亀の頭こけし
皆さん、熱帯夜をいかがお過ごしでしょうか?
そんな夏の夜に相応しく、今日はちょっとした小話に付き合って貰いましょうか。
今夜は悲しきヒューマンストーリー、全米で大ヒット間違い無しのこの作品をお届けします。
では、皆さん。
最後まで存分にお楽しみ下さい。
------------------------------------------------------------
『亀の頭こけし』
こけし、だけども頭が亀。
と言うのが私の生まれ育った故郷の郷土品であるというものだから、何とも面映ゆい、と言うよりももっと単純に恥ずかしい。
全長約30センチ程の木製のそやつは、私が生まれる以前、つまりは25年以上も前から我が故郷の土産物トップに君臨し、山間の小さなこの村の土産物産業を支えていると言っても過言ではなく、地元民の間でも生産中止をするタイミングを完全に失っている困り果てた代物。
こけしの首から上の部分、つまりは頭、そこには本来あるはずのこけしの可愛らしい微笑みがあるわけではなく、亀の頭が乗っかって、何とも小憎たらしい佇まいに相成っているもんだから、ますます私は苛立つ。
亀の首は取り外しが自由なのはよしとして、取り外すと胴体部分の中が空洞になっていて、中にはこれまた地元の名産の芋焼酎がなみなみと入っているもんだから、その亀のこけしを販売している土産物屋では「飲み終えたら水筒としても使えますよ」てな事を言わんでもいいのに、おばはんは笑顔で『水筒使用』を勧める。強要する。
亀の頭は天を仰ぐように上に向かって口をだらしなく半開きにしており、そこからちょろちょろと芋焼酎がでてくる様は、この上ないほど滑稽であり、また猥雑でもある。
それをまた水筒代わりに使おうってんだから、まったくもって図々しい亀だ。
今日び、いや戦時中であっても木製の、ましてやこけし型の、ましてや頭部が亀の水筒を持ち歩く青年婦女がおるとは考えにくく、姿を想像すると、笑いを堪えずにはいられず、買っていくのは勝手であるが、果たしてその後そのこけし達をどうするつもりなのかは知る由もない。
私が小学生時分のある日、クラスメイトが水筒代わりにそのこけしを持ってきたことがあったが、その子はそれが切っ掛けでいじめにあうようになった。
理由は『亀の頭こけしを水筒として使っていたから』。
そのくらいにその亀の頭こけしは一部の地元民からは忌み嫌われ、且つ持ち歩くことが許されない魔具と成り下がっていたのだった。
ちなみにそのこけしを水筒として本当に使用しているのを見たのは、それが最初で最後であった。
私の育った村は某県と某府との境にある山の、某県側の麓にひっそりと存在する人口300人ほどの小さな村な訳だが、そこの職人や巧達はたいがいこの、頭が亀のこけしを飽きもせんと作っている訳で、職人によって作られるものは様々で、亀がウィンクしていたり、忍者タートルズみたいになってたり、ラスタカラーになっていたりと個性を主張するものになっている。
ちょっと前、いつだったか正確には憶えていないが、胴体部分が魔法瓶で出来ているという、完全に水筒使用を目的としたものまで出てきていたのだが、「あくまでこけしである事が重要」と考える村連からの注意により、その魔法瓶型こけしは我々の前から姿を消し、伝説化してしまった。
祖父の話によれば、なんでもこのこけしの亀の頭、つまり亀頭、男性のシンボリックの存在であると言うことに気付いておればそれは淫猥極まりない俗物として早々に闇に葬られておったのであろうが、少々気付くのが遅かったらしく、村の皆が卑猥であると言うことに気付いたのは売り出してから10年近く経って、何故だか解らんが郷土品の中でもダントツの売れ行きを誇ってしまってからのことだったそうだ。
村には亀を本尊とする歴史の長い寺があるわけで、それをモチーフに作ったわけではあったが、売れ出した時はもう後の祭り、完全に後付の理由のような扱いになってしまい、今となっては本尊のことなんぞ誰も口にはしなくなって、うちの母親にいたっては「あんなのウソよ。何で寺の亀がこけしになるのよ。住職が寄付金集めの為に一発かましただけでしょう。」なんてバチ当たりな事まで平然と言うようになった。と言うより完全に居直っていると言う風に私には映る。
理由は兎も角、本当によく売れる。
おそらく観光客は面白がって買っていくのであろう。こんな露骨なこけしは他には蒼々ねえってんで。
勿論近年に至ってもこのこけしは売れ行きを伸ばしていて、中には若い女性やカップルがこれを買っていくってんで何とも隠微且つ滑稽な光景である。
近年の状況は実際に目で見たわけではないので定かではない。が、寧ろ見たくもない。
