憲兵が見てる
人間界にはマナーとかモラルとか言われるものがございまして、
私も気付けば、知らず知らずのうちにマナーをしっかり守っていたり、
又、守れていなかったりすることがあるものです。
私自身は、マナーやモラルと言うことに対してはさほど厳しい人間ではないのですが、
やはり、自分自身が持つ「基準値」を逸脱した人間を目の当たりにすると、
少々苛立ちを感じてしまいます。
自分自身の愚人へと成り下がってしまった頭の中を悲しく思います。
マナーやモラルと言われるものは、社会性、つまるところ社会生活を重視するが故の、
素質や能力のようなものではないか、と私は思うわけです。
それが欠落した人間、それを身につけようとさえしない人間は、
現代の社会に於いて生活するのを困難にしてしまいます。
道徳や倫理などは必要なスキルとなるわけです。
私もどちらかというと欠如側の人間であることは否めない部分ではあるのですが、
欠如していない部分、即ち正道を歩んでいることも少なからずあるわけです。
つまり、多数派の見解を私自身がしていると言うこと。
一概にそれが正しいとは思いませんが、
社会生活を円滑に進めるためには、そういったことを身につけざるを得ないかなぁ…なんて。
頑なにアウトローを気取るより、その方が都合がいいのです。私にとっては。
モラルが無いが為に周りに注意されたり、白い眼で見られたりと言うのが、
正直面倒くさいのであります。
それにいちいち対応していたら、自分の時間がいくらあっても足りねぇよ、てな感じです。
だから私はマナーを守る。
「意志を殺して人間社会に没した愚民」と皆さんは私を卑下することでしょう。
私は待っているのです。
私自身が社会を変えるその日を。
私の本当の姿は勿論マナーなど無視する、モラルの欠片も無い男です。
只、私の求める社会とは、モラルもマナーも、そもそもの概念が無い。
多数決を取れば、必ず100対0の社会。つまり多数決など無い。
人間が自分1人ならいいのに…
そう思うことも屡々あるほどに、意見や思想の相違に敏感になってしまっています。
なので、私が感じる「マナー違反」を目の前で平気な顔してかまされると
愕然としてしまいますし、落胆してしまったりもするわけです。
切符売り場でフォーク並びを推奨し、実践しているところに平気で割り込んできたり、
電車内をひたすら行ったり来たりしたり、
ATMが一台しかないのに、30分くらい振り込み→失敗の繰り返しだったり、
ミーティング中に一人だけ菓子をバリバリ食らっていたり、
まじめな話してるにもかかわらず、しゃくれてたり。
あ!
と思う訳なのです。
しかし私は注意はしません。
何も言うことはありません。
『他人に注意をするときは、それなりの覚悟を以て注意せねばならぬ』
この志の元に私は生活をしているのです。
意味が分からないと思いますので、少々説明させて頂きます。
注意をすると言うことは、自分の意志を相手に伝える手段、
且つ、それを強要する、若しくは促す手段です。
自分の世界だけの見解で物事を判断した、と言うことになるのです。
それは、ひじょうに危険な行為であるように思うのです。
と言うのも、もし注意を促した相手が、それをせざるを得ない立場であったらどうするか。
例えば病気や症候群であったら。
心が疲れきってしまい、常に笑顔になってしまった人間に、
「ヘラヘラすんな」と注意をするということは、その相手のことを何も分かっていないのに
勝手に自分の意志を強要したということになってしまいますね。
風邪をひいてしまい、発熱のためボーッとしている人間に、
「とぼけた顔すんな」と注意をしても同じ事ですね。
相手の立場、状態などはお構いなしで、
自分が気にくわないから注意した。
危険なことです。
その注意の延長上には戦争があります。
私も社会生活に於いて注意を受けることが屡々ありますが、そう言ったときは
「宗教上の理由で、こうせざるを得ません」
と言うようにしています。
相手はそれ以上何も言いません。
「勇み足だよ、よく考えてから発言して」と心で相手に伝えます。私は注意を口に出しません。
イスラム教徒に「好き嫌いするな」と豚肉を食わせますか?
