極東最前線

Tuesday, October 25, 2005

ジェノサイド

戦争とは『悪』でしょうか『善』でしょうか。
私はその判断ができません。

只そこで何故私は『反戦』の怒りに溢れているか。
何故私はそこまで戦争に対して嫌悪感を抱いているか。

それは子供達です。

戦争が子供達に影響を及ぼしているからなのです。
教育というのは洗脳です。
戦争肯定論を物事の判断がつかない幼少期から脳内に擦り込み、
鬼畜日本兵だのサンバルテルミーの虐殺だのを教育の一環として
歪んだベクトルで教育したらどうなるでしょうか?
「戦争は間違ったことじゃないんだ」
「自分の意見が通らないときは、武力行使して然るべき」
と偏った意識を持ってしまったらどうなるでしょう?

一部、雑誌やテレビなどのマスメディアで(情報操作に注意)
子供達が自動小銃を片手に兵隊と笑顔で写真を撮っていたり
片足が地雷で吹っ飛び、松葉杖をつきながら生活していたり
爆撃にやられた母親の飛び出した腸を泣きながら腹に戻していたり…
そのような光景を頻繁に目の当たりにします。

絶句します。

自分が何もしてあげられなかったことにも勿論、
子供達には何一つ罪はないのです。
何故純真無垢な子供達がこのような目に遭わなくてはいけないのか。
「戦争は正しい」と子供に教育。
しかしその子供達が目の当たりにする惨状は、
とても正しいとは言い難い、何とも理不尽な有様。
「先生が戦争は正しいことだって言ってたから、しょうがないんだよ」と
子供は自分に言い聞かせるのでしょうか?
感情すらも押し殺して。

私は政治的な観点から戦争を反対しているわけではありません。
人間的な感情の一つとして『反戦』を掲げています。
厭なんです。不条理に人が死んでいくのが。
子供達が死んでいくのが。
子供達が戦争を始めてしまう将来があるということが。

悲劇、惨劇を連鎖させてはいけない。

テロについても同じ事が言えます。

己の信じた道としてテロ行為を行うということはどういう事なのでしょうか?
強要を外部に押しつけると言うのがどういう事なのでしょうか?
己の信じる道があるというのは素晴らしいことだと思います。
宗教も素晴らしい。
テロ自体も内容は別として、何かを発起しようという観点から見れば別段悪いことではない。
今の日本や世界があるのは革命があってこそですからね。
しかし武力行使には私は反対です。
爆破、発砲、略奪、破壊行為。
他人に害を及ぼしていい、なんてことは現代社会ではあり得ない。
勿論私にとってもあり得ない。
ナイス害なんて無いですよ。

そこで難しいのが宗教上の教えとして武力行使を推進している場合。

正直どうするのが正しいかなんて解りません。
『善』だと信じてやったことが『悪』であると周りには言われる。
日常にもそういうことありますもんねぇ。

私個人の考えとしては、社会の発展、経過に伴い
宗教もその形態を変えていくべきだと考えています。
変えるというか、もっとフレキシブルにと言うこと。
人間が成長するのに、人間以上の存在である宗教が成長しないのは
悲しいことです。
と、まぁ私個人が勝手に考えてることなんですけどね。

戦争とテロは違いますが、人が死ぬのは同じ事。
外部に対する行為だけじゃなく、内ゲバだっていっしょな事ですよ。
人間個人単位で言えば他人は全て外部ですから。


しかし反戦だと言っているのも自由があってこそですからね。
自由を勝ち取るために戦争した例が過去にも沢山ありますから。
自由の女神も戦争に行っていたんですから。

100%の共存なんてあり得ないのかもしれないですけど、
私は100%共存しようとする姿勢で
この世を変えなくては、と考えています。

戦争やテロが無くなるか蔓延するか。
その判断は、私も含めあなた達の双肩に委ねられています。
みんなで変えていきましょうよ。


さぁ、あなたの番ですよ。



最後に、俺のこと偽善者扱いしてる奴!
お前は偽善でもいいから、一度だけ人に優しくしてみろ。
頼む。


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