極東最前線

Monday, January 16, 2006

スットコ社会悪

世間(多数派の見解)では
デスチャと言えば『ディスティニー・チャイルド』の事を指します。
決して『ディスチャージ』の事を言っているのではないので、
注意してください。

世間(多数派の見解)では
ELTは『Every Little Thing』の事を指しています。
ENTと聞き間違えて『Extreme Noise Terror』の事だと思いこみ、
淡々と会話を続けてしまうと、最後には悲しい目に遭いますよ。

世間(多数派の見解)では
H2Oは「思い出がいっぱい」を歌っている2人組です。
ニューヨーク・ハードコアのバンドではないです。

世間(多数派の見解)では
スタークラブは日本のパンクバンドです。
福井駅前にあるカラオケボックスの事ではないです。

嗚呼、また間違えてしまったようです…。


と言う具合に、人間には自分の知識を優先して考えるが故に
勘違いというものを頻繁に引き起こします。

それが勘違いだとどちらかが認識すれば、そのお話は
「いっけね〜。また俺って奴は勘違いしちまったい。」と
丸く収まるのですが、
お互いが自分の知識を優先した揚げ句、
譲り合うことができなくなってしまった場合、
その会話、関係は破綻します。

みんな自分が正しいと思っていますからねぇ。

私も頻繁にですが知識を強要させられるように感じることがあります。
しかし何分、強い信念を持ってしまっているが故に、
相手の意見をなかなか受け容れられなくなっているのも事実。
頑固なのは順応性を下げるものとして、
自分自身では「悲しい頭」だと卑下しております。
残念に思います。

只、一生懸命に解釈しようとはしています。
会話が発生してから解釈までに相当な時間がかかってしまうので、
とりあえず防御しとこうか、てなもんです。

一般常識というのは、時に少数派の人間達を迫害します。
私も知らず知らずのうちに誰かを傷つけてしまったり、
また頻繁に(勝手に)傷ついてしまっていたりします。

A「アホちゃうか?」
B「おかしいやろ」
C「なんでやねん」

などという発言。
主観的な考え方を持ち、自分の常識を相手に強要する発言ですね。
そこで「私が思っていることは、あくまで私の主観的理論ですよ」てのが
相手に伝わるようにA〜Cの発言してみましょう。

A「私の今までの生活、環境の中で体得してきた知識を元に考察すると、君の行動はアホちゃうかと思いますが如何ですか?」
B「君のその発言は、世風と照らし合わせ、且つ私個人の意見も付け加えさせて頂くと、おかしいやろ。」
C「これは私の考えであって、君の考えはもちろん尊重されるに値します。そして教えて欲しいのです。なんでやねん。」

のような言い方に置き換えることを推奨します。
諄い言い方ね。
私はしませんけど。

常識は世間を映す鏡。
その鏡には自分が映っているでしょうか?


最後に詩を紹介します。


『最終兵器とは常識』

残忍、彼の目が物語っている

過酷、私に襲いかかる

殺戮、彼は又繰り返し

疎外、その子供達

弾圧、苦痛に歪むその顔に

撲殺、剣は振り下ろされた

凄惨、世界は目を塞ぎかけ

酸鼻、私は目を開きかけている

慈悲、求める者はいつの時代も弱者

重圧、与える者はいつの時代も常識ヘッド

司る者は…

右手に破壊、左手に孤独

命尽きるまで、巡業は続く

   ⓒK.Katoh(2006)



明日に繋ぐ、優しさのバトン。
その次も、またその次の日も。
連鎖を絶やしてはいけない。


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