嗚呼、幾多数多の秩序の元に
内的飽和の余りあるものぞ
ノルマンディー上陸作戦に於いて、
ロンメルは上陸地点をノルマンディーと予測していました。
アドルフ・ヒトラーがもしもその意見を聞き入れていれば、歴史は変わっていたのです。
そういうことです。
進化の代償
洗濯機、炊飯器、DVDプレーヤー、MP3プレーヤー、
食器洗浄機、マッサージチェアー、
火薬、羅針盤、印刷機、
パーソナルコンピューター、携帯電話、
TrueFlow、CTP、DDCP、
PDF/X-1a、JDF、
原油、石炭、プルトニウム等々…。
人類の目覚ましい進化に伴い、生活にとって様々便利商品(若しくは技術)と云うものが溢れてきている昨今。
我々の生活スタイルを変えてしまう程のアイテムというのが売り出されていますよね。
昔と今とでは変わっていくものなのだなぁ…なんて。
前はあんなにも苦労して成し遂げた行動がこんなにも容易に出来てしまうものか…と、
便利さ自体は嬉しい事なのですが、其れと共に情緒が薄れた現代に
少々寂しさすらも覚えます。
しかしながら、便利な商品と云うものは、果たして本当に自分たちにとって、
必要としているものかどうか、と言った疑問も少なからず感じる訳なのです。
『便利』と『必要』というのは違うような気がしているのです。
しかしながら、産業革命以降、我々の生活に介入してきた製品達というのは、
私にとってはなくても生きていける商品であることの方が多いように思えるのです。
「事が容易になる」と言うことを提示されてしまうと、楽な方へと流れてしまうと言うのは、
人間の感情として、少なからず誰にでも在ることなのですが、
その事象を初めから「難しいこと」「手間な事」と認識しているかというと、
そうではないように思えるのです。
初めは、「其れが普通なのだ」という認識(考えもしないくらいに無意識)があるので、
嫌とも思わず、こういうもんなんだ、と作業を進めていたことでしょう。
例えば携帯電話。
携帯電話というのは、近年目覚ましい活躍を遂げているツールの一つなのですが、
実際、電話としての機能よりも、メールやWeb機能、ゲームやお財布と言ったような、
付加価値の躍進の方が目につくように思います。
携帯電話の出だしの頃は「通話が出来る」と言うだけの特性しか持たず、
ちょっとしたビジネスマンが其れ(肩掛け式の移動電話)を持つに過ぎなかったのですが、
それは一向に普及せず、勿論高校生が其れを持つなんて考えもしなかったことでしょう。
通話が出来るというのは現代では当たり前であって、最早携帯電話は携帯電話の枠を超えつつあるのです。
様々な便利な機能に、通話機能がくっついているというような、当初の本質の目的とは変わってきているようです。
競争社会の生んだ盲目的な産業の躍進が、本質と付加を逆転させたのです。
「今に携帯電話がフェ○チオしてくれるぜ」と云うようなアメリカンジョークも、
現実味を帯びてきたように思います。
しかしながら、そういった追加機能を充実させることにより、
其れに依存してしまう人間と言うのも発生してくる訳なのです。
最近の巷では、食事中も入浴中も携帯電話を欠かせない人間というのが増えてきていると聞きます。
其れを身につけていないと不安で不安でしょうがない。
携帯電話を無くしただけでパニックに陥り、周囲へ焦りと怒りを放出し、
もう人生終わりだ、最後に両親に親孝行できなかったことだけが後悔として残り、
廃人同然の気の抜けた、乾いた表情で雑踏を彷徨い、
道行く人に肩をぶつけては、
「おい、おっさん。フラフラあるいてんじゃねぇよ。鮪漁船乗せるぞ。」と罵倒され、
それでも携帯電話を無くした悲しみ、絶望からは解放されることもなく、
早いとこ東尋坊から飛び降りて楽になりたいとの思いから、
グランドキャニオンに向かい、飛び降りかけたところでグランドキャニオンの広さに圧巻し、
自分のケツの穴のリトルさ、視野の狭さ、傲慢さに気づき、
「はは、俺ってゴミじゃないか。はは、もうどうでもいいや。」と完全に頭のネジというネジが外れ、
ホワイトハウスに帰り、核のスイッチを押す。
そして世界はハルマゲドンへと突入するのです。
…
『もしもジョージ・ブッシュが携帯電話をなくしたら』
と言うお話でした。
そこで、私は便利さの観点から携帯電話を保持している訳なのですが、
上記のブッシュ大統領のように、『必要としている』と為らないように気を付けているわけです。
携帯電話はあくまで便利なツールの一つに過ぎない、と考えているわけです。
通話が出来て、暇つぶしが出来る、それくらいです。私にとっては。
敢えて、そういった便利グッズを使用せずに生活をしてみたいな〜なんて最近考えるのです。
自炊するにも一苦労、洗濯も一苦労、煙草に火をつけるのにも多大な苦労があることでしょう。
いつかある危機に備えて、己のサバイバル能力を鍛える為に、そういった事をやってみるのも
今後必要となってくることなのではないでしょうか?
