レイシャル・ハラスメント撤廃
最近、と言うか昔から、物覚えがついた頃から、首が据わりだした頃から、
他人の存在が気になって気になってしかたがない症候群、という障害を抱えて、
気付けばもう25になり、陰口を叩かれたり、ジロジロ眺められたり、
思えばいろいろなご意見ご感想を頂いたなぁ、なんて。
バイトの面接(レンタルビデオ屋)では、
ワンウェイ・システムのTシャツに革ジャン、ヒゲ面、病的な色白の表情で参上仕った揚げ句、
「君、そのヒゲ剃れる?」との質問に対して、「宗教上、無理です」とキッパリ断ったが故、
「じゃあ悪いけど不採用だわ」と打ちのめされて、ヒゲ一つで生きづらくなるものだなぁと感じたものです。
宗教上てのは、私の一世一代の嘘、デマカセだったのですが、それが嘘かどうか何て、
この短時間で、店長さんがジャッジ出来るとは到底感じられず、
では、この店長さんは宗教差別を平然と行ったとなるわけで、
私もバイトの面接はもうこの際どうだってよい、となってしまいまして、一言物申したい、
そんな感覚になるわけです。
「あなたの宗教差別が、過去の歴史の中で幾多数多の戦争や紛争を生み出しているのです。あなたの人間性が此の世に存在する限り、人は死に、差別され、苦しみ、藻掻き、飢えはなくならず、地雷もなくならない。あなたは今すぐこのレンタルビデオ屋をたたみ、ボランティア活動に従事することをお勧めします。地雷を取り除く、臓器を提供する、ひたすらトランペットを吹くなどして社会の安定を守ることに勤めるのです。敢えて言ってやる。がんばれ。」
とは言いませんでしたが。
まぁ店の印象てのもあるし、清潔さが売りのレンタルビデオ屋であるのならば仕方がないさ。
ヒゲてのは不潔に感じるんだろ?
夜中のコンビニのバイトじゃねぇんだから(ほぼパンク野郎)、革ジャン野郎はお断りなんだろ?
ワンウェイ・システムの骸骨串刺しTシャツが物騒なんだろ?
私の色白な表情、目つきの悪い切れ長の目が危ない感じがすんだろ?
ヒゲ剃って、『オレンジ・レンジ』さんのTシャツでも着て、ポップでキャッチーな顔に整形したらええんか。あ。どうなんや。
俺が煩わしいんか。嘆かわしいんか。
と卑屈気味に面接していた事務所を出て、レンタルビデオ屋の出口に向かう途中、
店員(バイト)に、「おつかれさまで〜す」と挨拶されました。
そいつ(男)、思いっきりヒゲ面。
お〜い。店長。
結局バイトなんてレコード屋と引っ越し屋くらいしか採用してくれず、それらを掛け持ちで勤しんでいた、私の20歳頃の淡い想い出。
しかしながら、他人様がどのように自分の事を見ているかというのは、実に面白いもので、
時に予想とは懸け離れたご意見を頂戴することがありますね。
今ではそうそうないのですが、
19歳〜23歳くらいにかけて、警官に職務質問されるのが日課になっていた頃がありました。
日課と言うほど頻繁に受けていたわけではないのですが、最低、月に1回くらいは必ずと言っていいほど、
「ちょっといいかな。君ここで何してるんかな?」
と言う質問が私の耳に飛び込んでくるのであります。
何してるんかな?とな?
見たら解るやろ?パン食いながらバス待ってんだよ。
これが銀行強盗してるようにでも見えたんか?
そうなのです。
私はバス停でバスを待ちながら昼食をすます、という習性があったため、
毎日のように平日の昼間っから、そこでパンを喰らっていたため、不信だったのでしょう。
その出来事のせいで、私はバイトなどを幾度となく遅刻。
店長からは叱責や罵倒を浴び、それからというものゲシュタポが憎くてしょうがありませんでした。
権力があれば何してもいいのだろうか。
善良な市民を疑う事が商売ならば、私にだってできる。
彼等に必要なスキルは、犯罪者、若しくは犯罪を行わんとしている人間を見極める「目」を持つことであり、
それが出来ないようであれば、警官に何ぞ就職させてはいけない。
紙切れで計れない能力を身につけることができないようであれば、治安は今後二度と守れないでしょう。
「そんなんできりゃあ苦労しねぇよ」と警察諸君は仰るかもしれません。
苦労の一つもしないで、社会の治安を守れると思っておられるのでしょうか?
人間を片っ端から疑い、絨毯爆撃のように国家権力を市民にぶつけ続けるおつもりですか?
