極東最前線

Thursday, March 02, 2006

赤と黒


























私、常日頃からシンボルカラーと言うものを持ち合わせておりまして、
そのカラーが赤と黒であることを、ここに宣言させて頂きます。

単純に言うところの「その色が好き」と言うわけではなく、
心を擽る色とでも言いましょうか、
何故だかその色を見るたびに、心がざわめくのです。
痒くなる。血湧き肉躍る。

赤は赤でも、血液の色とでも言いましょうか。
深紅にやや黄みがかった赤。

私達日本人、否、煩悩をもった人間全般は、これまでにたくさんの血を見てきたことと思います。
私達の歴史は血塗られた歴史と言っても過言ではありません。
大量の血液のもとに、私達の平和があり、
大勢の犠牲のもとに、私達の平穏無事な生活があるのです。
皆さんは自覚していますか?

しかし、平穏無事な生活をしているのは、これを読んでいるあなただけですよ。
世界では飢餓に喘いでいる幼子や、戦渦の最前線で銃弾をかいくぐる人々が、
今もなお、平和とは到底言うことが出来ぬような激動の空間に居合わせているのです。

私は「自覚せず生きる」と言うことを非常に嫌いながら生きてきました。
己のやっていることや、考えていること、世界の情勢からの己への影響など、
私はいったいどのような感情を受け生きているのか。
常に自覚して生活をしていました。
己のやっていることが、周りにどのように影響するか。
私は周りの皆の目には、どのように映っているのか。
ときにそれは、己の感情とは裏腹に、見たくもない、できれば考えたくもない現象のときもあるでしょう。
しかしながら嫌なことに目を伏せるのではなくして、敢えて目を見開く。
自覚のないことが、社会悪であり、自惚れであると。
社会はそう、私に教えてくれました。

只、これには相反する意見もあります。
「自覚することこそが、真の自惚れである」
ということです。

この場合、自覚というよりも自意識と言った方が近いのかもしれませんね。
勿論自意識過剰、且つその過剰ぶりを周囲へ放出する人間ほど、
周りの人間は煩わしく思ってしまったりするものです。
しかしながら、放出することをやめ、己の中に自意識を止めておくと、
それは一瞬にして「自覚」へと変貌するのです。
不可思議な現象ですね。

自覚したい、自覚しなければ。
焦りがあります。
そうして焦れば焦るほど、勘違いが生まれます。

何かの出来事に対して自覚した気になる勘違いをしたとします。
勿論自分では勘違いなどとは微塵も感じていません。
さて、これは自覚でしょうか?

私はこれでも良しとしています。
実のところ「自覚」することとは「勘違い」することなのです。
皆、思いこみの元に生活し、常に隣には勘違いが存在しているのです。
それを100%であると強く思いこんだ成れの果てが「自覚」、即ち「勘違い」。
間違いではないのです。勘違いなのです。
それは悪ではありません。
善も悪も無いのです。全ては勘違いなのですから。

皆さんも自覚が生まれたら、その自覚をもう一度具体的に解析してみては如何ですか?
思わぬところで大どんでん返しがあるような、衝撃的な新しい自覚が生まれると思いますよ。
と書いている私もそう「思いこんでいるだけ」なのかもしれませんね。


そして黒。
黒は黒でも暗黒。レジストレーション、リッチブラック。
それは他のどんな色彩の影響も受けることのない深黒。
海底の、静寂と盲目的な刺々しさ。
遙か宇宙の地球人の侵略を受け付けることのない瑞々しさ。
深く暗いが、また潔白であったりもします。

黒こそが塗り替えることの出来ない「自由」ではないでしょうか?
永遠に侵害されることのない自由。

白が各々で絢爛な極彩色を塗り手繰ることのできる自由であるとするならば、
黒はその最後。
白いキャンバスに様々な「自由」を塗り、全ての色がそのキャンバスに塗られたとき、
そこはもう黒塗りなのです。
様々な色が幾重にも重なり、もう最初が何色かなんて解りません。
皆は各々の自由を完結するに至るのです。

黒こそがフリーダムのカラーではないでしょうか。
とは言うものの私はリバタリアンではないのですがね。
リバタリアニズムは個人の自由の尊重と同時に、絶対的自由を剥奪する国家の廃止。
若しくはその国家の機能を最小限化しようとする思想です。
私は、資本維持や財産権の観点から、リバタリアニズムとは少々外れている思想を持っています。
もっと根本的な、精神の自然史を追求しつつ、
国家、経済、人種、全てにおいての垣根を打破。
経済面に過剰に執着するリバタリアニズムとは少々違いますね。
私は自己の肉体に対する所有権、つまりは人身所有権に重きを置いています。
そして思想はある一つの思想の基に全ての人間が横並び。
これを話し出すと「話が長いよ。ど阿呆。殺すぞ。」と
お叱りの言葉を頂いてしまいそうなので、自主規制。
すいませんでした。
しかし悪いとは思っていない。

シンボルカラーが赤だからと言って、社会主義者な訳ではありませんよ。
シンボルカラーが黒だからと言って、アナーキストな訳でもありませんよ。
私は常にニュートラルな立場でございます。

深紅の血が流れる、漆黒の命。
精神の自由とは程遠い、この現状の大地に、
真の自由と解放を。
腐葉土は常に皆の足下にあるのです。
後は皆の波長を合わすだけなのです。
私はその指揮者となります。
必ずや皆を解放して見せます。
必ずや。

と言うのも勘違いだったりします。
うぐぐ。


1 Comments:

At 3/05/2006 3:31 am, Anonymous Anonymous said...

いや~お久しぶりで。satomiです。

ペットのカシン君に話しかけてみました。
「ちょっと待ってね~!!」と言われました。

なかなか素敵なブログですね。
きっと自問自答しているんでしょうね。いつも。自分を見つめなおす事ができる人は必ず成長する・・と思いますよ。

 

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