笑翡翠プロレタリアート
最近、お腹の底から笑っていますか?
笑う事ってもの凄くいいことですよね。
身体の健康にとっても、メンタル面の健康にとっても。
テレビジョンやマスコミュニケーション等、情報が偏りがちな機関にも
やはり『笑い』という要素が大事になってきます。
『笑い』というか『エンターテイメント』。
最近では毎日のようにテレビジョンで『バラエティ番組』を放送していますよね。
私個人はあまりテレビジョンを見ない方なのですが、
そういった「人を楽しませることを主体にした番組」というのは
存在自体を大事に、今後もあり続けてほしいなぁと勝手に思っています。
バラエティ番組が日常に溢れていると言うことは、
まだまだ日本が平和だと言うことなのでしょうね。
日本で戦争が開戦されたら、バラエティ番組どころではないですからね。
報道特別番組しかないテレビジョンなら、
放送局はNHKさんだけでいい、ってなっちゃいますもんねぇ。
頑張れ、民間放送局。
Stop War
音楽業界のエンターテイメント性には目を見張るものがあります。
驚愕、感心、恍惚。
音楽というのは日常で最も身近な外的接触に伴うエンターテイメントであると思っています。
太古の時代から宴や儀式の時には、音楽や演舞等が用いられていました。
人間と音楽というのは切っても切れない密接な関係にあるのです。
商業音楽、民族音楽、様々な音楽形態がありますが、
どれもこれも素晴らしい。
皆さんも、心を動かされた音楽が何かしらあるのではないでしょうか?
ある人は松浦亜弥の表現力に驚愕し、
ある人は鳥肌実の演説、ロマンポルシェの漢気に心を動かされ、
ある人は Discharge や Dead Kennedys のメッセージに自分を見つめ直す。
感じる内容は様々、十人十色であると思います。
只、全てにおいて共通点がありますよね。
何かしらの感情を生み出すという点です。
感じることは千差万別であり、自由です。
音楽の受信側は、内容を自由に自己解析で解釈することができます。
それについていちいち批判だの「その考えは違う」とか
言ってくるのは、あまり頂けない行動なのではないでしょうか?
「私はこう感じたんだからほっとけ!価値観を強要するな!」
ってなっちゃいますよねぇ。
『音楽を聴く権利ぐらいくれ』By Katoh The Public
常に笑っていられるような社会を目指したい。
そう思い立ち、とりあえず自ら実践、
つまり常にスマイルを心がけてみましたが、
「何ヘラヘラしてんねん」
とか、冷めたこと言う木瓜茄子のせいで敢えなく挫折。
私は人と話す場等で、人を笑わせる、愉しませる事をモットーとしているのですが
皆さんはいかがでしょう?
人が笑ってくれると私は嬉しいですよ。
自分も愉しくなります。
私の昔からの友人の一人に
『罵倒、下ネタが笑いになる』と考えている人間がいます。
もちろん上手く使えば笑いに持って行くことは可能です。
只、半端な能力でそれらを披露すれば、笑わせることが不可能どころか
自分の人間性すらも疑われてしまう。
まさに両刃の剣なわけです。
自分の言ったことで自分が傷つくのは勝手ですが、相手まで傷つけちゃいけないよ。
と、自分にも言い聞かせているのでした。私。
愉しみましょう。笑いましょう。
そうやって笑いを取り合い、
ついでに手も取り合って生きていきましょうよ。
エンターテイメントに国境はありませんよ。
皆、愉しむ権利があり笑う権利がある。
人権としての愉しむ権利を、
皆さんも大事に生活してみてください。
大東亜、極東に潜む漢はまた笑いを求めて彷徨い歩きます。
徒労では無いと己に言い聞かせ、
中産階級の先天性労働者を呪うこともなく、
只、何時か爆裂してやるぞ。
階級闘争に屈することなく、
只、何時か第4インターナショナルの結成と
笑いというヒューマニズムの今以上の確立を目指し、
私は精進する所存であります。
我が咆哮よ、屈する事勿れ。
以後、宜しくお見知りおきを。
1 Comments:
表現柔らか
1日1句
Post a Comment
<< Home