極東最前線

Monday, February 27, 2006

大東亜共栄圏

限界を超越し、また新たな限界が生まれる。
明日も、そのまた明日も。
私は目の当たりにする。
私は目の当たりにする。

仕事。
一般に一言で言いますと、ペイを受けるために、
社会的生産活動に従事することなのですが、
私も会社員の一人として、本日は職場の共栄圏を解析していきたいと思います。

勿論単独で生産活動をする仕事の部類も多くあるので、
今日はあくまで、仕事をしている人の中でも「組織人」限定のお話。

私も、今現在は会社員なのですが、組織の中に従属する人間として、
悲しき出来事が最近多く見受けられます。

私のポリシーと言いましょうか、信念と言いましょうか、
「組織に従属する人間は、会社の方針下で如何なる場合に於いても仕事を選択する権利はない」
と考えております。
勿論これは「部下として」のポリシーです。
会社経営者や自分で会社の方針を決定するような立場の人達は、このポリシーは通用しません。

会社が行おうとしていること、それつまりその組織に従属する人間が実行しなくてはならないことですよね。
それを放棄、拒否することは会社の経営方針下での生産を放棄することと等しい。
つまりその人間は組織にとって必要のない人間、となるわけです。

会社に従事する以上、私は会社にとって必要とされていたい、そう思います。
そのためには私は仕事は選ぶつもりはありませんし、全ての仕事に100%の力を注ぎます。
仕事に優劣をつけるようなこともしません。
「この仕事の方が難しいから偉い」
「あの仕事は単価が安いからやらない」
「面倒くさい仕事だからやらない」
というようなことは組織人である以上は言う権利はないのですよ。
経営者側であれば多少言ってもいいですけどね。
単価のいい仕事のほうがいいに決まってますからね。
只、「組織人」は違います。

出来ないなら、やらないなら、クビだ。クビ。
必要ないも〜ん。

ペイを貰うために、如何なる仕事でも全力投球。
組織を支える為に、目の前にある如何な仕事もやらなくてはいけないのです。
自惚れんな。木瓜。

悲しきかな私の職場には、そういったスタンスではない方達も少なからず居るわけです。

「あの営業さんは人間的に面倒くさいから絡みたくない」
「私のこの仕事の方が手間だから偉いのよ。あなた達のやってることと一緒にしないで」
「何でそんな風にやらなくちゃいけないの?私は私の思うように仕事するよ」

待て待て。ボンクラ。
解らないのか?解っていないのか?
組織というものがどういうものか?
人を見て仕事するんか?
お客様から頂いてる仕事に優劣つけるんか?
会社方針に従えないのかい?

勿論、それによって人権を侵害されたとか、
精神的に傷つくようなことがあれば拳を突き上げて会社と戦わなくてはいけませんが、
上で述べたようなことは、仕事ですよ。仕事
ごちゃごちゃ言わんとやれや。

仕事をする上での規律、ルールと言うものにも同じ事が言えます。
生産をする為のルールですよ。
組織に従属する人間は、その組織の生産ルールも守る義務があります。
例えば、
「この機械は週に一度の定期点検を行わなくてはいけない」
「生産を行う際には、規定に則った手順を踏まなくてはいけない」
「重機を扱う際は取り扱いの届け出をし、自己点検を行い、サインをする」
これらは何処の会社も同じものでは無いでしょうけれども、
そのルールというのを守ることが出来なかった場合、
会社に損害、損金の発生する出来事に繋がる危険性があるのです。
損害をださないためにルールというのは作られるのです。
しかもそれが理解できない人間の為にルールというのは存在するのです。
皆が、各々が損金を出さないために、同じ考えの基に行動できるようなら、
ルールは必要無いのかもしれません。

そしてルールというのは「お客様への保証」でもあるのです。
需要と供給の相互関係を円滑にするために、保証というのは必要になってくるのです。
お客様に「うちは安全ですよ」という保証の為にもルールが一つの基準になってくるのです。

ちょっと前に日本は、アメリカ産の牛肉の輸入再開を(一瞬ですが)しましたよね。
あれも同じですね。
アメリカ側はルールを整備することで日本(お客様)への保証を行う。

