悲しき禊ぎ
今日は比較的暖かいような気がします。
なんて、気候や天気、季節の話何ぞをしだしたら、
私も歳をとったのだな、なんて感じてしまいます。
それと共に、やたらとタクシーの運ちゃんとも話が盛り上がってしまいます。
今日もある出来事がきっかけでタクシーを活用することと相なったのですが、
60過ぎの翁と「宇宙と氷河期」について懇々と話し込み、
揚げ句、「大雪が降ったくらいで喚くな」と
最近のマスコミュニケーションに対してあからさまに敵意を剥き出しにし、
代金を少々おまけしてもらっちゃいました。
ところで、皆さんは「あんた変やで」なんて事を言われること、ございますか?
私は何故か幼い頃、物覚えがつくかつかないか、首が据わるか据わらないかの頃から、
散々、まるで念仏でも聞くかのように言われ続けてきました。
何を以て「変」と言われるのでしょうか?
今日はそんなお話。
私はこれまで「変だ」との忠告(又は自己確認)の一言一句を
全て聞き流してきました。
気にも留めず、反省、改心すらすることもなく、今日まで生きてきました。
当たり前になりすぎてしまっていたように思います。
私が変なのは定説。
私が変なのは、空に太陽があるのと同じ。
当たり前になりすぎて、皆の心に受け入れてもらっていないことにすら気付かない。
自覚が無いのがそもそもの悪の根元であると考えます。
と言うことで自覚してみます。
私が変だって?
何で?何でよ?
言われてみれば…。
「あいのり」っていうテレビジョンの番組ありますよね。
あのテの番組が私、とびっきり苦手でして…。
けっこう長者番組のようですが、私、通算で10分ほどしか見たことがありません。
あの番組のことを雑誌などで見ることが屡々ありますが、
悲しくなります。
「こいつら紛争地区までわざわざ出向いて、愛だ恋だの現しか抜かせんのか。」
「何がラブワゴンじゃ。俺には霊柩車に見えるわ。」
「こいつ実家の近所の○○屋の娘やないか。」
「若人よ。もっとやることがあるだろう?」
などと、儚きかな罵倒をしてしまいます。
今日もテレビジョンのスウィッチをオンした瞬間、その番組が放送していたので、
慌てて、奇声をを発しながらチャンネルを回し、
「伊東家の食卓」を目的もなく見ていました。
「地球を救う裏技」みたいなのもやってください。
変すか?
そうでもないっすよね?
私は私自身、皆と何一つ違わない。
そう、今でも思っています。
ちょっとした発言。
ちょっとした行動。
ちょっとした思想。
どれも皆さんと酷似しているはずですよ。
ただ、ちょっと極端なだけではないでしょうか(そこは自覚済)?
それだけで私を『異物』として認定するには少々気が早過ぎやしませんか?
『犬も朋輩鷹も朋輩』なんていう言葉が昔からありますよね。
鷹狩りに於いて、犬と鷹では主の扱い方には差があるが、
主に仕える側としては同じ目的をもった同志であると。
役割や地位が違っていても、同じ主人に仕えれば同僚であることに変わりはないよ、と。
私たち人間は「世界がここにあるのだ」という証明をするために
この世に生を受けているのではないか、
てなことを時々考えたりします。
この世になにも存在しなかったら、誰がこの世に意味をもたせるのでしょうか?
我々は動物であり、草木であり、原子であります。
皆、同じ目的の為に在るのです。
『存在の為には理由が必要だ』By Katoh The Assessment
その目的をもった同じ人間に、
「私はまともだが、あんたはキ○ガイ」と誰が言えましょう。
皆、アース・コンシャスを考えていますよね。きっと。
そう信じたい。
考えてますますよね。ね。ね。
きっと皆さんにも解るときが必ずくる筈です。
私は間違っていない。
歴史が未だ私に着いてきていないのだ。
現代のシシュフォスは、やはり未だ苦行の真っ只中。
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