石油がなくなったことを考えてみてください。
自動車は勿論、プラスチックやゴム製品、金属製品、化学繊維も生産できなくなるのです。
我々を今現在支えている家電製品の多くが『過去の産物』となるのです。
その時我々は如何にして代用品を生産するかを考えていくでしょう。
一度楽を覚えてしまった人類が、又何も無いスタート地点に立たされたときに、
果たして今までと同じように生きていけるのでしょうか?
私は「不可能である」と公然と判断いたします。
私も含め、皆も又石油無しの生活など考えられないほどに、石油ありきの生活を常識化してしまっているのです。
石油は今の私達には「便利」ではなく「必要」なアイテムになってしまったのです。
しかしながら、世界の原油は残り40年〜50年で底をつきます(様々な説はありますが)。
そのときの世界の資源の略奪に伴う戦争行為を想像すると、
それだけで身の毛も弥立つほどの恐怖を感じます。
その時に人類は人類に恐怖、顫動し、危機に立たされた人間の強欲さ、傍若無人さに
人類の終末を予感し絶望することでしょう。
又、資源の過剰使用を一人一人が後悔することとなるでしょう。
しかしながら、時既に遅し。
原油は無くなります。確実に。
其れに伴って開発が進められているのが「新しい資源」な訳ですが、
私、「新しい資源」や「エネルギー開発」には物凄く期待しております。
他力本願であることは重々承知の上、そういった技術の開発をしている方々に
私や、私の次の世代、そのまた次の世代に資源争奪戦争を起こさせないための技術開発を委ねているのです。
そういった開発が、人類の平和に貢献することであるような気がしているのです。
人間というのは儚きもので、いざ(石油の枯渇など)となったら何でもやらかしてしまうのです。
しかし、与え続ければ少しでも落ち着かせることが出来るわけです。
存在していたものを奪う、存在していたものが無くなると、人類は危険な状態となってしまうのですね。
悲しい話ですが…。
『開発する努力』と言うのも素晴らしく大事なところであるとは思うのですが、
其れと共に『使用しない努力』も勿論大事になってくるのです。
我々消費者は、むやみやたらに提示されたものを消費するのではなく、
其の提示された製品や技術の本質を見極めることが大事になってくるのです。
「便利だから使う」では、将来子供達は必ず戦争や略奪行為を引き起こします。
「必要だから使う」に焦点を絞ると、今使用している製品や技術がどれだけ贅沢な産物であるかが見えてくることでしょう。
『石油は必要ではない。只の便利な産物に過ぎない。』 By Katoh The Sentimental(2006)
何も使うなとは言いません。
しかし、見極めようよ。という事なのです。
『チーム・マイナス6%』と提示されたら、
「ど阿呆!足りんわ!俺は単独チーム・マイナス100%じゃい!」と自害をし、資源の無駄遣いストップに貢献。
『ハイブリッド・シナジー・ドライブ』を提示されたら、
「結局自動車だろが!俺は籠屋を開業するぞ!」と言い、すぐに破産し自害。
『スーパーのレジ袋を使わず、マイバッグを持ちましょう』と提示されたら、
「あー!せっかくスーパー来たのにバッグ忘れちまった!すまぬ!」とその場で割腹し自害する。
と言ったようなことが必要になってくるのです。
そうしろって事ではありませんよ。
そのくらいの意気込みが必要だってことです。
しかしながら、上で挙げたようなことはエコロジーに関することです。
資源開発とは、またちょっと違いますが、全く違うわけではありませんよね。
今後の我々の命題としては、
『省エネは非戦に繋がる』と信じ、生活を改めて見直すことであると思います。
省エネは皆さんから安定した生活を奪うものでは決してありません。
寧ろ其れをやらないことが、今後の私達の生活を脅かすこととなり、
「戦争」というおぞましい破壊の産物を生み出すこととなるのです。
生産で進化する産業は終わったのです。
私は退化するための技術の進化、即ち「逆産業革命」を提案します。
「パーソナルコンピューター」これは便利。
「炊飯器や洗濯機」これも勿論便利。
「iPod等のポータブル音楽プレーヤー」これも便利かな。
「世界の時間が分かる時計」まぁこれも便利っちゃあ便利。
「コタツの上もスッキリ。リモコンを片づけるための入れもん」…便利としておこう。
「高いところも安心。高枝切りばさみ」便利な人には便利。
「驚異の吸引力!ポータブル・ハンディクリーナー」うおー!すげぇ便利!