米「日本はん。牛肉買っとくなはれ。」
日「せやけどなぁ。おたくとこ、あれでっしゃろ?狂牛病。」
米「そうですねん。せやけどね、あれ、危ない部位とそうでない部位がおまして、
  それをきっちり点検して取り除いたら大丈夫ですねん。」
日「ほんまかいな。そんなんできるんかいな。」
米「そこでね、日本はん。聞いとくなはれ。うちねルール作りましてん。」
日「ほうほう、なんのでっしゃろ」
米「危険な部位は点検の基に、取り除く為の具体的なルールでんねん。
  これがそうですわ。ルールの書類。」
日「そうでっか。安全を保証してくれてはんねんな」
米「そうですねん。大丈夫でっしゃろ?」
日「そうでんな。ほな、輸入しましょか。」
米「おーきに!」

と言うようなことになってるわけですね。
ルールというのは守って当たり前なわけです。

皆が絶対大丈夫ならルールは必要ありません。
只、大丈夫では無い人間がいるから規律が出来上がるのです。
損害が発生した過去があるから、規律は設けられるのです。
損害を発生する人間に合わせて規律は出来るのですよ。
それが解っていない人間が多いのです。

絶対大丈夫ならば守らなくてもいいよ。
しかし、失敗したら、自分で責任取ってくれよ。
云千万の負債を抱えてくれよ。

と言うわけにもいきませんよね。組織ですから。
君たちの失敗は組織の失敗。
組織の面目は君たち個々にかかっているのですよ。
そのために、君たちは組織の方針に従ってもらうよ。
郷に入りては郷に従え、ということですよ。

「面倒くさいからそのルールは無視」とか
「作業スピードが遅くなるからそのルールは無視」なんて本末転倒。
ルールは組織の法律だ。
守れぬ人間は犯罪者、下手人同然。
即刻死罪。

それが間違っていると思うならば、君は拳を突き上げて戦うべきだ。
強要されるのがいやならば、己の正論を提案しなくてはならない。
そして貴方がルールブックになれるよう、断固たる姿勢で戦いなさい。
それが出来ないなら守りなさい。
守れないなら去りなさい。





あ、いけない。
これ会社の愚痴だ。
と言うように、本日は「極東最前線」の趣向を変えて、
加藤という組織人の身近な出来事コーナーでした。

あー、もう辞め辞め。
付き合ってらんねぇよ。




Wednesday, February 22, 2006

今すぐ目の前のこれを破壊したい衝動

ん。久々にBlogを書くような気がしますね。
それというのも、最近仕事の方が程よくあるためであり、
決して私の怠慢で書かなくなったわけではないのであります。

基本的に私はBlogを書くのが夜です。
夜と決めているわけではないのですが、単純に夜にしか書く時間がないから。

そんな夜も、普段の夜ならば仕事上がりで一杯やりながら書くのですが、
パソコン業務と言われる目の疲れるデスクワークに雁字搦めで勤しんでおりますと、
如何せん家に帰ってまでパーソナルコンピューターなんか見たくもねぇよ、となるのです。
つまりBlogも書けん。

ゆっくり書くことが出来ないので、また今度書きます。



Tuesday, February 14, 2006

ループ

苦しみを『苦しみ』と認めることも試練。
悲しみを『悲しみ』と認めることも試練。
欲望を満たすための課程に生じる憤りも試練。
疲れ果て、又立ち上がることも試練。
何があろうが耐えることも試練。
解らないことも試練。

大事なのは距離や時間ではなく、内容なのです。

今日まで、私はこの『極東最前線』と言うBlogの中で、
自分に対して様々な問題提起をしてまいりました。
その内容は森羅万象のあらゆる事象の中の、ごく一部にしかすぎません。
私が今現在生きているこの場所、世界、宇宙には未だ見ぬ出来事がたくさんあります。

そんな中で、様々な出来事に対して問題提起をしていた私は、
一つの憤りがありました。

「疑問が起きないくらいに解っていない」

と言うことです。
疑問が生じるときと言うのは、その出来事の体験の中で生じるものです。
見たり、実行したり、経験を踏むことで、その内包物を分解し、
中を垣間見ることで不思議に思い悩む行為が即ち疑問となるのです。
つまりは知らないこと(見たことも聞いたことも感じたこともないこと)には疑問そのものが生まれてこないと言うことなのです。

