苛立ちは現代の伝染病だ
努々ならぬは漢の発芽。
雲散霧消の匍匐前進。
競歩か将又牛歩なのか。
走れぬ体は、只歩むのみ。
世捨て人、否、仕置き人。
狂い咲きては乱れを知らず。
嗚呼、世直し。
未だ監獄真っ只中。
狂いそうになるよ。まったく。
さてさて、今日はやたら冷えるので、酒をしばきながら書きます。
皆さんも風邪なんぞという、巫山戯た相性でお馴染みの病の類には、
気を付けながら、酒をしばいてください。
ところで皆さん、『怒りの波動』を感じたことはございますか?
「何ぞやそれ。怒りの波動ときたで。おい。又加藤のボンクラときたら頓珍漢なことぬかしよってから。いてまうど。こら。」
と私に対して不快な印象、又は苛立ち、腹立たしさを感じ、
ムシャクシャしてきたので、部屋中のありとあらゆるプラスチックにサインペンで
「ぷらっちっく」と材質の説明を書き殴り、
更には部屋にホースで水を撒き散らし、「寝るところがないど」と泣き喚き、
悲しみと怒りでベランダに飛び出し、一人で花火。
「糞。木瓜。滓。」などと呟きながら、硝煙の臭いで又一泣き。
八つ当たりでもしたろかしらん、と外へ飛び出し、壁を一つ殴ってみると、拳の骨を粉砕。
それでも「畜生。畜生。」とひたすら壁を蹴り続けていると、
いつの間にか、どこからともなく現れた警官と野次馬に囲まれ、
警官に「ちょっと君、いいかな。」なんて気取った台詞を抜かしやがるので、
「俺は狂っていません。『怒りの波動』に怒ってるのです。」と丁寧に説明し、
狂っていない証明として、踊りを一つ披露したろ。
ダンス。あ、ダンス。ああ、ダンス。
ギャラリー皆笑顔。どや。俺のダンスで皆が笑顔や。
平和の舞やど。こら。何が「ちょっと君、いいかな。」や。
まったくどいつもこいつも。
「怒りの波動」に「ちょっと君、いいかな。」やと。
よかねぇよ。怒ってんのよ。手が痛ぇのよ。
よかねぇよ。医者呼べや。
と、いつまでも踊っていてもしょうがないので、やめた。あほらし。
何や。どいつもこいつも腐れ目ん玉ぶら下げて、
ジロジロニタニタ見よってからに。動物園ちゃうど。
こんな日に限って帯刀してないわん。刀があったら皆殺しやど。
てんで帰ろかなんて思ってたら、また「ちょっと。君。待ち給え。」と警官。
やかまし警官やな。はよ医者行かせ。
あー腹立つ。
てんで警官の目ん玉に指突っ込んでほじったった。わての手、折れてまっせ。いてて。
「ぽろん♪」、若しくは「とぅるん♪」の様な効果音がやたら可愛いね。
そんで目ん玉取れた訳やけど、何やろか?
周りが驚愕の表情、又は恐怖の表情。
さっきまでの俺の舞はどうした。
あんなに皆笑顔だったろう?
この警官のせいで、俺の舞が台無しや。あほか。
も一つ踊らにゃならん。俺が平和を呼ばにゃならん。
てんで踊り散らしては、たまにギャラリーちら見。
まだ笑顔ちゃうな、どないなってんねん。祈りが足らんのかしらん。
解った。手が赤いからあかんねん。このボンクラ警官の目ん玉ほじったとき
手が赤くなってしもたんや。これや。これがあかん。
腐った臭いがぷんぷんする。饐えた臭い。
ハンケチで手を拭き拭きしとったら、どっからともなくもう一人警官。
「貴様!なにやってやがる!手を挙げろ!」なんて踊りの最中に不謹慎やで。こいつ。
そんで、怒るのも人間が小さいよね。てんで私は怒らず冷静に
「何でしょう?」うくく。何でしょうって何でしょう。
そんでよう見たら、この警官、拳銃構えて震えていやがる。
撃ち慣れていないのかしらん。ひよっ子めが。
そもそも何で拳銃向けられにゃならんのや。あほか。
てんで理不尽な出来事に納得できんので
倒れてるもう一人の警官(目ん玉無し)のほうの拳銃パクって乱射。
拳銃構えてた警官の目ん玉に炸裂。おお。目無し二人目。
そんで笑わない群衆も撃ってみよかしらん。うふ。
なんて思ってたら、いつの間にか周りには誰も居ない。
遂に私の平和の舞は完成され、群衆は全て天へと還っていったのだ。
今世界に残されたのは、私と、目の前に倒れている警官二人(目ん玉無し)。
さよか。遂に。
私はやはり天に選ばれた天舞人だったんや。
天よ。私はやり遂げました。全ての人達を貴方の元へ還しましたで。
これで私の役目も無くなった。否、完結したのだ。
「怒りの波動」を超えたった。
ほんで、手に持った拳銃で自ら目ん玉ぶち抜いたった。
手は折れたまま。
上のような状態即ち、「怒りの波動」の放出状態にあります。はい。
つまりは苛々が他人に伝わる(伝える)事を「怒りの波動が放出された」と言うわけです。
自分は隠している、ヘラヘラとしながら内心は怒り狂っている。
只、何故か周りはよそよそしく、
気を遣い、「グラス空いてるけど、何飲むん?」とか聞いてくる始末。
隠しているつもりでも、苛立ちと言うものは他の人間に知らず知らず伝わってしまっているものなのですよ。
私自身は、けっこう「怒りの波動」に敏感です。
人が怒っていたり苛々していたりすると、
こっちにもそれが伝染し、即刻フェードアウトしてしまいます。
そこで思ったのですが、
「他人の苛々には正面から向き合わねばならないのではないか」。
苛々から目を逸らすと言うことは、
怒り、憎悪が渦巻く戦渦の中でも、同じように目を伏せてしまうのではないか。
そんな人間が、混乱の中の皆を救えるのだろうか。
私は受け止めていきたいと思います。世界の苛立ちを。
そしてフラットな世界を建設していきたいと考えています。
苛立ちのない、衣・食・住の基本の三角形が
流れるが如くに回転する、パーフェクト・ワールド。
貧困、飢え。
子供達の悲しみや苛立ち。
私は受け止めなければならないのです。
皆さんも「怒りの波動」を感じることがあったら、
変に気を遣って、いらぬおべんちゃらを言う前に、その事実と向き合って下さい。
そっとフェードアウトしてしまうのではなく、その事実と向き合って下さい。
「知るか、木瓜」とか罵る前に、貴方にはやらねばならぬ事があるのです。
世界を救うためには、全員が救世主になる必要があるのです。
そこで皆さん。
明日、誰かの「怒りの波動」を感じたら、それとなくその人に臭わせてあげて下さい。
「あんた、苛立ちが外に溢れ出てるけど、何かあったん?」てね。
相手はもっとイライラすることでしょう。
あかんやん。
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