極東最前線

Sunday, January 22, 2006

ライフ・デザイナー(指図する人間)

やってる?
人生設計やってる?

と、いうことで生活のその時その場で、行き当たりばったりで生活するのって
個人的には何となくですが嫌やなぁと。
不安なんでしょうね。
心配なんでしょうね。
失敗したくないからでしょうか。

勿論一概に「当たって砕けろ」と言うような生活スタイルがいけないと言っているわけではありません。
やってみなければ解らない事なんてたくさんありますからね。

筋が通っていない事を平気でやりたくないな〜って。
人に苛々を叩き付けたり、
己の発言の絶対性を主張し、相手に強要したり、
「金持ちの言うことは聞いておけ」と教育されたり、
やりたい放題やってる人間に、ちょっと抵抗した発言をしたばっかりに
突然キレだしたので「これからはあいつには抵抗してはいけない」のような
暗黙の了解ができてしまったり(以降は更にやりたい放題)。

私、理不尽な出来事を全てイエスと言えてしまうほど
できた人間ではないですよ。

1日のプラン、1年のプラン、1生のプラン。
計画と言うよりは目標と言った方が相応しいですかね。
「今日は最低でもこれだけはやっておきたい」
「今年は○○○○○のような年にしたいね」
「その事象は、私が生涯でやり遂げなければならないのだ」
といったような目標をもって生きていきたいとは思いませんか?

分かり易いところで考えていきましょう。

『皆さんは明日、どのような1日にしますか?』

との質問に対して、私が思うに2パターンの人間がいると思います。
1つは「明日は○○○と○○○をやって、○○○のような1日を送りたいわ」と
目標を明確に提言できる人間。プランがある人間とでも言いましょうか。
もう1つは「明日になってみなければ解らないよ」と
宿命、運命、成り行きに任せる人間。

どちらも間違っているわけではありません。
目標はあるのだけれど、実際何があるかなんてのは
その時になってみないと解らないのですからね。

私個人の見解としては
『この2パターンの考え方の中間ぐらいが丁度いい』
てな事を感じています。
目標ガチガチで、道に外れたことができなくなってしまったり、
ダラダラ惰性で生きてしまったり、
そういった生活というのは疲れてしまいますよね。

現実を尊重するか、希望を尊重するか。

人間性がモロにでてくる、とてもおもしろい質問なので、
皆さんも明日、友人などにこの質問をしてみてはいかがですか?

そこで『ライフ・デザイナー』なんて職種を想像してみました。
保険屋さんとか役所が提案するライフ・デザインではなく、
人生そのものを案内、というか計画を立ててくれる職業。
カウンセラーと少々近いのですが、全く違う職業です。
※あくまで私の想像上の職業です。
 ハローワークに行っても紹介してくれませんよ。

地図がもしも人間だったら、この職業に近いのかもしれませんね。
只、圧倒的に違う点は、

『地図は目標を決定してくれない』

という点ですかね。
目標も決められずに、只々鬱屈しているだけの人間に
到達点を明確にしてあげる。
そんな役割の人間に、我々は人生の道を尋ねる。
そしてライフ・デザイナーは断言するのです。

あなたは北に向かいなさい。そして刀鍛冶になるのです。
兵器としての刀ではなく、精神の、心の刀を作るのです。
それを平和のために使いなさい。
皆がお腹いっぱいに食べられるだけの世界を作るために、その鎚を振るのです。
常に刀を鍛えることに集中しなさい。
様々な出来事に、感受性のアンテナを立てなさい。
感じなさい。泣きなさい。笑いなさい。
それが刀を鍛える、一番の鍛錬です。
時には民衆の刀も鍛えてあげなさい。
あなたの心の鎚で、皆の心を火の刀とするために生涯を費やしなさい。
あなたは大丈夫。
必ずやり遂げることができます。
私もそれを信じていますよ。
さぁ途中まで一緒に行きましょう。

の様に人生をデザインしてくれる。
もっと細かく、

「明日は此の服を着なさい」
「○○ちゃんと飲みに行くときは白木屋にしときなさい」
「車はセルシオにしなさい」
「ブロンディのベスト盤は買いですよ」

など、価値観を強要するような職種。
只、主観的価値観を見失ってしまった現代人にとっては
正に救世主とも言えるのではないでしょうか。
己の価値観が解らなくなってしまい、
何処に行けばよいのか、何をすればよいのか、
後は朽ち果てるしかないのか…。と項垂れてしまっているような方々にとっては
手助けになれるのではないでしょうか、なんて。
宗教っぽい?

しかしながら、最初のほうにも述べましたが
「ガチガチよりも、ちょっと曖昧くらいが丁度いい」
という『遊び』の要素が大事になってくるのですよ。

ライフ・デザイナーとはあくまでも提案する人間。
勿論自分の人生ですから、自分が自分であるための譲れない要素があるはずですよね。
それを織り交ぜて、オリジナリティーのある人生を送ることが大事になってくるのです。
ライフ・デザイナーという職業が、そのヒントとなる役割を担うことができるならば、
私はその職業に就くために邁進する所存です。

只、私には未だそれだけの力量はない。

風の体が欲しい。
林の心が欲しい。
火の脳が欲しい。
山の意志が欲しい。

人生とは糾える縄の如し。
風林火山の信念と共に、私は生きている。


最後に詩を紹介します。


『かます』

泥水に横たわり

いつもの鼻歌一つ

余裕があるなら

いつもの鼻歌二つ

岸壁で下向いて

いつもの鼻歌三つ

余裕があるなら

いつもの鼻歌四つ

待っている

あなたが来るのを

みそ汁すすりながら


   ⓒK.Katoh(2006)



さてさて夜も更けてまいりました。
私の明日は如何でしょうか?
これから、私というライフ・デザイナーに尋ねてみることにします。



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