私は世界のほとんどの事を知りません。
今現在、日本の裏側で何が起こっているか、
出会う人間の考えていること、
出来事や、人。植物や物質など。
世界は様々な出来事や感情で構成されているにも係わらず、
私はそのほとんどを知らないのです。

何も解っちゃいないのは私だったのですね。
日々悩み、藻掻き、苦しみ。
いちいち落胆していたのですが、それは森羅万象の一握りにも及ばない、
計り知れない程にリトルな事だったのです。
世界が狭いのは私だったのです。

何が解らないのかも解らない。

自分自身に論破される羽目になるとはね。
やれんよ。

そこで、全てを知っているものが居るとどうなるのかを考えていきたいと思います。
完全な憶測で書きますので、反論その他一切の意見は受け付けません。
私だって憶測で書いているので自信なんかありませんよ。
敢えて書くのです。自信がないにも係わらず。
それがニュースタイル。


例えば、他には誰も居ない荒野で全てを知り尽くした物(人じゃなくてもいいのです。植物や物体でも。)に出会った私が居たとします。
対面するそれは、私に対して何もしてきません。
話しかけることも、目を合わせることも、触れることさえもしてはきません。
只々押し黙って、遠くを見つめています。
否、何かを見つめていると言うよりは、空間そのものに焦点を合わせているような、
どことなくぼんやりしている佇まい。

私はそれの周りをグルグルと周回するのですが、
それは一向に私に関心を示すことはありません。
何故でしょう。私には理解しかねます。
私に興味が無いのでしょうか?
それとも、全てを知っているが故に、こうして私を気に留めないのでしょうか?
だとすれば、私はいったいこれに何をするのでしょうか?
別段、破壊したいとか持って帰りたいとか言った感情はありません。
だとすればこの物体は、私という危険から身を守るために微動だにしないわけではないのでしょう。

対面するそれはそんな私の思考すらも全てお見通しなのですね。
だとすれば、今私が話しかけたときにどのような反応をするのだろうか。
私の興味は止まることを知りません。
万物全てを知るものとは、さてどれ程のレベルなのでしょうか。

と、その瞬間、強烈な頭痛に見舞われました。
頭の中を殴打されたような痛み。
何発も何発も、繰り返されるその痛みに私は悶絶しました。
そこら中をのたうち回り、転がり、自分の髪の毛を毟りました。
毟り続け、己の手の指の爪に挟まる髪の毛を見ては、また毟りました。
そんなんでは痛みから解放されないなんて言うことは、不思議と冷静に解っていましたが、
それでもなお、私は地面を転がりながら髪の毛を毟り続けました。

そして、私の髪の毛が全てなくなったとき、
今度は脳味噌が痒くなってきました。
ちくちくと蚊にでも刺されたかのように痒い。
痒さは脳だけに止まらず、全身の内部に広がっていきました。
皮膚上は何一つ痒くはないのですが、中身が痒い。
掻きむしり、全身の皮膚がぼろぼろになり、至る所から血が噴き出し、
気付けば私の体は血で真っ赤になっていました。
それでも未だ痒い。

腕を掻きむしれば、その傷口から蛆が湧いてきました。
それを払いのけようと必死に腕を振るのですが、
血に混じり大量の蛆が湧いてくるので、振り払っても振り払ってもキリがありません。

地面を転がれば、全身にまとわりついた蛆がプチプチと潰れ、臭い。
ああ、くせぇと鼻をつまめば、鼻がもげました。
もうぼろぼろ。

全身が寒い。悪寒が走り瞳孔が狭くなってきたのか、全てがちかちかして見えてきました。
苦しいですね。ちゃんと呼吸することすらも苦しい。
ああ、煙草の量はもうちょっと減らしておけばよかったかな、なんて。

私は目の前にいるこいつを呪いました。
何故に何もかも知り尽くしているこいつは、
私がこうなることを知っておきながら忠告してくれなかったのだろうか。

私は虫の息。血も少なくなってきた感じがあります。
出血多量でくらくらするし、髪の毛は無いし、一体どうなっているのでしょうか。
それでも私はのたうち回り続けています。
怒りと苦しみで、目の前にいるこいつを破壊してしまいたい衝動に駆られたのですが、
そのことすらもこいつはお見通しなんでしょう?
粉砕することは今の私の状態を考えても不可能なのです。
畜生。

怒りが生まれました。これも知ってるのかい?
ならば私が次に何をするかなんて
簡単に見破れるでしょう?
さてどうするかな。

私は這い蹲って、そいつのところまで行きました。
もう何でもいい。何だっていいから一撃くらわせねば気が済まぬ。
どうせお前は何もしないのでしょう?
推測ですが、そんな気がするのです。
こいつは私に何もしてこない。
否、ちょっと違うな。
何もする気がないのではないですか?

