少年Z
『次に死にたい奴、前に出ろ!』
北斗の拳のケンシローが放った衝撃的な言葉です。
こんな事を言われて、前に出る人間なんているのでしょうか。
いないって。
近年では、殺戮や虐殺、つまりは残虐な描写のある
アニメや本、ゲームなどは有害なものとして年齢規制をしているものが多くなってきております。
『あなたは15歳以下だから、このゲームはやっちゃだめ』
なんて事を言う親御さん方も増加の一途を辿っていることでしょう。
果たしてそれでいいのでしょうか?
それだけの理由で束縛をしてしまってもよいものでしょうか?
何故そのような規制がかかるようになったのかを簡単に説明します。
とてもとてもとても簡単に説明すると
「真似するから」
その一言で片づくのでしょう。
ゲームやアニメで表現されていることを、実際に自分でもやってみたくなる。
空想と現実の境界線がピンぼけしたかのように曖昧になってしまっているために、
現実の世界の法や倫理と言うものを度外視してしまう。
確かに近年の少年犯罪では『ゲーム感覚で』という軽いニュアンスのものが
多く見受けられます。
只、それらの少年犯罪が全てアニメのせい、ゲームのせいかというと、
勿論そうではないので注意してください。
そこにも情報操作が蔓延している可能性がありますよ。
様々な原因があるのだと思いますよ。
教育や生活環境。
触発とは思いがけない部分にあったりしますよね。
人が過ちを犯すところには、必ず道程の中で歪みを生じさせる何かがあるのです。
それがどのようなものかは、私には解りかねますが。
媒体を規制しても、精神までは規制できないのです。
しかしながら
「ガキの犯罪なんてもんは昔からコンスタントにあったもんだろ。
今更何を抜かしてやがる。腐れマスコミュニケーション野郎共め。」
と言うような事を少なからず思ってしまったりしませんか?
あんまし罵倒はよくないよ。私俺。
昔から水面下で多数あったんですよ。少年犯罪って。
それが只単に最近になって浮き彫りになってきているだけ。
1997年の神戸連続殺傷事件があまりにもショッキングすぎたために
そこから少年犯罪への注目度が著しく上がったようにも思います。
法は整備され、マスコミの対応なども注目されるようになりましたね。
このように、原因を何か一つに絞るというのは
人間の視野を狭くし、且つ偏った思考を持つ、たいへん危険なことだと思います。
日常生活にも同じ事が言えるのではないでしょうか。
給食袋盗んだの誰や。
おい、山下。おまえか?それとも二階堂。おまえか?
ちゃうんか。
なんや。誰か解からへんな〜。
ええわ。お前ら全員机に伏せ。ええから伏せぇ。
ほんで手ぇ挙げ。
先生にしか解からへんから。
正直に言うてくれたら、先生も怒らへん。
正直に手ぇ挙げ。
人間ちうもんはな、歩みん中で、何回も足を踏み外してしまうもんや。
踏み外してもええねん。
またちゃんと道の上を歩き直したらええねん。
給食袋なんて世界の混沌と比べたら、蚊の屁みたいなもんや。
蚊の屁ぐらいでクヨクヨしてたらあかん。
お前ら若もんには、まだまだ将来があるさかいな。
蚊の屁如きで躓いとったらあかんねん。
スパーンと手ぇ挙げて、ビックな人間ならなあかんで。
さぁ誰や〜。
やった奴は手ぇ挙げろや〜。
と、言って先生がそぉ〜っと手を挙げる(自白)。
話の流れからいくと、犯人は生徒ですよね。
それが固定観念であり、原因を初めから特定してしまっているということなのです。
しかしながら犯人は先生であると。
柔軟な頭を持てていなければ危険予知ができないまま朽ち果ててしまうのです。
規制とは少数派に合わせるもの。
少数派の人間達が全うに社会生活を送るために、多数派の人間が決めたことに合わせているのです。
只、その少数派にも様々なタイプがあるのですよ。
それを一つの規制だけで均衡が保てると思ってしまっては大間違いです。
規制を増やせと言っているのではありませんよ。
『決めつけるな』と言っているのです。
最後に、媒体規制に熱心な人達へ。
ひょっとしたら、少年犯罪は
「規制されることが嫌いな子供達の、できる限りの抵抗が具現化されたもの」
なのかもしれませんよ。
原因は一つではないです。
結果には個々に異なった要因があるのです。
それでも規制がしたいならば
世界中の子供達全ての眼を潰し、口を塞ぎ、耳を塞ぎ、
密室に監禁し、柱に括り付け、睡眠薬を投与し続けるのですね。
それで少年犯罪はなくなりますよ。
KISS MY ASS
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