極東最前線

Wednesday, April 12, 2006

血の雨の一滴

さり気なく呟くその一言に、いちいち落胆する私。
貴方のその何気ない一言に私は考えさせられる。
苦悩と闘争心の塊である此の嫋々の風の囁き声は、
又私の無能さに拳を突き上げるばかり。
何とも人間。
其の目覚めの中に、私の目覚めも含まれるのか。
この身、喩え滅びても、我が咆哮は屈せず。
叫びは届かずとも、燻り続ける。
火種は何れ業火となり。
せせらぎはは何れ疾風となる。

地獄で会おう。
誰も居ない地獄で。
墓場で会おう。
皆が居る墓場で。

雨は強く降る。
しかし全て水には流してくれない。
万物全ては雨。
雨で始まり、雨で終わる。
時雨の裁きは、感じぬまま。
荒野に整然と連なる孤独と不安。
春夏秋冬の雨はきっかけであり、また幾重にも重なる苦しみでもある。
雨は呼び覚ましてくれる。
天土の恵みを、人の怒りを。

悲しい話は晴れの日に話す。
雨の日に話せば落ち込むばかり。
晴天の元、悲しみの話は相殺される。
孤独は太陽が掻き消してくれる。
太陽も孤独。
同じ類だ。

目に映らないほどの雨は、己の器では到底足りない。
雨は偉大。
生産力の鏡。
我々土民は雨無くしての芽生えはない。
無条件の生産は人間にはできない。
特に我々日本国民には。
雨は労働者の見本である。
雨は無条件に降り続ける。
雨は。

また咆哮は自我を超越する。
私の知らないところで、叫びが一人歩きする。
私は言っていない。
「憶測の私」は悪であるが、存在は否定できない。
矛盾の庭で彷徨いながら、出口も見えない堂々巡りを、
いつまで続けるかは解りもしない。
人間であることの固執。執着。
抜け出さねばならないが、自分自身でそれをまた阻止しているのだ。
人のせいにしている。
責任は自分には無いと思っている。
人々の無関心さを呪い、
自分の無責任さを露呈している。
他人の関心への執着が、自分自身から目を逸らすことなのだ。

見えないものを見ようとしても、そこには誤解しかない。
まず見えるものを見なくてはいけないのだ。
自分自身を見なくてはいけないのだ。

雲煙過眼の精神で人間を見、
真理の道に達するため、現状への執着を断たねばならない。
行雲流水、雨の流るるが如く。

人生とは糸。
細く長く、色も様々。
紡いではその強さを鍛え、
時に他の綻びをも繕う。
そのもの自体は地味であり、主役に躍り出ることなどない。
誰かを補い、また誰かに補えられ、
己の終わりの近し時には、他を繕うことはできないまま、
何も出来ないまま、半端な長さのままに、その役目を終える。

灰滅を知る者は糸を断つ。
その生涯は半端に残ることは無く、
余力を余して幕を閉じる。
知らねばならない。
糸であることを自覚し、捨て去らねばならない。
それが、個の集でなくして集の個となること。
しかし個の集も偏に個であり、
集の個も偏に集なのである。

雨は水の集まりであるが個である。
雨は雨なのだ。
雨の目的や意志は一つなのである。
我々は雨にならねばならない。
天の浮雲に潜伏し続ける雨であり、
合図と共に落下の一途を辿る雨にならねばならない。
目的は一つならば分かり易い。
3つも4つも60億個も在るが為に、人々は迷い、彷徨い、苦しむのだ。

淘汰される宿命は、いい加減うんざりだ。
宿命や運命は聞き飽きた。論理をくれ。理由を与えてくれ。
そうしないと、私は理由をでっちあげるばかりだ。
私を止めたいならば、納得のいく説明と理由をくれないか。
拳は理由にはならない。
言い訳は理由にはならない。
理由の言い訳はもうたくさんだ。
言い訳の理由を聞かせてくれないか。

己の矛盾に気付かず、今日もまた命令を繰り返す。
己の発言の正当性は己にしか真理は解らない。
早口は矛盾を曝す引き金になる。
ゆっくり話すのだ。ゆっくりでいい。

雨脚は強くなるばかり。
雨音は私を今日も急がせる。

明日は雨が微笑むだろうか。

助けてくれとは言わないが、
せめてそっとしておいてくれないか。


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