天叢雲剣 vs エクスカリバー
爪を噛む。
そういった癖は私にはない。
只、そういった心境。
私には尊敬する人物が大勢います。
親族や友人、マスメディアなどに出ている一部の人、作家等々…。
いろんな人間に影響されて生きています。
流行言葉で言うなら『リスペクト』している、とでも言いましょうか。
中でも最も身近に尊敬できる人間は友人達ですね。
私の心境に様々な変化をもたらせてくれます。
皆の成長を目の当たりにすると、尊敬と共に僅かに寂しさを覚えます。
私の友人の一人が言っておりました。
「皆に先を越され、自分だけが取り残されたような感情になる」と。
私も同じ心境です。
疎外感と焦燥感の重なり合いが、
只ひたすら、己を追い詰めていくのです。
ひたすら追い詰められても、背後には壁がない。
無限に堕ちていくのみ。
堕落。
私は皆の成長、進化について行くどころか、未だ同じリングに立ててもいない。
戦うことすら許されず、勝つどころか負けることすら許されていない。
焦りを感じます。
憤りを感じます。
恐らく私は逃げてしまったのかもしれません。
同じフィールドでは相手にもされない、と妥協、断念し、
逃避の末にフィールドを変えてしまっただけなのかもしれない。
悔しいね。
そして爪を噛む。そんな癖はないけど。
くそったれが。
と、ネガティブな事ばかり言ってたってあかんでしょ。
思想とは常に前向き、建設的で在るべきだと思います。
己が信じているものに自身があれば、その道を驀進して然るべき。
たとえその道を阻む強大な壁があろうとも。
その戦いの場所に敵がいようがいまいが。
たとえシャドーボクシングであろうがマスターベーションであろうが。
私は自信がありますよ。
しかしながら皆の成長の凄まじさには驚愕しますね。
速い。
私が歩いているとするならば、皆は新快速列車くらいありますね。
しかし私もフィールドを変えれば新快速、いや特急雷鳥くらいあるはず。
心は空空寂寂。
体は矛盾冷覚。
眼は万物の全てを見定め、
口は天秤を粉砕する。
後のこの世に残るるものは、
無であり有であり全である。
聖剣は既に抜かれ、
諸君の首元に突きつけられている。
返事を求めている。
対応を伺っている。
最後に、私を評価する全てのものへ。
私は評価を望んでいない。
皆の解放を望んでいる。
しかし貴方の目が私を評価するならば、そう映るならば拠所無い。
只、私の知りたいのは、
評価した後、私をどうしたいのか。
殺すのか?手中に収めるのか?
望みが知りたい。
私を解析し解剖し、その後が知りたい。
組み立て直してくれるのか?
貴方のそのレールに私を乗せてくれるのか?
私は望まない。諸君は何を望む?
万物全てが抱く思想は結局は比較される。評価されてしまう。
無駄ではありませんよ。評価は。
自分がどう思うかを明確に提言している、という点ではね。
自己主張ができているのですからね。
しかしそれが全てだと思ってしまっては「井の中の蛙」。
その評価はいつぞや覆されてしまうでしょう。
全ての解放と共に。世界の覚醒と共に。
取り残されないために、
取り残す人間を生まないために、
己を先ず見てください。
あなた達皆が、そうなり得る危険がある。
1 Comments:
一般的にいうとあなたは自意識過剰で勘違い野郎!
ぴったりの表現ではなかろうか・・・ しかしながら人間(僕)というものは、肯定的な意見をフンフンと気持ちよく聞いてはいるものの逆にのちのちの不安や焦燥に駆られる事もしばしばあります。「君は最高だ!悪い所がひとつも無い!」的な言葉をかけられたら、嬉しさ半分「ホンマ!!?」(疑)半分となります。ワンマン社長に上司がいない為にうつ病!という状態でしょうか。逆に否定的な意見に安心し、自己確認をしているのでは・・・という考えもあります。というのは、反論されることによって自分が善or悪 もしくは多数派or少数派の認識をしているようです。そのウラには「自分は社会に貢献できるのだろうか?」や「りっぱな大人になれるのだろうか?」
などの手ごたえを欲しているのでしょうか。私はその感情について「社会的地位への不安が大きい」と感じます。誰よりも普通で常識人になりたいと願う変態。できないから望む。でもできない・・・よって不安。私もたまに(年に1回ぐらい)自分に対して正直になる時がありますが、一瞬泣きます。14歳のときに「こんな大人になる!」という未来像を思い出しては、今のブヨブヨの自分を見て「こんなはずじゃなかっただろう・・・」(悔し泣き)てなもんですよ。ただし、一瞬だけ泣きます。なぜかっていうと少しだけ大人になったからです。いきなり号泣するとおかしいと思われてしまうからね。だから、泣きたいのを我慢して一瞬にとどめるんです。
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