無敵崇拝
嗚呼、時間は有限です。
無限の産物ではありません。
只今、会社にて仕事中。
一寸した「待ち」に入ったので調子に乗ってブログを更新します。
閑散とした職場に独り悶々と仕事をしていると、
毎回思うことが一つ。
今、仕事をしていていいのか。
この時間(深夜から朝にかけて)仕事をしていて、大事なことをやり過ごしてしまってはいないだろうか。
衝撃的な、自分の将来を変えてしまえるような出来事を目の当たりにするチャンスを逃してしまってはいないだろうか。
自分を見失ってはいないだろうか。
可能性を見出そうとすればキリがありませんが、
『この時間、刹那に他のことが出来たのではないだろうか』
が今回の内容です。平たく言うと。
始めにも述べた通り、時間は有限のものなのです。
一人一人持てる時間は決まっています。
その決められた時間の中で、自分を高め、無敵の人間に成りたいとは思いませんか?
私は成りたい。無敵に。
そこで、また一つ疑問が湧きます。
何を持って無敵とし、何を持って無能とするのか。
また、無敵と成ったところで、どうなるのか。
その先目標となるものは何なのか。
その道に案山子はいるのか。
正直無敵って何なのか、私も漠然としか解ってないですよ。
『無敵に成りたい』
みたいなこと他人が言ってたら
「こいつ、頭膿んでるんちゃうか」
とか思うのが関の山だと思います。
無敵とは死ぬこと…あほう。死んでもうたら無敵ちゃうわ。
マリオはスター取ったらクリボーに当たっても死なへんやんけ。
でも、溝落ちたら死ぬねん。マリオ。
ほんまもんとちゃうで。マリオ。
しかし憧れませんか?無敵。
響きですかね。韻と言うのでしょうかね。
A「山田って昨日から無敵らしいぞ」
B「マジで?イカすな〜」
の様な会話が日常にあったら、みんな無敵を目指しますよね。意味もなく。
しかし、日常の無敵って何なのでしょうね。
辞書を引いてみると
『非常に強くて敵対するものがないこと。対抗できるものがないこと。また、そのさま。』
とあります。
日常の敵と言えば…やはり自分でしょうね。
己に打勝ち、己に甘んじることなく、己の道を驀進する。
向上心を持ってこそ無敵とは、何とも美談。
只、無敵になった人間が時間をも制することが可能かと言うとそうではありません。
時間とは唯一無二、天上天下唯我独尊の絶対神なのであります。
個々に少しずつ分け与えられ、一度過ぎたる時間は補うことはできても取り戻すことなど不可能。
この世の無敵の存在とは『時間』なのかも知れませんね。
一人間が成りうる対象ではないのでしょうね。
無敵に憧れを抱き、無敵に成る可く己を邁進させる。
たとえそれが成就することがなくとも。
と、こんなこと言っていますが、私は宗教団体等には加入いたしておりません。
自分では
「宗教は入るものではなく、己で開くものだ」
と思っているので。
宗教は悪いと思っていませんよ。
寧ろ素晴らしいものだと思っております。
何かに縋り付きたくなりますよ。人間だもの。By みつを
何はともあれ時間を大事にしましょう。
後々後悔してたって遅いですよ。
死ぬときに気付いても遅いんですよ。
自分を総括したときに、やれることはやったと心の底から言える自分を目指しましょうよ。
只、井の中の蛙では所詮「村一番の力持ち」止まり。
目指すならば世界一。
もっと視野を広げて。
もっと可能性をのばして。
世界とのフラクタルを打破しましょうよ。
溺惑も結構ですが、人生は一刻千金。
怒濤のように過ぎたる日々は倏忽也。
時間は大事。
このBlog書いてる間にも隣のPCは黙々と仕事を処理中。
賢いね。パソコンは。
私も仕事しよ。朝まで。
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