Let's Submerge
フランスで顔面移植の手術を受けた女性が話題になっています。
鼻と口を成す三角形の部分が移植されたとありますが、
顔と言うアイデンティティーの象徴の部分だけに、問題になっているようですね。
脳死患者からの移植、顔は似ることは無いということなのですが、
実際はどうなのでしょうね。
鼻と口だけ一緒でも似ることはないのでしょうかね。
スティーブン・タイラーの口を移植したら嫌でも似るでしょうけど。
顔面移植は自分のアイデンティティーの消失にほかならない。
フランスでは現在、他人の、
それも死者のアイデンティティーを受け入れる準備はまだできていない。
と、フランスの火傷協会は否定的。
脳死は受け入れることが出来ても、移植は受け入れられないと。
アイデンティティーてのは顔だけに囚われず、いち人間の心身ともに全身にあるものではないでしょうか?
心臓が強い、肝臓が弱い、日に焼けず肌の色が白い、髪がサラサラ、
手の指紋、走るのが速い、足のサイズが16文、小橋健太のチョップは凄い。
そういったものもアイデンティティーですよね。
では、其れらを移植したら問題になるかというと、ならないでしょうね。
其れが問題になるようなら整形手術もとっくに問題になってるでしょう。
ですよね?韓国の大統領。
私は問題ないと思っています。
否、寧ろどっちでもいいんではないかな?と。
そこで、自分のアイデンティティーとは何かな?なんて事を考えます。
自分という存在そのものが既にアイデンティティーと成るわけなのですが、
自分ではなかなか気付かないものですよね。
明確に自分のアイデンティティーを公言できる人というのは、
相当自分自身に自信がある人なのでしょうね。羨ましいです。
そう成れたらいいですよね。
音楽でもかけましょ。
曲は勿論 X-Ray Spex の『Identity』。
アルバム名、Germfree Adolescents。邦題が「X光線と発泡スチロール」。何?この邦題。
そんで喧しい。五月蠅い。金切り声が。でもイカす。
皆さんのいいところは直ぐ気付くのですけどね。
自分の事だとなかなかね。
悪いところばかりで。
それもアイデンティティーですけど。
結局は型に嵌まってしまったりしてしまうのが人間であり、
大衆に流されてしまう、社会に個性を潰されるのが世の常なのです。
現在の学校教育では整然と「型に嵌まる」ことの大事さを謳っています。
「何でもかんでもみんなそろってお遊戯しましょ」
「この文学はこういった解釈をします」のような。
画一化した個性。それはもう既に個性ではない。
奇骨な人間は迫害され、「何故みんなの様にできないの?」。
協調性というのは社会を形成する上では大事な事であるとは思います。
組織の中では妥協、というか譲り合う精神というのは必要なのです。
その中で、如何にアイデンティティーを確立させるか。
範囲、限度が決められた中でのアイデンティティーの建設。
確かに難しいですよね。
小さい頃は私もよく叱責されました。
運動会のリレーでバトンを受け取った瞬間に突然トラックを逆走したり、
ランドセルをペッタンコ(真っ平ら)にしたり(勿論中にはノート2冊くらいしか入らない)、
修学旅行中に山の中に逃げたり、
教科書を全てロウでコーティングしたり、
平成のミスターやりたい放題。当時昭和。
柳は緑、花は紅。
花は桜木、男は錦。
個性を大事に。更には協調性も大事に。そして更には許し合う心も大事に。
そう自分に言い聞かせるのでした。
日本国最高の人たちに物申す。
『あんたらは最高で最低だ』By Katoh The Republic
ここで詩を紹介します。
『虫』
文句言うなら
後にしろ
俺の死んだ後に
ⓒK.Katoh(2000)
決して私は自分が捻くれてる訳ではないと思っていますが、
皆さんは私の事をどう思っているのでしょうね。
迫害したい奴はしろ。
勝手にしてくれ。
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