排他の力学
お正月気分終わり。
祭りの後と言うに相応しい情緒や寂しさと、
スウィッチを切り替えた瞬間の、身体の周りを颯爽と駆け抜ける凍える疾風が
コミュニケーションをとれないまま、牽制しあう。
なんとも面映ゆいと言うか、切ないというか不思議な感覚に陥りますね。
私、長い休みというのは極端なくらいアドレナリンが分泌するもので、
その休みが終わっても暫くの間は惰性でアドレナリン分泌状態が続くのです。
お陰様で何だか妙に元気。
あんまし寝ていないのですが、身体がフル稼働状態を保てています。
休暇がリフレッシュになるというのはこういう事なのだろうなぁなんて。
このまま1年間、惰性のエネルギーも上手く運用しながら活動していきたいものです。
そんなこんなで今年もBlogを書いていこうと思っているのですが、
なぜ「Blog」なのでしょうか?
別に他の媒体でもいいんじゃないの?なんてな事を人は言います。
そうなのです。
別に何だっていいのです。
日記であれば日記帳に書けばいい。
言いたいことがあるなら、本やCDでだって言える。
そりゃそのとうり。
なのに何故。
私はBlogを書き始めた当初、
「己への再確認を行うため」に何かを不特定多数の人間に宣言することで
己を追い詰め、無理から自分を見つめ直していこう、と言うようなことを考えていました。
もちろん今でもその気持ちは変わっていないのですが、
ちょっとだけ他の目的意識が芽生え始めているのも現実。
最初は自己再構築が99%の割合を占めていたのですが、
今は「手遅れになる前に、皆に伝えておかなければならない」という意識が
日を重ねる毎に次第に大きくなってきているように思います。
それらを踏まえれば1つの理由がでてきましたね。
『Blogであれば、世界中の不特定多数の人間が閲覧する』
だったら出版物やCDでもいいんでないか。
それがあかんのです。
それらは売り物だからです。商売のいち手段だからです。
もちろん売らなくては採算が合わないから売るのですが、
購入しなければ閲覧することも聴くこともできないというのが、
なんとも非効率。
マーケティングも複雑ですよね。
顧客ニーズや販売経路、市場開発といったような
つまりは需要と供給に反していれば、販売することすら許されない。
販売したとしても購入してもらえない。
そんなことが起こり得る。
また、そういった段階を踏まねば販売できないという
タイムラグが生まれてしまいます。
リアルタイムでの発信が困難なのです。
そこでまた1つの理由が生まれました。
『お手軽にリアルタイムで警告を発信することができる』
基本的、且つ初歩的なWebの特性ですよね。
と、自己正当論をひたすら書いておりますが、
別に書きたくない人は書かなくてもいいと思っていますよ。
目的を何においているかで、やることというのは必ず変わってきますからね。
大事なのは、その目的に到達する為には、どの手段が最も適しているかを
しっかり見極めることだと思います。
その手段は失敗するときもあるやもしれません。
その時は正したらいいじゃないですか。
ビビって萎縮していては何も始まらないし、何も見えませんよ。
ただ、新しい媒体を受け入れられなくなってくると、
己の頭の堅さ、老い、世界観の狭さを痛感してしまいますよね。
脳味噌やらかく。
さて、そんなこんなで酒でもやろうかしら。
今夜は泡盛と頂き物の野沢菜で決まり。
うまそ。
新人類よ。
道が見えるかい?
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