極東最前線

Tuesday, March 14, 2006

示現

岡田真澄のそっくりさんとして有名な、紅いツァーリことヨシフ・スターリン。
20世紀が生んだ、鋼鉄の男。
ナチス・ドイツから国家を守った、その英雄は、
数々の粛清と虐殺の首謀者であると共に、
悲しき背中を持つ人物でもありました。

彼のお茶目な部分が垣間見られる逸話として、
次のようなお話があります。


彼の仕事場には、彼と彼の親密なごく一部の側近しか知らない秘密の電話機がありました。
その電話機は、職場中のありとあらゆる電話を盗聴、傍受するためのものでした。
自分にありとあらゆる権力を集中させるためには、
側近のプライベートをもコントロールする必要があったのです。
そして、自分にとって都合の悪い発言、若しくは裏切り行為が電話で話されようものなら、
即刻、粛清の業火を降り注ぐ。
そのようなおぞましい電話機が彼の部屋にはあったのです。

勿論、何も知らずにその盗聴の為の電話機を設置にきた通信会社の工事員は、
工事の終了後、冤罪を着せられ銃殺刑に処されております。

しかしある時、事件は起こったのです。

「ない!ないぞ!私の電話の受話器がない!」

スターリンは側近に、慌てふためいた様子で自分の部屋の電話機の受話器が無くなっていることを伝えます。
しかも、只無くなったのではなく盗まれたのだ、と。

側近も慌て震えました。
このような怒り狂っているときのスターリンは、誰にも止められ無いことを知っていたからです。
そして何よりも、自分にも命の危険があることを知っていたからです。

「スターリン同志!我々は全力を以て、受話器を窃盗した犯人を捕まえて見せます!」

そしてそこから側近達による犯人捕獲作戦が実行されるのです。

1週間もしたある日のこと、側近は急いだ様子でスターリンの元へと駆けつけていきました。
犯人を捕まえたのです。

「スターリン同志!犯人を捕らえました!受話器窃盗の容疑で400人の容疑者を捕らえ、
その内396人は犯行を自白したため、即刻銃殺刑に処しました!」

何と言うことでしょう。
犯人が400人もいるとの報告なのでした。
側近も血迷ったものです。

しかしスターリンは動揺一つ見せず、寧ろ落ち着き、口元に笑みを浮かべながら、

「何を言っておるのだ。受話器はとうに見つかっておるぞ。」

受話器は盗難などされていなかったのです。
スターリンは受話器盗難を叫んだ一刻後に、部屋の中で受話器が転がっているのを見つけていたのでした。
それで安心した彼は、側近に言ったことなどすっかり忘れ、
また、連日の盗聴に明け暮れていたのでした。

野暮な男だこと。


どうです?お茶目でしょう?
否、笑えんよ。

さて、前置きはこのくらいにいたしまして、
先日のある出来事のこと。

先日、私がいつものように戦車で街を走行していたところ、
外国人内野手が私に向かっておかしな事を言うのです。

「オマエ、後ロノ体ガ、半分ナクナッテルヨ」

何てつまらないアメリカンジョークなんだ。
2秒経っても5秒経っても、その真意が理解の範囲を超越するアメリカンジョークなんて
最早、アメリカンジョークではありません。
私のモットーとするアメリカンジョークは2秒後に爆笑なのです。
何て無礼な奴だ。しかも初対面で。

しかしながら、私は常日頃から、風を体で感じていたい症候群なので、
戦車の操縦は助手の田中角栄君に任せて、
私は操縦席の上の入口より、上半身を出し、風に目を細めながら、
颯爽と走行するようにしているのです。
誰や!おまえ普段から目が細いだろとか言う奴!
貴様らにモンゴル系日本人の気持ち何ぞ解ってたまるか!売国奴めが!

と言いながらも周囲の目が気になります。
その目は私の背中に向けられているようです。
何をまじまじと見ることがあろう。
私は自分の背中に目をやりました。

何と言うことでしょう。
私の背中が無くなっているではありませんか。
何故。何故なんだろう。

私は怖くなり、操縦席に身を引っ込め、只々震えていました。
何故震える?何も怖がる必要なんて無いではないか。
背中がないのよ。それだけよ。
必要ないではないか、背中なんて。
前だけ向いて前進していれば、背中なんて背負っていなくても、
一生気付きもしないさ。
高々背中だ。お腹じゃない。

そして気付けば私は、ペンタゴンの前の路上パーキングで戦車を停め、
私は拡声器片手に外へ飛び出し、
『星条旗よ永眠なれ』と声高らかに歌い上げておりました。
特別反米感情は無いのですが。仕事なのです。
歌手ですから。

と、直ぐに警備員が駆けつけ私を取り押さえようとするのですが、
私はそう易々とは捕まりませんよ。
私は無であり、空であります。
虚空を漂う、実態のない儚き幻でありますから。
『見』で見ようとするならば、私の姿形は雲の切れ目ほども見えぬ事でしょう。
『観』で観ようとするのであれば、私はあなた方の前に現れ、
いとも容易く捕獲に成功するでしょう。
臍下丹田に力を入れ、さあ、私をご覧なさい。
警備員に背中を向け走りだすと、警備員は早速私を見失い戦意を喪失したようです。
何せ、私には背中が無いのですから。
背面を向ければ私は透明となるのです。