「炊飯器で肉じゃががつくれるビニールバッグ」いや、便利やけどさぁ…。
「レンジでスパゲッティが作れる」これは便利やね。
「耳かきにライト付いたやつ」これはいらん。
「愛」必要です。
さて夜も更けてまいりました。
携帯電話でも破壊して眠ることとします。
加藤思想
我急ぎ、時に彷徨ひ
祈りも忘れ飛び続け
容姿はまるで揚羽蝶
葦田鶴求め田を耕し
愛宕白山、屈せず尚も
『世界』と云ふもの、此の日本や、亜米利加を表すだけでなくして、
現世、つまるところの此の世を表す言葉としても用いることを忘るる事があってはならない。
私の本日用いる『世界』と云ふ言葉は、此の世の事を指す言葉であり、決して国の事を指す言葉ではない。
其れを弁へ、この書簡(Blog)を読むこと、今日を乗り切る為に肝要な志である。
我を敵とし、悪しき者とし、憎悪の化身としぶつかることを胸に抱き、
又時に、旧友に出会ったときのように愛慕し、喜び、慈悲の化身としてぶつかることも肝要。
つまりは、自己の立場を固定せず、常に流るる水の如くに、
臨機応変に状況の変化に対応することが、この書簡(Blog)を読むのに必要な力量である。
偏った思想と、危険思想とは常に隣人同士にあるものと弁へよ。
又、万人が受け入れてくれる思想にも、常に危険思想と為りうる可能性があると云ふことも弁へよ。
己の理想が皆の理想では無いことを弁へよ。
是即ち思想の分割に伴う『近似値の合計の完全なる一致はあり得ない』と云ふ事也。
思想の分割とは、「人間個人には目的の数だけ思想がある」と云う事であるが、
一つの思想が誰かと同じ志であったとしても、
全ての思想、つまりは広く思想を掘り下げていくと、全てが完全に一致することは皆無に等しい。
どんな人間及び物質にも、個の特性や隔たり、霄壌の差が見えるものであり、
同じ人間何ぞ世界には一人たりとも存在しないのだという根底の観念が肝要也。
攘夷だ開国だと叫ぶ者とて通ずる部位ありて、是を理解し倒幕、明治維新の幕開けと為る。
根底に尊皇攘夷ありて、同じ志の攘夷派に天誅を下すこと始終あり。
後、開国せずして日本の夜明けは無き物との思想普及することとなりて、攘夷論の衰退を見ることと為る。
つまりは天皇が欧米列国の圧力により修好通商条約に勅許を出したことにより「尊王」と「攘夷」は結びつかなく為ったことと連結す。
又、津和野藩の大国隆正らによって、欧米列強の圧力を排するためには一時的に外国と開国してでも国内統一や富国強兵を優先すべきだとする大攘夷論が唱えられた事は、「開国」と「攘夷」という相反する対外思想が「討幕」論という1つの国内思想へと収斂される可能性を生んだのである。
土佐藩の坂本龍馬らの斡旋・仲介・手助けもあって、幕末日本の二大勢力は討幕へと向かっていく事と為る。
是を志の根底に置き、『個は個であり別は別』との観念を持つことと為る。
その思想こそが我が『加藤思想』の観念である。
万物全ての思想の統一の為には、先ず、この思想を皆が理解することが肝要となる。
全く相反する意見で在るにも関わらず、何故に此の思想を最前線に掲げるか。
其れは、何事でも追求するためには反することも理解できていなければ、
其の意見の弾圧は理不尽なものと為ることの現れであることを理解した上である。
「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」の思想の基に完成された思想也。
且つ平行世界の存在も肯定す。
我が世界には生が在り死が在るとの考えは紛れもなく正とし、其れを受け入れる也。
しかしながら、我の思想、輪廻転生は完全なる否定をする也。
其れ即ち、今現在の我々の世界が揺るぎない1つの世界であることと弁へた上である。
世界とは何千何億と数が在るもの也。
我が世界は其の内の一つに過ぎなきものであると共に、その他の世界は全く存在自体を知らぬものである。
人間儚きもの、他の世界を侵害するもの也。
其の破壊的思想が他の世界の存在を見つけることの妨げになっていると言えよう。
動物や虫は他の世界の存在を知りて、我々と共存するもの也。
彼等、其の肉体的存在を持たずして、他の世界への往来が可能な知者也。
他の世界に於いて、肉体は必ずしも必要となるものではなく、寧ろ、肉体と精神が一つの人間に集約されている様こそ、
