コンテンダー
鬱悶、されど狂気の盾と矛。
全てに耳を傾け、行き詰まり煩悶、懊悩。
影を畏れ迹を悪む、まさに是。
患難、艱苦。僥倖を望みては、兆しを夢見ては。
この世は此岸。
悩まずして生きられるほどの土壌、我に無し。
震憂。いやさ真憂。
憂いの裁きに手も足も出せない。
恒久の平和を乱す行為は違法論として国際法として違法とされています。
ケロッグ・ブリアン条約、国連憲章によって武力行使は違法化された訳ですが、
そのような枠組みというもの自体が、私にとっては寂しいことでもあります。
・自衛の場合
・安全保障理事会において認定された「国際社会の平和と秩序への脅威」に対する強制行動
・地域的取極や地域的安全保障枠組みにおける強制行動
上記以外の武力行使は違法ですよ、というのが国際法。
実際、これらに反する形で同盟加入国は第二次世界大戦を引き起こすわけです。
本日は何故戦争というものが起こってしまうのか、というお話。
戦争が起こるのにも目的というものが存在します。
「侵略戦争」「自衛戦争」「制裁戦争」と、ニュースなどでは目的によって
戦争自体の表現を類別することがありますね。
しかしながらこれらは当事者(被害者・加害者)の主観が入り交じる余地が大きく、
真意の類別というのは困難です。
只一つ共通の目的として言えることは、
『自分の意志を相手に強制するための手段』
として戦争が起きているということなのです。
己の意志とはそもそも何か。
宗教、宗派、思想の違いであったり
民族の違いであったり
国境線や領土問題であったり
領土拡大、他国への侵攻が目的であったり、と
いかにせよ自分中心の考え方であることを認めざるを得ません。
もっと噛み砕いて言うと
『私と考え方が違うので、虐殺します』
と言うようなことも一口に言えてしまいます。
しかし戦争が勃発する理由はこればかりではありません。
最も大きな理由としては他にもあるのです。
『戦争とは他の手段をもってする政治の継続である』
と、その昔、クラウゼヴィッツ陸軍将校が戦争論の中で説いています。
これがつまり何を意味するのか。
つまりは、戦争とは政治的観点において、合理的に行動ができるということなのです。
政治を行う上で、戦争には様々な産物がありすぎてしまっているのです。
軍需産業による好景気をもたらし、相手国の資源を略奪する。
産業の発展と戦争とはイコールの関係なのです。
つまり戦争を無くすためには、
戦争が非合理的(儲からない・得しない)ものにすることが大事なのです。
世論としては「戦争反対」の風潮が近年では盛んになっています。
政府への戦争支持が無いにも係わらず、戦争は繰り返されています。
国民の支持を集めるために、理由を捏造し戦争。
某合衆国の「対テロ戦争」などはいい例だと思います。
愛国心を煽り、正義感を煽り、戦争の正当化。
何が正義で何が悪か、それらを明確にする為の情報操作による洗脳。
『戦争とは正義と悪のラインを引く為の壮大な労働だ』By Katoh The Japan
正義と悪のラインを明確にしてしまうと、世論は正義のほうに肩入れしてしまいます。
戦争を天の制裁として正当化してしまうのです。
一部の情報操作に敏感な人達はこれに惑わされることなく
「反戦」を真に掲げることができていますけどね。
正義と悪とは「対する相手」がいて初めて意識されるもの。
私は正義でもありませんが悪でもありません。
只、誰ぞかが私に対して嫌悪感を抱けば
私はその瞬間「悪」となるのです。
そこで皆が意識して正義と悪を曖昧にすることが戦争放棄の手段になるのではないか、
と私は考えています。
戦争を倫理観で防ぐこともできると思っていますよ。私は。
全ての人間(政府関係者も含む)が垣根を打破することで、
必ず戦争というのは無くなっていきますよ。そう信じましょうよ。
今後の私の目標として
1.世界中の人間の正義と悪の固定観念を曖昧にすること。
2.経済の相互依存関係を構築して、戦争を非合理的なものにすること。
そのような組織、団体の結成が目下として、
世界統一国家を建設していきたいと考えております。
反戦の意志が、皆の意志になることを願って。
反戦等という言葉すら死語となってしまう程の
戦争の無い、恒久の平和を信じて。
我が咆哮よ。屈する事勿れ。
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