そして私は持っていた散弾銃の引き金を、渾身の力を込めて引きました。
途轍もない炸裂音と共に、そいつは木っ端微塵に粉砕し、跡形もなくなりました。

何故でしょうか?私には解りませんでした。
何故全てを知り尽くしているものであるこれが、
いとも簡単に私の非力な手によって粉砕されてしまったのか。
実は「何もかも知っている」なんて事は誰かのでっち上げで、
実は何にも知らなかったのではないか?

誰かがデマを流したのですね。
私は儚くもそんなデマに流されて、気が付けばこんなところまで来てしまっていたのですね。
しかも体はズタボロ。
やられた。
そしてやってやった。
デマの根元を破壊してやった。

そして気が付けば、私は息絶え絶えにそれが今まで居たところを見つめていました。
何かが置いてあるようです。散弾銃の硝煙のせいでよく見えませんが、
目をこらしてよく見てみると、
そこには、カツラとキンカンとバンソーコーが置いてありました。

このカツラで私の禿げ上がってしまった頭を隠せと?
この虫除けキンカンを体に塗って、蛆虫を駆除しろと?
このバンソーコーを体の傷口に貼れと?

私は震え上がりました。
傷だらけの体から生じる震えではなく、もっともっと根底からくる震え。
全身の力が見る見るうちに抜けていきました。
これが脱力感なんだ。本質的な。
否、もっともっと形容し難いヘンテコな感情です。
そして失禁しました。

知っていた。
やはり全てお見通しだったんだ。

こいつは私がここに来ることはおろか、
死の境を彷徨うほどの頭痛と痒みに見舞われることも、
私の散弾銃によって粉砕されることも、
その場所を私が見ることも、全て。

私はなんて事をしてしまったんだろうか。
後悔の念が押し寄せ、そのプレッシャーで潰されてしまいそうになりました。
しかし何故か、カツラとキンカンとバンソーコーの優しさを心地よくも感じるのです。
粉砕されることを知りながらも、私に優しくしてくれる。
なんて奴だ。
過去の人々はこれを神と呼んだのだろうか。

私は優しさに包まれ、その場所にあぐらをかいて座りました。
優しさを感じる事のすばらしさを知ることが出来たのです。
これが全てだ。私にとっては。

そして私は死にました。

座ったまま、笑顔で、ゆっくりと。

必ずやまた、全知を求めこの地に誰ぞかがやってくることでしょう。
しかし、私も「全てを知っているあいつ」ももうこの世にはいないよ。
いや、待てよ。
寧ろ「全てを知っているあいつ」も私がきた時点で既に死んでいたのではないか?
そして私が来ることを生きているときから知っていて、
カツラとキンカンとバンソーコーを置いておいたのか。
なるほどな。やるな。

連鎖してるのでしょうね。
この地に全知を求めやってくる者は、死ぬんだな。きっと。
こいつの前も、その前も、そのまた前も、
きっとこの地で死んでいったんだな。

それが連鎖して、今は私が全てを知るものとなったのですね。
でも本当は私は何にも知らないんですよ。
でも、そのことを次の訪問者が知ることはないでしょう。

しかし、私は何も持っていないですよ。
次に来る者に、私は何も渡さなくてもいいのですか?
きっとそれでもいいのでしょうね。
訪問者はきっとそれで何かを得るのでしょう。