我々の世界のエゴであり自我であり、己を絶対神としてしまった人間の儚き部分でもある。
魂が三界・六道に生まれ変わり、絶え間なく繰り返されるものであるとするのが輪廻であり、業の思想である。
しかし魂などは彷徨ふものでもなく、生まれ変わるものでもない。
其れを信仰する人間は、思想として信仰しているのである。其れは偏に否定はしない。
寧ろ肯定的な見解を我は持っていることを、ここに宣言す。
魂とは、一人の人間、若しくは動物等生命体を活動させる為の核であり、
其れ以上でもなければ、以下でもない。
魂が宿った者が死すれば、その魂も消えるもの也。
それは精神が引き継がれない事に理由付けられるであろう。
考えや思想は理解の範囲を超越したときに、我が世界では幾つもの思想が畳一上げられる。
解せない事象には手も足も出ない程の『新たなる感性』が生まれるのである。
只、思想は1つの世界の中では記録を以て受け継がれるもの也。
思想こそ輪廻しているのである。
平行世界とは何かを記す。
其の多くの世界は、我々の世界とは完全に別次元であることを根底に置く。
時間軸や縦横奥行きの軸すらも異なる世界である。
時折1つ2つ合致する軸もある世界などが在る。
我々の世界で物理学者や科学者の編み出した法則や原理は、他の世界では通ずる感覚ではないことを弁へること肝要。
私がどれだけ別次元の異次元世界を此処で説いても皆には到底感ずることのない世界である。勿論私にも。
それ程までに我々の感覚では表現し難し世界である。
加藤思想の根底的感覚、此処に記せば、到底書ききれるものではない。
後の新たな機会にて書き記すこととする。
其れは新たなる生命の幕開けと、生命全てへの警告と為ること請け合い。
且つ、後の大阪革命、大東亜人民闘争へと繋がる思想と為るで在ろう。
大東亜人民闘争の思想の草案は後の書簡(Blog)で書き記すこととする。
只、加藤思想の大きな纏まりを記すとするならば、先に記したような思想的な事と共に、
肉体的な自由を確定するものなのである。
『己の肉体の所有権利は己に在る』と云ふリバタリアニズムの思想と若干通ずるものを持つ。
且つ、富の再分配、其れ以上に精神の再分配を行うものとす。
ワシントン・コンセンサスに異を唱え、新自由主義以上の別自由主義を唱えるものとす。
足りないのだ。
自由の感覚が違うのだ。
- 精神的な快楽を得るためには、己と他が別であることを認識した上で、大きな基盤となるプロパガンダを見る。
- 多々在る中での現世であることを弁へ、自己の感覚が何処でも通用するとは思わない。
- 皆が同じ快楽と同じ苦痛を味わえる世界こそが、感覚的理想郷である。
- 経済は一度解散の上で再分配を行う事を根底とし、精神の蓄積も解散の上再分配を行う。
資本主義→社会主義→共産主義→加藤主義の道程を歩むことを目下とす。
社会主義、共産主義は破壊しか産まないとされている昨今ではあるが、
その先の未来を決して満たされていない未来としないために、
我々個々が身構えなくてはいけない時代が到来しているのだ。
個々の気配りが可能でないとされている以上、此の主義は完結されない。
世界の広さを観、今於かれている己を見、その後皆を観るのだ。
自ずと加藤思想の根底が垣間見られる筈である。
新しい人権(名誉権、環境権、プライバシー権等)は考えたくもないではないか。
皆が同じ人間ならば、干渉する必要などないではないか。
別の人間、されど行く行くは同じ人間となるのだ。
もう干渉や執着など必要なくなるのだ。
掌を見よ。
己の手は、己に任されているのだ。
心を見よ。
己の心は、直に己の心ではなくなり、皆の心に為るのだ。
加藤思想の原案を今、暗々裏でまとめております。
後に公開することとなるでしょう。
其れは、私が今後発起するであろう、人民闘争と繋がるものであることとなるでしょう。
今現在生きている、主に日本人の9割は己の事を中流階級だと思い、
階級闘争とは無縁の人間であると思い込み、事勿れ主義者であることを公然と宣言し、
今が最も経済的、精神的に安定した時代であると思っていることでしょう。
しかしながら、其れこそが独り善がりであり、視野が狭いことの表れであるのです。
自分さえよければいいのですか?
世界の難民を放っておいて、自分はハンバーガーや刺身を食いますか?
募金したぐらいで『貢献した』と思っていやしませんか?
