万国のプロレタリアよ団結せよ
毛沢東が虐殺した人数、5000万人。
ポルポトがカンボジアで虐殺した人数、150万人〜300万人。
ソビエト連邦解体までの70年間に粛清された人数、6200万人。
1937年〜1938年までの1年間でスターリンが虐殺した人数、2000万人。
私が数えた星の数、プライスレス。
皆さん、夢って持ち合わせていますか?
一口に『夢』と言っても、寝ているときに見るやつとかの話ではございません。
将来に対し展望することのお話です。
夢とはつまり、
実現できるかできないか解らないが、思想、目標として持ち合わせておきながら、
自分自身を支えるためにあるものである。
と何処かの馬の骨が説いておりました。
実現させましょうよ。
できないなんて決めつけて、慰めの為に夢を持つなんて
夢という言葉の意味を侮辱する行為そのものじゃないですか。
例えば、総理大臣に成りたいという人がいたとします。
しかしそいつの中では、
「総理大臣には成りたいけど、俺、大学とか出てねぇし、日本のことよく解ってねぇし…成れるわけねぇよなぁ。俺みたいなちっぽけな正義を振りかざして、やれ権利だ、やれ主義だとか抜かしてるボンクラに、日本を動かすなんて出来るわけねぇんだよ。でもまぁ夢だからな。そのくらいの意気込みで生きていこうって 意味だよ。例えだよ。総理大臣てのは。あはは。例え。世界が違うって。連中と俺とは。奴らから見たら俺は下衆だって。下衆でげす。ほら、すぐこんなしょうもないこととか言ってるしよ。あかんよ、俺。」
とか言うことになっているのだと思います。
夢を、自分が到達できないと決めつけてから語るのです。
スケールがでかいだけで達観の余地なし。
寂しいですよね。
私はできると思っていますよ。
心の底から。
人類の精神的融合ができると。
と、私の夢は上にも述べたとおり、人類の精神的融合なのですが、
この事を皆さんは「はぁ?」みたいな状態で感じていいる事と思います。
しかしながら考えてみてください。
喜びも苦しみもも共に分かち合う社会。
競争の無い、ただただ平穏に暮らせる保証のある社会。
地獄の苦しみを味わいたいですか?そのまま朽ち果てるとしても。
地球の裂け目で喘ぎ、死ぬことだけを受け入れて生きていきたいですか?
世の人は
「苦しみがないと人生じゃない」とか
「競争があるから社会は発展していく」とか
「自分一人が満足ならそれでいい」とか言います。
それも一概に間違っているとは言いません。それはそれです。
私の言いたいことは、それらを超越して本質的に新しい社会を築き上げていこうということ。
世の中には2つの人種がいると思います。
「常識受入型」の人間と「常識否定型」の人間です。
どちらかというと私は後者なのですが、現状としては前者の人間を受け入れざるを得ない、
そういった社会で生活しています(勿論皆さんもそうなのでしょうが…)。
正直、ジレンマを感じずにはいられません。
社会を疎ましく思ってしまったり、頭ごなしに否定してしまったりと、
マイナスのベクトルにしか進めないでいます。
常識を覆しつつ、万人を受け入れる。
そういった事を私は目指しているのです。
模索中ではございますが。
そういった意味では社会主義、共産主義といった考え方は私は好きですよ。
しかし、私はマルクス主義者ではございません。
私は、経済を基盤に平等を唱えているのではなく、
人間の精神を基盤に考えているのです。
それによって必然的に経済というもの自体が存在しなくなるのです。
その点がマルクスさんとの意見の違いですね。加藤主義です。
イデオロギーとは又違いますので注意。
暴力によってのみ共産主義革命が達成できるなんてね。
暴力があれば何だって達成できるでしょうよ。
暴力革命必然論なんて御法度です。
私は違うやり方で革命を起こしてみせる。
必ず。
ゆくゆくは、非政治団体・維新社の設立。
そのまた先は、加藤主義インターナショナルの結成。
そして人類の融合。
夢は尽きることがありません。
出来ないはずがない。
常識に囚われず、まず考えてみてください。
究極とは何かを。
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