かったこと。
様々な情報が頭の中に入ってきすぎて、今までの自分たちの生活が如何に不自由であったかが解ったこと。
両親が言っていた「悪魔に脳を剔られる」とは正にこのことなのだと解ったと、村の子供達に伝えました。
そして付け加えて、いろいろな人に追い回されたから、きっとこの村にも追っ手がやってくる。
その時に備えて門番を設け、入ろうとする悪魔の首を片っ端から斬り落とすのだとの規律を設けました。

それからというもの子供達は、入ってこようとするマスコミや警察を徹底的に殺害し、その死体を村の火葬場で焼き払いました。
来る日も来る日も子供達は侵入者を殺し続け、やがて大人になり、村の中で子供を産んだりしました。
その子供達には、自分が親から育てられたように教育しました。
村の外には悪魔が潜んでいる。絶対に出てはいけない。

出れば脳味噌と心臓を剔られるんだよ。


------------------------------------------------


と言うように、人々が万物の情報とコミュニケーションを取らなくなると、
この物語の少年達のように、自分たちだけの規律を設け、
それらと一般社会の秩序との相違が受け入れられないまま孤立し、
挙げ句の果てには全てを破壊してしまうと言ったようなことも考えられるように思います。

変な情報を流されないためにどうするかを考えるよりも、
どうしたら自分が信じてもらえるのかを考える方が大事なのですね。
責任の転嫁をしておりました。
やはり自分をしっかり見ないといけませんね。

私はコミュニケーションをひたすら取っていこうと考えております。
いつか皆に信じてもらえるその日まで。




Saturday, June 03, 2006

淘汰されるナショナリズム

ドイツ・ワールドカップ。通称、独世界杯。
もうじき開催のようですね。

いきなりこんな話を文頭にもってくると、皆さんは私のことを、
「サッカー狂いの、否、寧ろ一時の盛り上がりに便乗するだけの下賤な獣」
と思うことでしょうけれども、如何せん私、サッカーにまるで興味がございません。
興味がないと一口に言い切ってしまうと語弊があるかもしれませんので、
少々言葉を付け加えさせて頂きますと、
「サッカーに興味はない。だってあんまし見たことないもん。」
と言ったところでしょうか。

大黒と言えば、大黒摩季で、
中田と言えば、中田カウス・ボタンしか思い浮かばないですって。

しかしながら巷ではかなり盛り上がっているようでして、
世界杯の話を耳にしない日なんて、殆ど無いくらいですよね。
私、テレヴィジョンというものをあまり見ない方でありまして、
まともに見る番組なんて「めざましテレビ」と「とくダネ」くらいなのですが、
その唯一見る番組で、最近になってむやみやたらにこの世界杯の特集を組むので、
正直ウンザリしている次第であります。

と言うような感想を私が示すので、勘のいい皆さんならばもうお気づきでしょうが、
私、世界杯に興味がございません。
夜な夜なテレビに釘付けになる気も、更々ございません。

2002年にも同じような大会が日本で行われていたようなのですが、
ハッキリ言わせて頂くと悪い思い出しかございません。

その時期、友人の家のケーブルテレビでマイク・タイソンの復帰戦を観戦しようと、
麦酒を1ケース購入して意気揚々と友人宅へ向かうも、
「サッカー観なあかんねん」と言う友人の発言に絶望したのを今でも憶えております。
そして私はルールもよく解っていないままサッカーを友人と共に観戦し、タイソン戦を見逃し、
「嗚呼、憎き世界杯」と呟きながら、道頓堀の周辺で青いアディダス製のユニフォームを身に纏った群衆を掻き分け、トボトボと頭を垂れ、悲壮に満ちた表情で帰路についたのでした。
道には号外と思しき新聞紙が散乱し、警官や機動隊が治安維持のため大量に街へ繰り出し、
青いユニフォームで埋め尽くされた群衆の中に、近鉄バッファローズのユニフォームを身に纏い、
「バッファローズ9連勝や〜」と全く場の雰囲気とマッチしない喜びを放出している青年が紛れていることに、
ちょっとした癒しを感じたりしていたのを、最近になってやたら思い出します。
空気の読めない人間が可愛らしく思える一瞬でしたね。