私は私の為では無く、世界市民の為に闘います。
私はどうなったっていい。
我々の世界の均衡を保つために、再分配を行わなくてはいけないのです。
叫び声を上げるのは、
涙を流すのは、
苦痛に表情を歪めるのは、
何も見えないのは、
何も聞こえないのは、
何も発することのできないのは、
いつの時代も貧困層なのであります。
「偏見だ」と仰る貴方が居るとするならば、貴方は経済的にそこまで追い込まれていない証拠です。
貴方の知らない国では、此の私の発言に同意をする人間が居るのです。
『否定から入るのではなく、疑問から入れ』 By Katoh The Freedom(2006)
諸君が今現在の朝廷に何の発言権もない(若しくは届かない)のも
全ては貴方が貧困層であることを証明しているのです。
経済的に満たされていないだけが貧困では在りません。
精神的に、立場的に満たされていないのも偏に貧困と言えるのではないでしょうか。
気付かないままでは淘汰されてしまいますよ。
今の現状に危機感を感じてみて下さい。
危ないのですよ。
心からの願いです。
疑問を持ってください。
万物全てに疑いを持って下さい。
取り残される前に。
南柯の夢
万物全ての“もの”や“現象”には、どんなものにも『状態』というものがございます。
生きる、若しくは存在し続ける為に、その様々な状態を転々とし、
今現在の状態と社会の状態の中で感情を構成し、又新たなる状態を得るのであります。
人間で言うなれば、どのような人間であっても必ず『状態』を保有しております。
愉しい『状態』、悲しい『状態』、苦しい『状態』、生きている『状態』、死んでいる『状態』。
様々な状態を、幾つか保有しながら生活をしているのです。
『状態』とは其の人間が持つ、様々な感情が表面に滲み出ることで、
対する相手が何かしらの感情を受け取る、又は移入することにより、
対する相手にも新たな感情を植え付け、その感情から自分以外の人間の姿や内面を
決定づけるものであるように思います。
胃や腸の状態が悪ければ、苦々しい表情を其の人は表面化させることでしょう。
情緒が不安定な状態であれば、鬱屈した苦悶の表情を浮かべることでしょう。
苛立ちが蓄積された状態を保てば、体中に発疹が現れ、その苦しみから解放されることもなく、
ゆくゆくは危篤状態などに陥ってしまうことでしょう。
『状態』とは、精神の奥深いところの見えない部分ですらも、
信号として発信することで、我々に警告を促す役割を担っていたりもします。
人間以外にも勿論あります。
例えば空や大地、行動や発言にも『状態』と云うものはあります。
目に見えて感じる状態と、頭の中や肌で感じる状態があると云うことなのです。
「フランスの若者達が起こした暴動を、どういう状態で起きた暴動だと感じますか?」
の様な事ですね。
このときの『状態』とは、フランスの暴動自体の表現であると共に、
フランス国家の経済状況や制度、警官の在り方、移民問題、情報インフラとなるインターネットや携帯電話の事など、
暴動が発生し、それに係わった全てのものの状態を指しているように思います。
個として確立していないものの状態とは、曖昧であるケースが多いようにも思えます。
「個の絶対、集団の脆弱」と云った感じでしょうか。
個は主観的な状態を持っているので、比較的容易に知りうることが出来るが、
集団の状態は、個の集合体であるが故に、その本質を知るのは難解なのであります。
そして、干渉し合う状態というのは脆く、かつ情報が歪みやすいという点もしっかりと認識しておかなければ、
情報操作によって混乱を招いたり、集団に埋もれてしまったりと、弊害を引き起こす危険性も秘めているのです。
集団の中に貴方がいるのであれば、
「個の集団」になれるように心がけ、決して「集団の中の個」にはならないことです。
貴方のアイデンティティーを以て集団を形成しているならば、
貴方の状態が闇に葬られるようなことは決してありません。
必ず貴方の状態が浮き彫りになる、加えてその他の皆の状態も見ることが出来る。
そして集団であるが故の利点も有意義に使うことが出来るでしょう。
後者であるならば、貴方の状態は何があっても浮き彫りにはなりません。
貴方の状態、其れ即ち集団の状態なのです。
貴方の意志とは裏腹に、集団が一人歩きをしてしまうことでしょう。
貴方の感情をも剥奪し、死んだことすらも解らない。
それが集団。
皆が宮本武蔵の『五輪書』を読み、二天一流、独行道を体得しているのであれば、それでいいのです。
それが如何なる合戦のときも、役に立つ兵法であるのです。
1人対1人であろうが1000人対1000人だろうが、志は個で持ち続けよ、と。
集団の闘いも、結局は個人の闘いなのです。
自分が自分で感情を作りだし、自分が自分の身を守り、自分が誰かを斬るのです。
誰も頼るべからず、神仏すらも頼るべからず、と。
因みに私は体得しておりません。
未だ未だ私の心技体は『伝統剣術』止まり。
つまりは闘うためのものではなく、伝統を継承し続けるが為に習う剣。
とても『兵法』と呼べるような代物ではございません。
それにしても、やはり人間は『状態』を決定づけたがる。
それは何故か。
偏に「安心したいが為に」ではないでしょうか。
どのような状態か解らない人間や現象は、自分に被害が被る可能性を秘めているが故に
おちおち煙草の一服も、油断の一つもできやしない。
状態を知りたいが、解らない。
その解らない成れの果てに「決定づける」と云う行動に打って出るのです。
勿論無意識レベルです。
「安心したいが為」と云うのも深層心理レベルのお話ですよ。しかも空想。
しかしながら『状態』と云うものにも幾つかありますね。
主観的な状態と客観的な状態の2種です。
それらは同じ人間を指す時に於いて、必ずしも同じ見解であるかというとそうではありません。
暗澹とした表情の自殺志願者に「ヘラヘラするな!」と怒号を浴びせる熱血漢、といったような感じです。
私は、たまにですが1000万パワーに達することがあります。
体中の至る所から気迫とエナジーが満ちあふれ、突然笑い出したくなってしまうのです。
しかしながら、そういうときには決まって公衆の面前であったり、会議中であったりと、
堪え忍ぶことを余儀なくされているのであります。
そして耐えている私は、耐え難いほどのエナジーを気合いで抑え、表情を歪め、
太股にシャープペンシル、場所によってはアイスピックやメスなどを幾度も刺す愚行に及び、
ついには周りから偏屈扱いをされてしまうのです。
其の状態認識の相違が、人を傷つけてしまったり孤立化させてしまったり、
揚げ句に殺めてしまったり。
適切な『状態』を把握することも肝要な能力なのではないでしょうか?
