極東最前線

Sunday, June 25, 2006

タブー・サンデー

また性懲りもなく苛々しておりまして、
カルシウムの不足は否めない私、加藤でございます。

さて、冷戦時代のアメリカ合衆国連邦共和国を中心とした資本主義陣営と、
ソビエト社会主義共和国連邦を中心とした社会主義陣営との関係、
NATOとワルシャワ条約機構の敵意剥き出しの殺伐とした関係、
マーシャルプランとコメコンの経済的な牽制の仕合、
今正に、その時代の繰り返しともとれる社会が構築されつつあります。

そう、米国と北朝鮮のミサイル実戦配備が着々と進んでおりますね。
キューバ危機以来のミサイルに対する驚異ではないでしょうか。

テポドン発射実験。
そのニュースは瞬く間に世界各国に広まり、資本主義陣営に暮らす人々(勿論我々)や
北朝鮮から半径3500〜12000kmの範囲(射程距離)に暮らす人々にとって、絶大な恐怖と不安を与えるものでした。
大陸間弾道ミサイル(以下ICBM)の発射実験に成功したとなれば、我々の生活の不安は頂点に達するものとみられ、
同時に米国にも多大な苛立ちと恐怖を降り注ぐものとなるでしょう。

米国本土にも到達することが可能な距離を飛ぶテポドン(2号)は果たして本当に発射実験に踏み切るのでしょうか。

マスメディアなどでは、太平洋の海の真ん中に落とす見込み、とされておりますが、
もしも実験に失敗し、宇宙空間に到達する程の噴射量が出ずに日本上空を通過すれば、
勿論領空侵犯になるという可能性も十分に視野に入れておかねばなりませんね。
そして更に実験に失敗し日本に落下するようなことがあったら…。
そして落下してしまったところに原発などがあったら…。
想像するだけで恐ろしい。

というところで米国もテポドンや東風-31、サドラー、スカルベルといったような、蒼々たる顔ぶれのICBMの驚異から身を守るために弾道弾迎撃ミサイルの開発が現在進行形で行われております。
パトリオットとスタンダードミサイルがそれです。
日本海上にイージス艦を配備しそのイージス艦に実戦配備されるであろうそのミサイルは、恐らくSM3スタンダードミサイルであると考えられます(私の見解なので当たっているとは限りません)。
SM3スタンダードミサイルは大気圏外まで到達して飛翔中のミサイルを迎撃するというものでありますが、マッハ20以上で飛翔するICBMを打ち落とすのは困難であるとされており、開発には莫大な時間と資金がかかっておるわけなのです。
日本にも2008年までに完全配備が完了すると言われております。
一部配備は今夏行われる予定です。

様々な文献などを読み漁っておりますと、2008年というのは様々な兵器の完成や配備、軍整備を予定している年でありまして、その「ジャッジメント・イヤー」に何かが起きてしまうという予感がしてしょうがありません。
ハルマゲドンとなる可能性も十分に秘めております。
2008年までに何としてでも私の思想の根回しを完成させねばならんな、と感じる訳なのであります。
手遅れになる前に…。

威嚇するために武装をし、その守備のためにまた武装をする。
武力に勝るものもまた武力であると。
世界がそれを認めてしまっている中で、私達が子供達に暴力がいけないことであると教えていくことの意味とはいったい何なのでしょうか。

「でもねママ。日本の総理大臣や米国の大統領がミサイルとかを使ってるのに、何で僕は拳銃を所持しちゃいけないの?」

そう発する子供達に、私達は国民として何を説明しなければいけないのでしょうか。
只々嘆くことしかできないのでしょうか?
政府が導く道しるべの所々に、地雷やブービートラップが仕掛けられているようでは、
世界は破綻していく一方なのではないでしょうか?