しかしながら、その世界杯というもの、
サッカーにまるで興味がない私にも興味をそそる部分がございます。

世界的規模で開催される催し物と言うものには、必ず世界情勢が付きまとってくるのです。
国対国の対決。
そう、まるで戦争が開戦されたかのような殺伐とした雰囲気も兼ね備えているのです。
プライドや愛国心として、自国が他国に敗北することが許せなかったり、
過去の他国との間の歴史や因縁をここぞとばかりに棚に上げて、
テロル等の破壊活動に専念する輩が増えてきてしまうのも現実です。
今回もこれまでの世界杯同様、厳重な警戒が必要ですね。
観戦旅行等でドイツへ行かれる皆さんも、十分にお気をつけ下さい。
ポイントとしては、大きい声でアメリカの話などをしない、と言うところです。

そして今回の独世界杯で最も警戒しなくてはならないこととしては、
『ネオナチの暴動』
なのではないでしょうか。

ネオナチとはネオナチス、つまりはアドルフ・ヒトラーを指導者としたナチスの思想を受け継ぐ者として活動する団体や政治勢力を指して使用される総称です。
彼等は自国の労働者の雇用拡大を掲げて外国人労働者の排斥を訴えるなど、
就職問題に絡んだ活動で参画者を募い、表向きは社会的な思想を持って活動しているように思えますが、
実のところは「ネオナチはかっこいい」というようなファッション的な思想を持ち、
具体的に政治的な思想の話を問いかけると「殺すぞ」とか「うるせぇ」と直面した問題から逃避する人間が殆どであると言われています。

過去のネオナチはナチスの元関係者などが活動の中心であり、頑なな政治的思想を掲げ、
歴とした極右勢力の一派だったのですが、ドイツでは現在ナチズムを非合法化しており、
そのようなナチズムを前面に押し出して称賛するような集団の結社は全面的に禁止されているのです。
そんな中で近年では若者達がネオナチの名を騙り、移民や外国人労働者の排斥を訴え、暴行・略奪などの犯罪行為を行うケースが増加していると言われています。
ヤンキー集団と化してしまっているのです。
ナチズムを正しく理解せず、只単に暴力に訴えることだと勘違いしている者が多いのです。

ネオナチの多くは東ドイツ出身者と言われています。
そこにもネオナチが未だに増え続けている理由があるように思います。
東と西との歴然とした経済格差があった頃、共産主義国家として自主性を奪われていた東側出身の人間達の間には、弱肉強食の資本主義に未だに馴染めず、燻り続けて生活している人間も多いのです。
共産主義時代には年金だって何もしなくても国家が保証してくれていたのに、
統一後、突然「積み立ててないと年金あげないよ」という制度に変わってしまい、払わない人間が大勢いると聞きます。
人間ですから、考え方を突然180度変えると言うのは難しいものです。
そんな東西の関係の中で、ヒトラーの右翼的国粋主義が東側のナショナリズムの根底にあるからこそ
ネオナチという集団は今尚増加の一途を辿っているのではないかと思うのです。
敗戦国として外国人移民の受け入れを拒否してはいけないと決定され、貧しい外国人が職を求めてドイツを目指すのですが、こうして職を奪われたドイツ国民は外国人に敵意を燃やし、国粋主義とユダヤ人排斥を提唱したヒトラーとナチスに共鳴する若者が増えているのです。

戦後のドイツは、その「ドイツらしさ」のあるものは全て取り締まってきました。
自国が左翼的観点からナショナリズムを否定しているのです。
ネオナチがいいとは思いません。
只、そういった暴力的思想はよくないにしても、自分らしさ、自国らしさを模索しながら、
それを形や思想で表現することは決して悪いことではありません。
ドイツらしさの象徴として「家族・労働・勤勉」という素晴らしい要素を持っているのですから、
それをネオナチという卑屈な集団に加わって暴力で表現するよりも、
もっと他のやりかたで探求するのも必要な事のように思えます。
それは容易なことではないかもしれません。
只、難解な出来事を打破する『勤勉』こそドイツ国家の自尊心の表れであるのです。
私も共に悩み苦しみましょう。
さぁ手を取り合いましょう。


取り敢えずドイツ国内でスキンヘッドで黒いブーツに白い紐を通している若者を見かけたら、
悪いことは言いません。目を合わせないことです。
しかしネオナチには親日家が多いらしいですよ。
日本は過去の同盟国。
「イタリアは2度も裏切ったが、日本は最後まで裏切らなかった。」
と言うのが彼等の見解らしいですよ。
日本だけじゃなく、世界を家族だと思いましょうよ。
その為に世界杯という大会は存在しているのだと思います。
やめてね。痛いことは。

ということで、ドイツが優勝するように応援しようかな。
ワールド・カップが終わったら、どこが優勝したか、誰か教えて下さいね。

そういえばこの前、2002年の世界杯のTシャツ貰った。
今着ても恥ずかしくないだろうか。