極東最前線

Saturday, April 15, 2006

固い男

幼少時代の自分の作品というのは面白いものですね。

おっと、不躾ですいません。
今夜、皆さんにお届けする極東最前線は、
「その昔、知らぬ間に自分が残した作品集」
と題しまして、小学校時分の加藤という男の作品を振り返ってみたいと思います。
そう。
今現在、巷で騒がれている『リバイバル・ブーム』に乗っかろうという試み。

一口に「昔の作品」と言っても、
「またこのボンクラは滑稽なことばっかし言いよってから。何が『作品』や。そんなもんハナから無いやろが。貴様の人生で足跡を残すようなもんは、この世に、少なくとも今シーズンいっぱいは生まれへんわ。ぼけ。それやのに何が幼少期の『作品』じゃ。笑わすな。このうずら。ケツの穴から手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタ言わすぞ。包茎大学でもいけ。」
と言うようなことを皆さんはお思いなのではないでしょうか?
無理もありません。
私の説明不足でした。
深く反省しております。この通り。堪忍やで。

と言うことで少々『作品』と言う言葉の趣旨を説明します。

保育園、幼稚園、小学校等で、『何か自分の思い描くものを創造する授業』みたいなのってありましたよね。
例えば、工作の時間や家庭科の授業。
図工や美術、技術と言ったような授業です。
その中で、皆さんは様々なものを作ってきたことと存じ上げます。
その様々なものを、今日のお話の中では作品と言うことにしています。
地域によっては『産物』と言ったり『苦汁』と言ったりもします。
米国では『エブリシング・バット・ザ・ガール』と言うようです。
呼び方は様々ありますが、今日は『作品』で統一することにいたしますので、
皆さんご了承下さい。

私も幼き頃は想像力豊かな、確かな目は持てずとも可能性だけで歩みを進めていた、
栗毛の色白で可愛らしい子供だったのであります。

そんな私の小学校時分の作ったものと言うのが今でも実家に残っているのです。
恥ずかしさ反面、自分の発想力、着眼点に時々驚かされたりもするものです。
時に時事問題に触れ、時に大和民族の憤りに触れ、時に幼稚な美談に踊り、
語ることこそ少ないが、大人になった私に問題提起をしてくれる素晴らしい作品を残しているのです。

そんな作品集の中に、一冊の絵本がありました。
これは図工の時間でしょうか、絵の具で画用紙何枚も使い、中綴じで製本されたその絵本は、
文章力こそ幼稚で表現の幅も狭いのですが、自分でも何でこんなものを書いたのか解らないほどに
暗く悲しい、そして様々な投げかけをしてくれるストーリーが描かれていました。

では、絵のほうは紹介できないので残念ですが、ストーリーを紹介したいと思います。
リバイバル・ブームと言うことで、現代の加藤イズムを交え、
オリジナルストーリーを保ち、言い回しは現代の加藤調でお送り致します。


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タイトル
『固い男』


時は安政5年(1858年)、日本は動乱の世を迎えておりました。
安政の大獄により多くの志士が粛清される中、
活動家達は言葉を発することの恐怖に怯え、帯刀することの重み、
列国への恐怖、愛国心、様々な感情に揺れ動かされておりました。
幕府は一体どうなってしまうのか。
朝廷は一体何を考えているのか。
日本の今後は一体どうなってしまうのか。

福井藩主である松平慶永も隠居謹慎を言い渡される中、
独自の意見を持つ荒木鉄心も揺れておりました。

荒木は幼き頃に自らの手で父親と母親を寝ている隙に父親の刀で斬り、
両親を亡くし、孤児として孤児院で育ちました。

彼は父親と母親を自分の道にとって邪魔な存在だと感じていたのです。
自分の周囲の友が、親と共に鞠や人形遊びに熱心な頃に、
彼は父親から剣の道を志すことを教育され、日々稽古に明け暮れていました。
その稽古の中で父親は
「敵に情けなど無用。抜刀し向かい合えば、どちらかが死ぬのだ。のたれ死にたくなければ斬れ。敵には親も友も許嫁もいないと思え。貴様は鬼なのだ。刀を抜こうが抜きまいが、貴様は鬼となり何人の刀も寄せ付けてはならぬ。敵が抜く前に抜け。」
と精神論を説かれ育ちました。

そんな彼は思ったのです。
「敵に親はいないかも知れんが、自分にはしっかり両親がいるではないか」

そんな自分が、敵に無情の鬼となり立ち向かうことが出来るのだろうか。
信じる道を己自身が踏み違えているではないか。

そして彼は親を斬ったのです。

返り血を浴びた荒木は心に誓ったのです。
是が『無情』と言うものだ。
開国だ攘夷だ何て事は己には無関係なこと。
しかし、強靱な剣の腕を持つためには1000人斬らねばならぬ。
私は何が何でも1000人斬らねばならないのだ。
女子供だろうが年寄りだろうが帯刀していなかろうが、
私は鬼だ。
情け容赦なく、ましてや贔屓などせず、徹底的に斬り、
万国の驚異となるのだ。
目的?そんなもんありもせん。
私は鬼なのだから。
民の驚異となり、恐れられる為だけに在り続ける存在なのだ。