疑い続ければ、たまには犯罪者にぶつかることもあるでしょう。
しかしその代償として「私の反感」があなた達国家権力様の背中には重くのしかかってくるはずですよ。
今後をしっかり見ておくのです。
今に嫌でも解るときがくると思いますよ。
そのバス停には浮浪者が住み着いておりました。
その横で私はパンを喰らっておりました。
革ジャン着ておりました。
丸刈りでした。
『DOLL』読んでました。
全て悪条件。
相乗効果。
何故見た目で皆さん人を決めつけるのでしょうか。
やはり全く見知らぬ人間が目の前に現れたときに、最初に脳に飛び込む情報というのは
「目で見たもの」であり、その見たものを過去の自分の中に蓄積された経験や情報と重ね合わせることで
ある程度予測、推測を立てた上でその人に様々なレッテルを貼るのです。
そのレッテルはいい意味であったり、悪い意味であったりもします。
何かしらの準備がないと、人というのは対人できないものなのです。
後ろから「わっ」とか驚かされたときに、ビックリするのと似ているように思います。
「他人を決めつける行為」とは、脳が戦闘態勢に入る感覚なのです。
負けることは本能が許さない。
負けないために、脳は身構える必要があるのです。
よって決めつける。
様々な決めつけ方があるように思います。
上の私のように、見た目で決めつけられることや、
成功者を妬んで、「こいつ絶対悪いことしてるわ」や「俺の友人は似たような奴やったけど、死んだで」と
七つの大罪を絡めた決めつけ。
嫉妬、妬みからくる決めつけや思い込みが、最も醜く汚い。
もしも私が何かで莫大な金銭を得たときに、それを妬み内部告発、風説の流布などの揚げ句、
揚げ足を取られる形で様々な過去が浮き彫りとなり、逮捕。
どこかの『生きた扉』社の社長さんのように。
あるかもしれませんね。
国籍によっても人の偏見というのは違うもので、
私も日本人には上のように散々罵られ、糞味噌に叩きのめされたりしてきたのですが、
アメリカ人やドイツ人のような酒飲みが多い地域に住む方々からは結構ウケがいいもので、
酒を飲んでいて、隣の人間がその国の人達ならば、かなりの高確率で声をかけられたりしたものです。
居酒屋で、突然『腹切りショー』を繰り広げたりもしたものです。
もちろん米軍や店員は爆笑。
しかし、その他の客(ファッキン・ジャップ)は「変なんおるな〜」みたいな白い目で私を眺めておりました。
米はエンターテイメントが何かを解っているね。
この心意気があれば、プロレスも心から楽しめるのにね。
私はイエローモンキー共を一瞥すると、猿共も私を嘲笑の眼差しで一瞥。
挫けず、明日からも一歩踏みだそうと心に誓った一日だったことを今でも憶えております。
今後、私達の生活の中で、様々な出会いがあることでしょう。
しかしながら、その出会い一つ一つに、一つだけ課題を設けてみませんか?
初めて出会うその人を「こいつはいい奴だ」と決め込んでかかるのです。
それは裏切られることもあるかもしれません。
そいつの逆鱗に触れ、逆上されることもあるかもしれません。
しかしながら、あなたの心は必ず浄化されていくことでしょう。
ポジティブに信じたのですから、それは前進です。
ネガティブを信じれば、世界は後ろ向きに進む一方なのです。
世界とは勿論貴方の中の世界を指します。
その世界の集合体が『社会』となるのです。
『裏切られたときの苦しみが大きいから信じない』
なんてのは悪循環を引き起こす引き金にしかならないのです。
人間、常に不安との戦いです。
しかしその不安の打破が、いかに自分の視野を広げ、行動範囲を広げるか、
皆さんも一度考えてみてはいかがでしょう。
如何に難しいかは皆さんが一番承知のところであるとは思います。
難しいからやらない、打破が困難であるから受け入れて生きる、それは逃避です。
柔軟に生きているなんて思いこんでいやしませんか?
闘わねばならない。
闘い続けなければならないのです。
自分自身の感覚と。
1 Comments:
人に対する善し悪し、というか判断。私も音楽をやってた頃はは聞く側の人間に対する価値観すら否定したくなるほどでしたね。
しかし人がずべてロボットのように同じ価値観を持っていないことは明らかなことで、そこを私が否定することはできないということ。
それがその人の揺ぎ無い、思考に基づいた判断なのであれば私はその現実を受け止めるべきなんだろう。
と、最近思えるようになった次第です。
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