極東最前線

Thursday, November 10, 2005

覚醒セヨ

私は本当に目を見開いて物事を見据える事が出来ているのか。
時々不安になります。

何も解っていない只の若造なのは確かです。
目を見開くと言うこともどう言うことなのか未だにハッキリ解っておりません。
現実を見ろと。
本質を見ろと。
只、自分に言い聞かせることだけを目を見開くことと勘違いしているに過ぎないのかもしれません。
皆さんはどうですか?

「死ぬまでに何かしらやり遂げたい」
「人々の記憶に、記録に残るようなことをやりたい」
そのような感情に苛まれることはないですか?
私は頻繁にあります。
しかし何をやったらいいのか未だに解っておりません。
ビッグな事をやろうにも、それは誰かの真似事だったりするのです。
金儲けの手段だったりするのです。

其れに気付く度に、自分の儚さ、愚かさに一々落胆するのです。
いったい自分は何がしたいのだろう。
何をする為にこの世に生を受けたのだろう。
自分にしかできないこととは何なのだろう。

其れを考える毎に開眼思考が強くなります。
開眼し、己の見えていなかったものを発見し解剖する。

見えていないものは多いと思いますよ。
見えていないと言うよりも自分自身で、本能レベルかもしれないですが
自然に目を伏せてしまっている状態。
そして収まる箱に収まってしまっているのです。
消極的に成り下がってしまっているのです。

苦痛ですよね。

自分の不甲斐なさ、暗愚さに気付くと、やれんね。
やれんよ。全く。

そこで開眼しろと。
目の前の有りの儘を受け入れ、そして己の想定外の事実をもっと多く実感しろと。
在り来たりでは所詮其処止まり。
他人の真似事やマネー事では、これまでの繰り返しに過ぎないではないか。
これまでの社会、現実を見てきただろう。
何故万人が満足しない。
何故世界は混沌としている。
其れを崇拝し、其れを模範とし、また私は殺戮を繰り返すのか?
自ずと答えは見えてくるでしょう。
「そんなんは厭だ」という答えが。

厭だと思ってからがスタートです。
全てに妥協し、満足していては何も変わらない。
スタート台にも立てていない。
厭だと思えることについて建設的な考えを以て、一つ一つ打破していければ
最後には人類にとって明るい将来が待っていると。
全ての人間がアイデンティティーを持ちながらも共存できる、
そんな理想郷を求め模索していきましょうよ。

「できない」なんてやってもいないのにラインを引くのはナシにしませんか?
己のエルドラドを体感したことも無い人間が「無理だ」とか決めつけないで。
宇宙人を見たことも、探したことも無いのに「いない」と決めつけないで。
貴方は宇宙の全てを知っているのですか?

只、理想を現実にするやり方なんて知らないですよ。
私に向かって
「じゃあどうすればいいんだよ。言ってみろよ。」
なんて言うのはお門違いですよ。
自分で考えろ。阿呆。
人に頼るな。逆ギレするな。


覚醒のタイミングは必ず皆さんに訪れます。
その時期を逃すも逃さないも己次第。
その時期を引き寄せるも引き寄せないも己次第です。
自分の環境を変え、境遇を変え、其れを引き寄せる人もいるでしょう。
其のような人間が周りにいても引き留めないで欲しいのです。
彼らは彼らの考えを以て、眼を開こうとしています。
私、ましてや他人があれこれ口出しできる範囲外なのです。
彼を牛耳る権利は彼にしか無いのですから。


最後に詩を紹介します。



『足枷とは自分』


この世に墜ちた

その意味を問う

解りません

ただ

ただ一つ言えることは

私は

私なりに

世界に意味を持たせるために

生きていると言うことだけ


   ⓒK "The International" Katoh 1999年)


私に、そして皆さんに宿題です。
今まで考えてもみなかったようなことを考えてみてください。

己の居場所が、存在意味が。



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