そして又、その得たものを次の訪問者に繋げていくのですね。

そうやって知識を与えていき、最後に本当の全知が完成するのかもしれません。

私は此処で待ち続けます。
彼は必ず来ます。
そして彼も又、この地で死ぬでしょう。



と、言うようになるんじゃねぇかな〜なんて。
憶測ですよ。鵜呑みにしないでね。

「全てを知るものは連鎖の中で生まれるが、実はそいつも何も知らない。」

と言うような事が言いたかったが為の御伽噺をさせて頂きました。

解らないことは恥ずべき事ではありません。
誰もが知らない出来事というのは、誰に質問したって答えなんか出ませんよ。

私は今後も「解らない」と叫び続けます。
曖昧にするためのフィニッシュホールドではありませんよ。
素直に言っていこうかな、なんて。

皆さんも解らないことは解らないと認めましょう。
解らないことの答えを適当にでっち上げるのではなく、
「解りません」と声高らかに謳いましょう。
その後で、仮説を展開させればいいじゃないですか。
大事なのは「解らない」と言うことを基盤に置くことなのです。
それが先ず1歩目。

2歩目?
2歩目はまだ解りません。
くくく。






Wednesday, February 08, 2006

生命のリズムパターン

久しぶりに Jackie and the Cedrics でも聴こうかなんて、
少々小粋な気分で今夜は、気候は寒いながらも明るい我が家。
エノッキーさんの心躍るリフに合わせて、茶碗蒸しを喰らい、
嗚呼、五臓六腑がアグレッシブだわ。沁みてるわ。

人間には、何故だか突然聴きたくなる音楽ってありますよね。
不思議なものです。

悲しい気分の時に、悲しいイメージの音楽を聴く。
これはよくあることです。

女の子にフられたから Buzzcocks の『Ever Fallen in Love』とか、
独りになりたいから The Residents の『ある魂の形成過程』を爆音で聴くとか、
立ち直りたい、ハッピーな気分になりたいから Dr.Feelgood の『Roxette』をライブ版で、とか、
何もかもどうでもよくなってきて Captain Sensible のアルバム『The Collection』をうねうねしながら聴き、
「意味が全く分からん」と、頭を抱えながら 、
「キャプテンは何考えてるのかしら。何故ソロアルバムなの?何故クリスマスソングなの?」と
聴けば聴くほど悩みの坩堝に嵌ってしまうとか、等々。
そういった感情は誰にでも在るものだと思うのです。

しかしながら、別段何の感情も生成されていないときに、
突然に「あ、DEVO 聴きたい」なんてこと、ありますよね。
解らないですよね。

別に DEVO じゃなくてもいいのですが、なぜこの瞬間にこの音楽が聴きたくなったのでしょうね。
今日も、別に何の意味もなく Jackie and the Cedrics だったのですが、何故でしょう。

その音楽が単純に好きだから?
いやいや、その理由で片づけてしまうのは今日はよしましょう。
その理由は聞き飽きましたよ。
その理由はオールマイティーのカード、つまりはジョーカーなのですよ。
つまりは最後の切り札ってことで、今日は他の理由。
もうちょっと掘り下げて考えていきましょうか。

そこで、一つの仮説を立てて考えていくことにします。

「波長が合う」と言うのはどうでしょう。
生命体全てに言えることなのですが、生命がその生命を維持していくためには、
波長を常に流動的ながらも、ある程度一定のリズムに保つことが必要になってきます。

全ての生命体にはそれぞれ、個々に持っているオリジナルのリズムと言うものがあります。
それが4拍子を打つ者も居れば、3拍子の者も居るのです。
実際はそんな単純に言い表せれる代物ではありませんよ。
人間(例えばです。本当は動物や植物他全てです)が50億人居るならば、
勿論50億通りのリズムがあるのです。深いのですよ。
しかもそのリズムは生命維持活動、つまりは生きている間には常に流動しているものなのです。

なので、只単純に『ボーっとしている』という感情にも幾つかのパターンがあるのですね。
そしてそのパターンと似通ったリズムをもつ音楽を無意識に連想してしまう。
生命のリズムパターンは、音楽やお経のリズムと近しいのです。
日常に身近に感じることの出来るリズムパターンが、生命のパターンであるならば、
感情を持つ生命体として、それを想像してしまうのも是本能であると言えるのではないでしょうか?