と言うのも、私、5年前に上京し、それからものの一度も田舎には帰っておらず、近況は母親が度々送ってくる手紙と小包で大体は解る。
田舎へ帰れば、駅の改札口でディスプレイされている1万本を超す大量の亀頭こけしと対面することとなり、それだけで胸焼けがするのは高校の時からで、通学に電車を使っていた私は、毎日のようにあの亀頭こけしの前で電車が来るのを待っていた訳であり、それが今ではトラウマのように私が田舎へ近づくのを阻止している。
外国人観光客向けかどうかは知らないけれども、そのディスプレイスペースの中心に『ジャパニーズ・タートルヘッド・ミニ・トーテムポール』とでかでかと、しかも達筆なカタカナで書いてあるその風景たるや、村の玄関とは思えないほどの醜態である。
半ばその亀の頭こけしから逃げるように上京した私は、勿論無一文、だったと言うのは、職にも就かない己のその怠惰極まりない生活が発端であることは日を見るよりも明らかであり、数週間は池袋や歌舞伎町と言ったような、夜も比較的明るいところをフラフラとしては女性に声をかけ、メシを御馳走して貰ったり、家に泊めて貰ったりで何とか忍んではいたのではあるが、そこは流石に東京女。
彼氏が極道だの、1000万の壺を買えだの、目の前で手首を切るだの、実は男だの、会う奴会う奴全てがワケありの半端者ばかりで、如何せん落ち着いた場所が確保できないってんで、やむを得ず高校時代の同級生である難波君の部屋へと転がり込むも、彼も驚くほどに金がない。
難波君とは高校1年から3年間同級生であったが、在学中は会話をしたことなんざ、ものの数回あるかないか程度の仲であり、とてもではないが友人と呼べる範囲からは逸脱していた。
彼は、我らが“亀の頭こけし村”から電車で30分ほど離れた市街地で暮していた人間であり、密かに私達の村のことを淫猥な言葉で小馬鹿にしていた、世間的に見ると嫌な奴ではあるが、如何せん私自身も自分の村のことを小馬鹿にしているので特別気にも留めずに当時は高校生活をそれなりに満喫していたのである。
難波君自身はおとなしく、特別目立つ方でもなく、寧ろ三下的な扱いの人間であったように思うが、そう言った人間に限って「何かあるな」と臭わせる何かが感じられた、ことは無い。
見た目もさることながら、内容も平々凡々な人間であるように感じていた。
そうして高校卒業後、1年程経過したある日、街のレコード屋で店員の兄ちゃんとブラジルのハードコアシーンについて討論しておると、後ろから突然「僕もコレラよりカオス64の方がノイズバンドとしての印象は弱いと思うよ」と私の意見に同調してくれたのが難波君だったのである。
それから意気投合してしまった私と難波君は、度々連絡を取り合うようになっていったのだが、ある日突然難波君は「東京でハードコアバンドをやる」と確実に貧乏になる路線を宣言し上京したのであった。
特別その後を追ってというような感覚でもなかったが、漠然と「東京か〜。亀の顔したこけしの無い、素晴らしい街だろうな〜。」なんて事を思うようになったのは、自宅でエアロビクスの真似事をしながらテレヴィジョンを見ていた時。
そんなんだったら大阪でも新潟でもどこでもいいだろうてな感覚のみを道標に、やっぱり上京したのはこの私。
難波君に連絡を取るつもりはさらさらなく、と言うよりも彼の存在自体忘れかけており、適当にやってりゃ生活くらいできるだろと踏んでいたのではあったが、甘かったのかどうかは知らんが、食えん。
と言った具合に難波君の4畳半、風呂無し、共同便所の文化住宅の部屋に転がり込んだ訳ではあったが、薄々解っちゃいたのだが前述したように彼も金がない。
何故ならば彼の風貌を一目すれば完全に解るのであるが、田舎で暮らしていた時の彼とは違い、頭は側頭部をきれいに剃り上げたモヒカンヘアー、この糞熱い夏だというのに鋲打ちの革ジャン、ブーツ、首元に見え隠れする彫り物が社会不適合者ぶりを豪快にアピールしているので、アルバイト先なんぞ深夜のコンビニくらいしかなく、そこの面接が落ちたとなりゃあもう後がない。
一通りバイトの面接は落ちたらしく、今は部屋の中で紙袋に持ち手を付ける内職で生計を立て、その傍ら曲作りをしているらしいが、近所迷惑になるので、ギターも鳴らすことが出来ず、ハミングと手拍子のみで曲を作るという、ハードコアバンドとは遠く懸け離れた、極めて切ない生活を送っているのである。
彼は日に日に無口になっていった。
しかしながらメシ喰わな死ぬ、と言うことで、私は母親に定期的に食料品を送るよう命を下したわけである。
