極東最前線

Saturday, November 26, 2005

歯車に

人生とはコミュニケーションである。

なんて哲学的な言葉から入る今夜の極東最前線。
別段深い意味合いはないです。
只単にコミュニケーション能力が欲しいっていう願望を偉そうに言ってみただけです。

しかしながら、コミュニケーションって大事だなぁなんて感じる昨今。
他人と会話する事は、様々な内容、感情の産物ですよ。全く。
自分に利益を生むために、あれこれ策を練る。
保守、布石、恍惚、策略と、十人十色、千差万別の策が生まれてくる事と思います。
人は褒め殺しを以てコミュニケーションと言い、
またある人は罵倒、社会的格差を以てコミュニケーションと言い、
またある人は、祈りを以て心のコミュニケーションを図り、
またある人は、上下関係という浅はかな束縛に囚われず、己の感ずるが儘にコミュニケーションを図るでしょう。

私は人と会話等をしていると、純粋に『楽しいなぁ』と思って時間も小便に行くのも忘れてしまいます。
罵倒や陵辱を浴びたとしても
「この人は私の事をこんな風に思っているのか。未だ未だ伝わってないのだねぇ。」
なんて事を思いながら、己のコミュニケーション能力のなさを恥じ、
社会勉強なのだよ、是も。といつ何時にある同じシチュエーションに向けて
家に帰ってからバーチャルコミュニケーションをひたすら行います。心の中で。
対策を立てて次に同じ過ちを繰り返さぬように、と。

自分と異なった価値観を持った人間の放つ言葉というのは強烈です。
その人が何気なく放った言葉が衝撃的なインパクトと共に
私の胸に突き刺さる、若しくはトラウマとなる事が屡々あります。
勿論その人間には悪気は微塵も感じられず、
只単に私の被害妄想、多感であるが故の障害に過ぎないのかもしれません。

しかし貴重だとも思っております。
コミュニケーションをとらず、自分の殻に閉じこもっていたら、
到底感ずる事の出来なかったようなインパクトに遭遇できるのですから。
とても勉強になります。
「こういう人もいるのだなぁ」
と参考になります。今後の己の在り方云々の。

コミュニケーションをとる場所、つまりはコミュニティーがどういった環境か、
というのも楽しめるかそうでないかの一つの解りやすい空間です。
アソシエーション的な場所であれば、同じ思想、目標を共有しているので、
楽しめる、若しくは楽しむために必要な要素を常に持ち続ける事が
己のモチベーション次第では可能となってくるでしょう。
アイデンティティーの共鳴とでも言いましょうか。
只、ディベート、十王の御前ともなれば話は別で、
緊張と支配欲、怒りと断獄への恐怖心で、とてもではないですが
楽しむ事などとは無縁、コミュニケーションがどうだとか言ってられないですよね。
生きるか死ぬか。
壮大なテーマの元、如何に相手を丸め込むか。
営業職やペテン師(これらはイコールではないですよ。悪しからず。)等という商売は
本当に難しい商売だと思います。
コミュニケーションが仕事ですからね。
私なら割と直ぐに弱音を吐いて朽ちるでしょうね。
尊敬します。

コミュニケーションを取らない考え方の一つとして、
アイソレーショニズムという考え方も一つの存在証明論なのでしょうけれども、
私はやっぱり皆と楽しく関係していたいと思っております。

コミュニケーションの形はいろいろあるでしょうけども、
人と人との関わり合いというのはどの形にも付きまとってきます。
しわ寄せが生じる事も多いと思います。
只、そのしわ寄せを皆でピンっと張って補う事が出来れば、
必ずしや皆さんにとっても私にとっても安堵の将来があることでしょう。
イコールパートナーシップの精神で会話しましょうよ。

 無くて生きれる事もなく
 有ったら有ったで嘆きの火種
 されど欲するコミュニケーション


皆さんに一つ提案です。
明日、一番初めに会話する人には笑顔で接してみませんか?
必ずその関係はプラスのベクトルに向いていくと思いますよ。




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