年月は経ち、荒木は年の頃14になり、孤児院の全ての人間を斬りました。
そして孤児院を焼き払い人斬りの旅に出たのです。

彼は斬り続けました。
100人、200人、時には岡っ引き何十人に囲まれても彼は全てを斬りました。
民は荒木のことを『人斬り』『人間の皮を被った鬼』『カラクリ殺人剣士』と罵り、恐怖に怯えました。
彼には親は勿論、会話を交わす友人も居なければ恋人すらもいません。
ましてや彼の名前すらも皆が知らないほどに、世間との繋がりを断ち切っていたのです。
彼は感情という、人間の中で最も弱い部分を完全に捨てていました。
荒木の斬りっぷりの躊躇いのなさに、民は震え上がっていたのです。
彼に慈悲を求めるなど無意味なこと。
彼に睨まれたら最後。
逃げるか、抜刀し闘うか。

300人、400人、彼は15歳になるまでに800人以上の人間を斬りました。
壬生浪士組でさえ、彼の行動に恐れをなして近づこうとはしませんでした。
壬生浪士組が幕府お抱えとなり新撰組に名称を変更してからは尚更。
尊王攘夷派の取り締まりに追われ、荒木の傍若無人なその行為には目を向けてはいられないのです。
そんなことは知ってか知らずか、荒木は斬り続けました。

しかし、荒木の行動にも翳りが見え始めるのです。
それは、彼の首に報奨金がかけられたことが切っ掛けでした。
幕府が治安維持強化のために、荒木を排除すべきと判断したのです。
荒木はまだ子供。
そんな子供の首に報奨金がかけられたことを、一部では批判もありました。
しかしながら、その情けが我々を殺すのだと皆気付き始めていたのです。
子供だろうが彼は鬼だ。子供の皮を被った鬼なのだ。

幕府は彼が現れた情報が入れば、すぐさまその場所に隊を送りつけました。
そしてあらゆる手段を用いて彼を殺害することを計画し実践しました。

そして度重なる戦いの中、拳銃という伴天連の武具により、荒木は負傷してしまいます。
拳銃の弾により刀が折れ、その破片が両目に突き刺さり失明してしまったのです。

彼は暗闇の中で思いました。
私は鬼だ。
無情の鬼だ。
光を失ったくらいで、その闘志が消えることはないのだ。
初めて人を斬ったとき、そう、両親を斬ったとき、私は心に誓ったのだ。
1000人、否、全てを斬り尽くさなくてはならないのだ。
無情だ。無情なのだ。

そして彼は幕府の兵により、背中を斬られてしまいました。
意識が朦朧とし、己の死の近さを実感するのです。
嗚呼、志半ば。
世捨て人の行く末がこれか。

しかし荒木はこのとき気付いてしまうのです。

『人間に一番固執しているのは己ではないか』

世を捨て、人を斬る。
何と矛盾したことではないか。
人を斬ることに固執しているようでは、世を捨てたことなどにはならないのだ。
親の教えを忠実に守っているような人間が、何が無情だ。
私は一体なにをやっているのだ。
何の為に親を斬ったのだ。
何の為に何百人もの人間を斬ってきたのだ。
荒木の全てが崩壊していきます。

荒木は崩れ落ちながら、途中から折れた刀を己の首に突き刺し死にました。
悲しきかな、それが丁度1000人目となるのでした。

彼の死後、民は彼のやってきたことを振り返ることを頑なに拒み、
子供達にそれを伝える事などは暗黙の内に法度となっていました。
荒木は紛れもない『負の遺産』を民に残しました。
しかし、荒木から民が学んだことも多々あるのです。

『時に情を捨て決断しなければならない』


20世紀のこの時代。(当時)
殺人や戦争がまだまだ頻繁に起こっています。
少年犯罪も増え、「子供だから」という理由だけで保護されている時代ではありますが、
必ず、この荒木鉄心に振り回され続けた民のように、決断を迫られる時代がくることでしょう。
その時我々は冷静な判断ができない現代社会に愕然とすることでしょう。
分厚い重りのような六法全書と、事が起きてからでなければ発動しない国家や警察、様々な権力。
様々な不安要素を打破、改善することが出来るのでしょうか。
この荒木鉄心から学んだことを、生かすも殺すも私も含め皆さん次第です。


鬼にならなくてはいけないかもしれませんね。



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調子に乗ってかなり着色してしまいました…。
しかし、ストーリーとしては寸分の狂いもなく同じです。
『固い男〜2006Re-Mix版〜』
と言うことで勘弁してください。

当時、根っからのおじいちゃんっ子であった私は、
じいさんと一緒に、頻繁に時代劇を見ていたのです。
で、こんなん書いたのでしょう。
あんまし当時の事なんて憶えていませんが、勿論ネガティブなこと書くもんだから、
あんまし評判はよろしくなく、特別な評価もされなかったように思います。
それはいいのですが、どんな感情で書いたのかが全く憶えていないのは残念。

問題提起としての完成度は高いように思えるのは私だけでしょうか?
自画自賛ではありますが、強いて言うなら、ちょっと爪が甘いな〜なんて思いますね。
オチが弱いし。
で画竜点睛ということでRe-Mixしてみました。
まだちょっと足りないか。

ということで温故知新。
昔のことを皆さんもちょっと思い出してみてはいかがですか?
新しい発見や感情がたくさんあると思いますよ。


1 Comments:

At 4/19/2006 12:44 am, Anonymous Anonymous said...

是非、今のあなたがリメイクした同じ作品を見たいですね。
栗毛の色白で可愛らしい子供だった(!?笑)時と見比べてみたいですね!!

 

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