「戦争とは政治活動の一つ」という事を頻繁に耳にします。
政治活動ならば、暴力でものを訴えてもいいのであると言う考え方。
ルールに則って行う行為の一つであるという考え方。
それで大勢の人が死に、路頭に迷い、悲しみや憎しみを生み出す。
何故今まで様々な場所で語られてきたであろうこの出来事に、
何一つ耳を貸さずに、正義だ悪だと喚き散らし、人種を越えて脳味噌を攪拌するようなその行為を
今も尚続けざまに行われているのか。

欲望、金、偽善。

戦争に対して苛立ちや憤りを感じているようでは、偉くはなれないというのが世界各国での共通認識です。
表向きは正義を面を被り「戦争はいけないことです」というパフォーマンス。
そして他国の戦火には喜んで肩を貸す。
肩を貸さねば自分がやられるから。
何よりも自分が一番可愛いのですね。


ここで詩を紹介したいと思います。


『兵器の朝』

産声は遠く細い

奏でる音は美しい

喜びの声はない

悲しむ声もない

近くで音が聞こえない

遠くの音が聞こえる

見えるものは黒く

産声は消え

全ての音もまた消える

冷たく軋む音は

全ての音を掻き消して

全ての色彩をなくす

産声は遠く細い

見えるものは黒い

明日はない

もうすぐ終わる


ⓒK.Katoh(2006)



さて、ここから自己啓発。
遅ればせながら自己紹介をしたいと思います。
自己紹介は自己啓発の基本です。


私姓を加藤、名は景と発します。
平和を愛する民でございます。
見たことすらないことに対し「できない」とは言わない偏屈であります。
皆で手を取り合う揺るぎない社会システムの構築が目標であります。
反戦に身を捧げ、私が死ぬことで世界の均衡が取れ、世界平和が完成するならば、
喜んで死のうと、お気に入りのセイロンティーをやりながら思い、揚げ句に泣く男でございます。
とろけるような甘い口当たりの脳味噌の持ち主であります。
「安全性AAA」、それは車の安全性を示すものであり、私の安全性を示す世界基準でもあります。
動物が好きすぎて動物が飼えない動物愛護家であります。
刀を抜けば、そこは闇でございます。
「反核宣言(関白宣言の替え歌)」を風呂場で歌いながら苛々するのが日課であります。
夢見る少女じゃいられないのであります。
世界の戦争、紛争を無くすためには、全世界の善悪の判断を曖昧にすることが先決であると考えております。
その次に必要なのは、経済の相互依存関係を構築し、武力行使を非合理的なものにすることであると考えております。
趣味は日本刀を振り回しながら、いい顔することであります。
白旗こそ、歴戦の殊勲者たちが残した最高で最大の統一国旗であります。
真面目な人間と真面目な話をするよりも、おもろい人間と真面目な話をするほうが、
己にとって意味のあるもののような気がしております。
バーベキューではホタテを焼く役割を担っております。
時折、1000万パワーに達する事がございます。
手の施しようがないほどに、自虐的な発言を徹底するのでございます。
国家規模の自由主義というものに憧れを抱いております。
すぐ泣きます。同時に吐きます。
特別何かの宗教を信じているという意識はございませんが、宗教の存在自体は素晴らしいものであると感じております。
と言うのも、常日頃に感じることの一つに「皆、個々に独自の宗教を持っている」と感じることが頻繁にあるからなのでございます。
音楽と笑いと酒で世界が救えると思っております。
熱狂的なデッド・ケネディーズ信者であります。
生産は社会が成立するための最低限の労働であり、労働も義務であるというのは少なからず正しいものである事をここで宣言したいと思います。
職業差別には遺憾を示します。
私も差別されていると感じることが屡々ありますが、被害妄想であると自分に言い聞かせております。
好きな事を諦めて犠牲的精神を養うのはひじょうに重要なことであると感じております。
私は酒を断てないし、煙草も断てない。
これを禁ずることで得られるものは大きいと思えば思うほど酒や煙草が断ちにくくなるものなのであります。
国歌を「愛してマスカット」にしたら面白いと思っております。
何事をも完達するための犠牲は必要ないと感じておりまして、
私の思想の奥底には犠牲はゼロの桃源郷と、統一化された思想を持ち合わす社会が構成されております。

そんなところでしょうか…。

因みに写真は世界で初めて音速飛行する座薬の撮影に成功したものです。



1 Comments:

At 6/25/2006 8:04 am, Anonymous Anonymous said...

空想や理想郷よりも現実しか信じれない私の考えですが
何やったって結果が伴うわけで
人を苦しめた人間には何らかの形で必ず苦しみが伴う。
そうじゃないと私が許さない。

先進国だと言われたアメリカが戦後何十年で他国に追いつかれた結果がそうなんだと。

水玉

 

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