その為に朝鍛夕練して足掻いては藻掻き、叫んでは泣きを繰り返しては、
誰の状態も知り得ない、即ち決定づけをしない事を心がけてはいたのですが、
そんなことをしていたら、気になりすぎて誰とも会話すらもできなくなり、
家で一人悶々と酒を煽りながら化石発掘セットを掘る生活。
あ、今回は牙の立派なナウマン象だね…とかブツブツ言い出す始末。
嗚呼、益々手に負えない奴になっていくようです。
常人恐るるに足らず。
されど私が今最も恐れていることは、人間と会話をすることであり、
自然などを見ることであり、ニュースや新聞などを読むことなのであります。
「うぉー!俺にあんまし情報を与えんとってくれやー!」
と、悶絶するのが日課です。
絵に描いたような阿呆の状態であります。
今これを読み、小生のことを
「この愚鈍者が。早く死んで呉れればいいものを。25年も長生きしさらして。」
とお思いの貴方。
貴方も今、私の状態を決定づけてしまう一歩手前ですよ。
そこで思いとどまるのです。
己の安堵の為に、視野を狭めるのはおよしよ。
確かに小生は貴方を殺さないとは言えない。
只、皆常に闘いの中に身を投じて生きているのです。
貴方も拳を振り上げなさい。
そして、心をも光に振りかざすのです。
万物全ての心が光に照らされるとき、私の役割は終わるでしょう。
拘りは捨てよ。信念を持つのだ。
狭い道ばかり行くタクシーの運転手じゃないのですから。
50年後が見えますか?
皆が統一人民解放記念広場に向かって走っていく姿が見えますか?
皆が世界の統一国旗を掲揚する姿が見えますか?
プライドはいらないのです。ポリシーを持つのです。それだけ。
只、私は整然と公言いたします。
「今の私の状態は最低だ」
最後に一句詠ませて頂きます
夢々投じ忌諱され候
幻以て瓦解に及べば
廃忘怪顛の我が状態
陣を張りては牢となり
木霊の轟き儚きかな
ⓒK.Katoh(2006)
示現
岡田真澄のそっくりさんとして有名な、紅いツァーリことヨシフ・スターリン。
20世紀が生んだ、鋼鉄の男。
ナチス・ドイツから国家を守った、その英雄は、
数々の粛清と虐殺の首謀者であると共に、
悲しき背中を持つ人物でもありました。
彼のお茶目な部分が垣間見られる逸話として、
次のようなお話があります。
彼の仕事場には、彼と彼の親密なごく一部の側近しか知らない秘密の電話機がありました。
その電話機は、職場中のありとあらゆる電話を盗聴、傍受するためのものでした。
自分にありとあらゆる権力を集中させるためには、
側近のプライベートをもコントロールする必要があったのです。
そして、自分にとって都合の悪い発言、若しくは裏切り行為が電話で話されようものなら、
即刻、粛清の業火を降り注ぐ。
そのようなおぞましい電話機が彼の部屋にはあったのです。
勿論、何も知らずにその盗聴の為の電話機を設置にきた通信会社の工事員は、
工事の終了後、冤罪を着せられ銃殺刑に処されております。
しかしある時、事件は起こったのです。
「ない!ないぞ!私の電話の受話器がない!」
スターリンは側近に、慌てふためいた様子で自分の部屋の電話機の受話器が無くなっていることを伝えます。
しかも、只無くなったのではなく盗まれたのだ、と。
側近も慌て震えました。
このような怒り狂っているときのスターリンは、誰にも止められ無いことを知っていたからです。
そして何よりも、自分にも命の危険があることを知っていたからです。
「スターリン同志!我々は全力を以て、受話器を窃盗した犯人を捕まえて見せます!」
そしてそこから側近達による犯人捕獲作戦が実行されるのです。
1週間もしたある日のこと、側近は急いだ様子でスターリンの元へと駆けつけていきました。
犯人を捕まえたのです。
「スターリン同志!犯人を捕らえました!受話器窃盗の容疑で400人の容疑者を捕らえ、
その内396人は犯行を自白したため、即刻銃殺刑に処しました!」
何と言うことでしょう。
犯人が400人もいるとの報告なのでした。
側近も血迷ったものです。
しかしスターリンは動揺一つ見せず、寧ろ落ち着き、口元に笑みを浮かべながら、
「何を言っておるのだ。受話器はとうに見つかっておるぞ。」
受話器は盗難などされていなかったのです。
スターリンは受話器盗難を叫んだ一刻後に、部屋の中で受話器が転がっているのを見つけていたのでした。
それで安心した彼は、側近に言ったことなどすっかり忘れ、
また、連日の盗聴に明け暮れていたのでした。
野暮な男だこと。
どうです?お茶目でしょう?