なるほど。じゃあ今日の私のリズムパターンは Jackie and the Cedrics だったのですね。
雨が降り、昼過ぎには天気が回復。青空。けど少し風が強いね。フフフン。
いいやん。いい感じやん。こんな天気好きよ。ジャジャジャン。
フンフンフフフン。いいよ。フン。
煙草でもしばこうかいね。フフン。
珈琲も一緒に。ブラックで。フウン。
チェチェン独立派も一緒に。ムハンマドの風刺画でも見ながら。フンフ。
と、いった感じでハミングしておりました。

音楽は生命のリズムを映す鏡。
私の生命維持活動に於いて、かなり重要な役割を担っております。
聴きたい音楽で、今現在の己の深層心理やリズムを確認しております。

単純なことかと笑う方もおられることと存じます。
「只単にその音楽が聴きたかっただけだろ。死ね。」とお思いでしょう。
そうなのです。私が言いたいのは正にそれ。

貴方が単純だと思っていることでも、それを重要だと思っている人間もいるのです。

皆さんは生活している上で、何か重要だと思うことがありますか?
仕事で出世することですか?
異性にもてることですか?
お勉強ですか?
それらが単に『独りよがり』だとは思いませんか?

勿論主観的な部分ですから、重要なのは確かでしょう。
それを人に罵倒や卑下をされるのを、貴方は嫌うでしょう。

貴方がされたら嫌悪することを
貴方は他人にやっていませんか?

子供の頃から教育されている、基本的な部分ですが、
もう一度、自分を見直してみる必要があるとは思いませんか?
「解っているはずなのに、軽視しているが故に自分は実行できていない」と言うような事が
実は多々あるのではないでしょうか?

さぁ、自分が何をしなくてはいけないか。
見えてきませんか?

殺されたいですか?
殺されたくないですよね。
じゃあ貴方も他人を殺してはいけませんよ。

単純なことと複雑なことは、実は最も近いところにあるのです。
人が考える単純とは、何も考えないと言うこと。
只、考えれば、それは複雑な現象となりうるのです。

私は「単純」と言われる出来事を全て分解することにしています。
皆さんもどうですか?一緒に。


Jackie and the Cedrics は単純ではないですよ。
少なくとも今日の私にとっては。


Friday, February 03, 2006

堂堂巡り、一寸振り返って

遂にこんなところまで来てしまいました。
頭が唸るような激痛に苛まれています。
さて、原因は何でしょう。
時々、目に眩いばかりの閃光が迸ります。一瞬だけ失明。
そして、嘔吐。吐瀉物にはスパゲッティが少々。
さて、原因は何でしょう。
体調が最悪です。腹も痛い。

と、言うわけで体調も悪い、人相も悪い、星の巡りも悪い。
何が悪いって、政治が悪い訳じゃない。
あんたが悪い訳でもない。
どうにもこうにも私が悪い。
いいのは天気と未来だけ。
そんな極東最前線、主催の加藤が今夜もお送り致します。


さて、皆さんは『賢い』と言う形容詞を用いる際に、
どのような意味を込めて、何を以て『賢い』と定義していますか?

その言葉を使うシチュエーションにも依るかと思いますが、
ある人は、学校のテストの点数がいい人や、大学へ進学した人達を賢いと言い、
ある人は、柔軟に様々な社会の出来事に対応する人を賢いと言い、
ある人は、しょうもない雑学をたくさん知っている人を賢いと言い、
ある人は、パーソナルコンピューターの知識が豊富で、様々なパソコン言語を習得している人を賢いと言い、
ある人は、免許、資格の類を常人より多く会得している人を賢いと言い、
ある人は、ある特定の職業に従事している人を賢いと言い、
ある人は、目の前で壊れてしまったビデオデッキを分解して、アダルトビデオを取りだしてくれる、
つまりは電器屋のあんちゃんを賢いと言いますよね。

どれも一概に間違ってはいないのかもしれませんが、
私には如何せん腑に落ちない部分があります。
腑に落ちないと言うか、釈然としない。

自分を基準に物事を見定めることを前提にした上で、
己の持つ知識を超越する現実を目の当たりにすると、
そこには、敬いや尊さ、恍惚、憧憬などといった感情が生まれます。

私が思うところの『賢い』と言う意味合いは『尊敬』を意味しています。
己の志す道の遙か前方に存在しているもの(人であったり、物であったり)に、
私は『賢い』という表現を用いています。
尊敬というのは人間個人単位で異なるものでして、つまりは価値観の相違により、
自分の親は尊敬できても、あんたの親まで尊敬してないぜってのが、
是つまるところ「価値観の相違による、自意識内尊敬」と言う感覚。