嗚呼、背中が無いことを受け入れてしまった。

気付けば私は大日本帝国にまで逃げてきていました。
アラスカ→ソビエト連邦経由で走ると少々くたびれますね。
樺太はいい街でした。
酒も無料で振る舞ってくれました。
私の体に異常が見られるのも、見て見ぬふりをしてくれたのです。
樺太の事は一生忘れることはないでしょう。

食堂の流しで手を洗いながら泣いていると、
流しの下に15年前の自分がいることに気が付きました。
こんなところで、昔の自分に出会うなんて。
しかし、何の感動もない。
寧ろ、うざい。

聞きたいことは多々あるのですが、
私自身への『甘さ』を見せないためにも、
この自分を殺さなくてはいけない、そう一瞬のうちに悟ったのであります。

最期だ。私は15年前の自分に呟き、刀を抜きました。
彼もまた泣き、只打ち拉がれている様子。
「どうした?貴様。項垂れているだけでは何も解らんぞ。」
私は自分に問いました。
「おい童!武士ならば、面を上げて名を名乗れ!意気地無しめが!」
私が刀を振り上げると、目の前の昔の自分は私に向かい顔を高速でこちらに近づけてきたのです。

彼の顔には眼がありませんでした。

振りかぶった刀は振り下ろすことが出来ず、私はその場に膝をつきました。
眼がない。この15年前の自分には眼がついていない。

私は解ったのです。
15年前、確かに私には眼が無かった。
そう、私は誰かの言いなりになっていたんだ。
親であり、先生であり、テレヴィジョンであり、情報であり…。
私はそれらの言いなりにしか過ぎませんでした。
自分自身で何かを感じ、それを表現することを放棄していたのです。
疎外されることが怖かったから。
自分自身が他人とすれ違った感情を持っていることを、当時の私は知っていました。
「皆、何故そうなんだ」と不思議に感じていたあの頃。
それと同時に、「私」を表現すれば、社会の関係基盤の上から剥離してしまうことも
子供ながらに解っていたのです。
勿論それは感覚として。

そして今の自分には背中がない。

「子供は親の背中を見て育つ」
と言う言葉がありますが、今の私にはその背中が無いのです。
民衆の先導者にならなくてはいけない私に背中が無いのです。
皆、私の背中を見ますが、私には無言で民に何かを与えることができない。
民は、私自身に『お手本』を見いだせずにいるのです。

あれから15年が経ち、私は眼を見開く事ができています。
様々な感情を外へと発信、又は表現することができております。
しかしながら、それは只の戯言でしかなかったのです。
理想は告げるが、それが皆の理想であるとは限りません。
只の独り善がり。
前を見て、時には後ろにいる民衆のことも目配せ出来なければ、
到底、己の理想など達観できる筈も無し。

 金谷に花を詠じ
 栄花は先って無常の風に誘はる
 南楼の月を弄ぶ輩も
 月に先って有為の雲にかくれり
 人間五十年
 下天の内を比ぶれば
 夢幻の如くなり
 一度生を享け
 滅せぬもののあるべきか

信長公よ。
私は、この千鳥足の儘、
一体何処へと向かっているのですか。

御仏頼らずとも、菩前での私は只の赤子同然。
未だ生まれてすらもない灰の様。
この様を、また15年後の自分はどう感ずるのか。
破壊に身を投じるか、生産に命を捧ぐか。
私は、360度の視点を持ち、且つ60億の人の声に
耳を傾けていかなければならないのです。

理想はもうたくさんだ。
プロセスが大事なのだ。

戦車は乗り捨て、ほうきで道のゴミでも掃こう。
そうだよ。それが最初なのかもしれないよ。

誰か私の背中を見つけたら、私にそっと教えてください。
貴方のその行為が「あなたの背中」なのですよ。




3 Comments:

At 3/14/2006 10:19 pm, Anonymous Anonymous said...

「プロセス」と「結果」、どっちが大事なのかなぁ。

私には、まだまだ解けない疑問です。

 
At 3/15/2006 11:17 pm, Anonymous Anonymous said...

この作品を3回読ませて頂きました。
作者は、この作品をいかなる気持ちで書いたのか・・・痛切に感じます。
痛切ですね。涙がでますよ


プロセスと結果に悩むsatomiさんに感服致しました。


ってsatomiさんへのコメントかい!!!

 
At 3/17/2006 12:59 am, Anonymous Anonymous said...

嬉しいですね~。
私のコメントに深い意味があることをわかってもらえたということが!!

プロセスは大事。
でも、結果が出なくては「意味が無い」と認めてもらえない。

結果が出ても
プロセスができてないと「偶然」と認識され、認めてもらえない。

ま、答えは結果が出ないプロセスは見直しが必要という事なんでしょうかね~。
結果を出すためにプロセスがあるのだから・・。

 

Post a Comment

<< Home