母親は月に1度か2度の食料の安定供給に努めた。のはいいのだが、あろう事か毎度毎度、嫌がらせのつもりかどうかはしらんが、あの亀の頭こけしも一緒に送ってくると言う失態を曝していたのである。
直ぐさま公衆電話から母親に電話をするも、
「あんた、お酒くらい飲むやろ思て、わざわざ故郷の懐かしいもの入れとるんやえ。」
「ええて。何で東京来てまであんな忌々しいもん見なあかんねん。」
「なぁにゆうてんのあんた!山下さんとこで作っとるこけしやえ!あんたちっちゃい頃山下さんとこよう遊びに行っとってお世話になっとったろうに!村に初めてカスタードクリームのたい焼き持ち込んだのも山下さんなんよ!」
「知らんがな!そんなん!とにかくもう送ってこんでな!頼むえ!」
と熱弁を振るうも虚しく、毎回のように亀の頭こけしは小包の中で、米や缶詰と一緒に送られてくる。
形は一番スタンダードなほんのりピンク色の、遠目から見れば完全にアレそのものの、我々の間では最も見るのが恥ずかしくなるような、寧ろ、こんなん持っていたら間違いなく女は寄りつかんと恐れられていた、正に呪われし俗物なのである。
根元のほうには、小さく『山下作』と掘られていて、本当に小さい頃世話になった覚えが微かにあるので、捨てるに捨てきれず、気付けば部屋の中には30本ほどの亀頭こけしが生えている状態に相成っていたので、毎朝寝起きで狂いかけては便所で吐くといった生活が続いていた。
そんなある日、いつものように送られてきた缶詰と、亀の頭こけし芋焼酎を難波君と二人でやっていると、難波君は急に立ち上がりにやにやと不敵な笑みを浮かべ、私は、ああまたいつものが始まるのか、とウンザリし、難波君の奇怪な行動を一部始終見なくてはならない数奇な運命を只呪っていた。
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」外国人のイントネーションで米兵のモノマネをするのが、酔っぱらった彼が毎度のように行う儀式なのである。
瞬きの一つもせず、只ひたすら同じ事を繰り返し繰り返し述べるのであるが、言葉の内容は毎回違うのであり、この前なんかは「ノルマンディーデ、ヤッタッタ」と疲れ果てて眠るまでの数時間、連呼し続けるのであるから、これまた傍迷惑なはなしであり、こんな話というかマスターベーションに付き合いたくはないので毎回殴ろうと思うのだが、一心不乱に米兵のモノマネに打ち込む彼を見ていると、そうすることが、何か神を冒涜するような行為であるかのような気がして、易々とは殴ることが出来ないでいた。
東京という社会で淘汰され、疲れ切ってしまったのであろうか、それとも亀頭こけしの魔力に狂わされてしまったのであろうか。
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
今日は踊りがついた。くねくねと。
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
汗が迸り、目は真っ赤に充血し、今にも血の涙が流れそうであった。
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
口からは涎を垂れ流し、下半身は失禁してずぶ濡れであった。
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
「ホラホラ、セントウキ、ジソーホー、センシャ、タイガージャナイヨ、シャーマンダヨ!」
恐らく1000回は超えたであろうその発言の果てに、彼は眠った。
毎回そうであるのだが、翌朝難波君はそのことを全く憶えていないもんだから、何時も私は何が起きていたか懇切丁寧に説明をする。
難波君は「それいいじゃん!俺ってやるじゃん!」と毎回のように嬉しそうにしているが、その笑顔の目元は全く笑っていないのが、不気味でしょうがないから、最近はまともに顔を見て話していない。
そして彼はライブの時、ステージでそれを実践するのであるが、これがそこそこ評判であり、そんな評判が続いていくもんだから、彼は毎回酒を飲んでステージに上がる、だけならまだしも、24時間、常に酒を飲み泥酔状態でいることを心に誓ってしまい、歩道橋から飛び降りて死んだ。
そうして友人、とまではいっていなかったのかもしれないが、少なくとも知人を一人失った。
難波君の棺桶には難波君の部屋に溜まっていた亀頭こけしを全部入れた。
嫌がらせではなく、心から弔いの意味を込めて。
ⓒK.Katoh(2006)
------------------------------------------------------------
さて、夜も更けてまいりましたね。
明日も台風や空爆に十分気を付けて下さい。