それを踏まえて考察するところ、
他人が「○○さんは賢い」と言ったところで、私にとっては別に只の凡人であったりするのです。

人間各々の私情を形容する言葉には情報操作の危険が常に含有しているのです。
おーこわ。

『賢いか賢くないかは俺が決める』By Katoh The Sage

しかしながら、近年の学歴優先主義の社会に於いて、この言葉の意味するものは、
専ら「本に書いてあることを、記憶していること」のように思います。
もっと噛み砕いて言うと「お勉強のできる、テスト等の点数が高い」とでも言いましょうか。

私の価値観に於いては、それを賢い、尊敬出来るかというと、
ごめんなさい。出来そうにありません。
「自分が知らない事を知っている」と言う点では、立派やねっては感じるのですが、
私自身に、それを尊敬していられるほどの余裕がまだ無いように思います。
ベクトルが少しく異なってしまっているが故に、
そして、それだけでいっぱいいっぱいになって驀進しているが故に、
「ごめんね。お勉強のことは最後に考えるわ」てな感じです。

それと同時に、『賢い』と言う表現は難しいものでして、
己より秀でている者に対して使う表現ににも係わらず、
己よりも上の立場の人間には用いたりはしませんものね。
間違っても担任の先生や自分の会社の社長に向かって「あの人は賢いね」なんて言いません。
微妙なラインに位置づけされている表現なのです。

そこで未だ真理を悟るに至らず、凡夫の段階に止まっている私も
ある種の「賢者」なのではないだろうか…なんて厚かましすぎる?
悟りの道を切り開くために猪突猛進、切磋琢磨している人間、
善を行い、悪を離れし者。それ即ち賢者というのです。
賢者が最終形ではないですよ。賢者の上は聖者と言います。
それならば私を含め、本質を見極めようと藻掻いている人間は
全てが『賢者』と呼ばれるに相応しい。
私はこれから自己紹介などをする際には『賢者・加藤』と名乗ります。
ベギラマとザオラルが使えるからとか、しょうもないこと言うなよ。

否、私は実は悪の化身なのかもしれないなぁ。
秩序を乱す者が悪ならば、それを紊乱する私はやはり悪なのでしょうか。
賢者などとは到底名乗れるものではないね。




と言うわけですが、絶不調です。
頭が割れて、中から幼虫が少し出てきそうです。
又、幼子からやり直せと、そう言うことですか?
ああもううんざりだ。どうしようもなくて、やるせなくて、
楽しい話の一つもできやしない。
人間の屑だ。また笑ってら。
へらへら。
狂って済むなら狂わせてくれ。頼むから。
アンニュイな気分で臭わせてくれ。
人参と大根が死闘を繰り広げています。そやそや。
調子はずれで、未だに。
丈夫に頑丈に、鉄はちょっと嫌だな〜なんて考えても考えてもまた窪みに落ちて、
そこそこに大体に於いて、やれんよ。
かかる生活をどうにかしたくて。
打破したくて又、ちゃうちゃう、本当は何も考えたくないんだな。そう。
考えなくて済むなら、本当は考えたくなくて。
でも、考えてしまうもんだから、調子が悪くなるん。俺。

妥協した方がいいよ。便乗した方がいいよ。
わかるよ。
流れには逆らわない方がいいよ。システムの一部になりなさいよ。
わかるよ。
殺しちゃ駄目、仲良くしなきゃ駄目。
わかるよ。
わかるよ。わかるよ。
もう嫌。

何がしたいの?どうしたいの?
何でなの?理由は何?
それからどうするの?できもせんのに。
それで?必要なの?いらないの?
解らないの?出来ないの?
俺を質問攻めにしないでよ。
矛盾を引き出すために必死にならないでよ。

歯車になれない。荷車にもなれない。
役にも立たない、愚にもつかないポンコツは、
去るか散るか、せいぜいだろうよ。

本然はもうどこにもないよ。
諦めてしまえよ。てね。
畜生。

遣り切れないね。吐く。

嗚呼。嗚呼。うくく。

そんでまた、一つ頷いて。