極東最前線

Thursday, November 03, 2005

Y(最後の警告)

睡眠過多で調子がでない。
疲労困憊、頭も痛い。
不死身の身体を欲しては
同じ事しかできないで居る。
嗚呼、嗚咽、又嘔吐。
私に春などあるものか。


人は己の成長過程に於いて、数々の分岐点を体験します。
私にも今後の人生に、分岐点を目の当たりにすることが無数にある(はず)。
寧ろ、分岐を求めて生活していると言っても過言ではないかもしれません。

友人が江戸に旅立つのを祝う会合が、昨日未明に執り行われました。
彼の分岐点はまさに今。
住む場所を変えるというのは、分岐でありリセットでもあります。
全く知らない人間の集団に自分という存在が突然混入する。
自分への前評判がない場所に行く。つまり
「自分のキャラクターを好きに作ってもよい」と言うことになりますね。
ワクワクしますよね。

可愛いキャラでいこうか、それともチンピラキャラでいこうか。
いやいや、今の時代は韓流キャラやで。韓流男前キャラ。
ん?まてよ。俺日本人やしな。そしたら無難にキムタクキャラ?
ん?まてよ。俺一重瞼やしな。今、肉体的コンプレックスを指摘したやろ。あかんで。俺。

とか何とか言ってても、結局は今現在と似たようなキャラが付くんですよねぇ。
しかし本気で変えたいと思っているなら変えることも可能ですよ。
きっと旅立つ彼はそのようなことは考えていないでしょうけども。

彼の存在価値、アイデンティティーは無限大です。

必ず全てがプラスの方向に向かって進んでいる道であると、
私は信じ、願っています。


話は変わりますが、皆さんは他人の幸せで笑えますか?
私はまだまだ未熟者で、100%喜べるかと言うとそうではありません。
やはり自分が幸せであることが絶対条件になっているように思います。
自分が満たされていないと、他人の事まで目配せできないのです。

何が幸福で何が不幸か、何て言うことは相対的であり、人間個々で違ってきますからとやかく言いません。
只、万人のその瞬間、刹那が幸福であればよいなと。
それが無限に連鎖していけばよいなと勝手に思っているわけです。

それがオポチュニスト、モラリスト等と世間では非難されることも屡々あります。
偽善者と称されることも屡々あります。
しかし私は本気です。本気と書いてマジです。
世間でどう罵られようが、粛清を受けようが、
私は貫き通しますよ。

『偽善行為すら出来ない貴様に、偽善者を笑う資格はない』By Katoh 2005 Style

貴方のその一撃が人を不幸にしていることに気が付きましょうよ。
貴方のその言葉の鉄拳制裁が、世界に戦争をもたらしていることに早く気づきましょうよ。

でも私も昔は
「自分の幸せより、他人の不幸を笑え」
みたいなスタイルでした。
凄くケツの穴がリトルで、且つ非道く醜い考え方ですよね。
世間と、社会と触れ合えば触れ合う程に考えは変わってきました。
他人を蔑ろにしてまで、己を幸せにしたいとは思わない。
洗脳、情報操作とは又違う、とても心地の良い変貌だったと私は感じております。

あれも分岐だったのでしょうね。

今後私は幾つもの分岐を体験すると思います。
背中を叩かれ、勢いだけで道を選択してしまうこともあるかもしれません。
只、分岐点一つ一つに存在意味があり、間違った道なんて言うものは存在しない。
どの道を選択しようが、必ず道は開けているし、又自分にとってプラスに成る可能性を秘めています。


突然ですが詩を紹介します。


『浮遊人』

自分の病気に

ついていけない

ほったらかして

辿り着いた先は

夢、また夢心地

居心地悪くて

今日も吐く


ⓒK.Katoh(2000年)


そして最後の分岐点に皆到達するのです。
最後の分かれ道は世界中の人間全てが同じ選択を強いられます。


最終分岐

『幸福だったか、不幸だったか』



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