否、笑えんよ。
さて、前置きはこのくらいにいたしまして、
先日のある出来事のこと。
先日、私がいつものように戦車で街を走行していたところ、
外国人内野手が私に向かっておかしな事を言うのです。
「オマエ、後ロノ体ガ、半分ナクナッテルヨ」
何てつまらないアメリカンジョークなんだ。
2秒経っても5秒経っても、その真意が理解の範囲を超越するアメリカンジョークなんて
最早、アメリカンジョークではありません。
私のモットーとするアメリカンジョークは2秒後に爆笑なのです。
何て無礼な奴だ。しかも初対面で。
しかしながら、私は常日頃から、風を体で感じていたい症候群なので、
戦車の操縦は助手の田中角栄君に任せて、
私は操縦席の上の入口より、上半身を出し、風に目を細めながら、
颯爽と走行するようにしているのです。
誰や!おまえ普段から目が細いだろとか言う奴!
貴様らにモンゴル系日本人の気持ち何ぞ解ってたまるか!売国奴めが!
と言いながらも周囲の目が気になります。
その目は私の背中に向けられているようです。
何をまじまじと見ることがあろう。
私は自分の背中に目をやりました。
何と言うことでしょう。
私の背中が無くなっているではありませんか。
何故。何故なんだろう。
私は怖くなり、操縦席に身を引っ込め、只々震えていました。
何故震える?何も怖がる必要なんて無いではないか。
背中がないのよ。それだけよ。
必要ないではないか、背中なんて。
前だけ向いて前進していれば、背中なんて背負っていなくても、
一生気付きもしないさ。
高々背中だ。お腹じゃない。
そして気付けば私は、ペンタゴンの前の路上パーキングで戦車を停め、
私は拡声器片手に外へ飛び出し、
『星条旗よ永眠なれ』と声高らかに歌い上げておりました。
特別反米感情は無いのですが。仕事なのです。
歌手ですから。
と、直ぐに警備員が駆けつけ私を取り押さえようとするのですが、
私はそう易々とは捕まりませんよ。
私は無であり、空であります。
虚空を漂う、実態のない儚き幻でありますから。
『見』で見ようとするならば、私の姿形は雲の切れ目ほども見えぬ事でしょう。
『観』で観ようとするのであれば、私はあなた方の前に現れ、
いとも容易く捕獲に成功するでしょう。
臍下丹田に力を入れ、さあ、私をご覧なさい。
警備員に背中を向け走りだすと、警備員は早速私を見失い戦意を喪失したようです。
何せ、私には背中が無いのですから。
背面を向ければ私は透明となるのです。
嗚呼、背中が無いことを受け入れてしまった。
気付けば私は大日本帝国にまで逃げてきていました。
アラスカ→ソビエト連邦経由で走ると少々くたびれますね。
樺太はいい街でした。
酒も無料で振る舞ってくれました。
私の体に異常が見られるのも、見て見ぬふりをしてくれたのです。
樺太の事は一生忘れることはないでしょう。
食堂の流しで手を洗いながら泣いていると、
流しの下に15年前の自分がいることに気が付きました。
こんなところで、昔の自分に出会うなんて。
しかし、何の感動もない。
寧ろ、うざい。
聞きたいことは多々あるのですが、
私自身への『甘さ』を見せないためにも、
この自分を殺さなくてはいけない、そう一瞬のうちに悟ったのであります。
最期だ。私は15年前の自分に呟き、刀を抜きました。
彼もまた泣き、只打ち拉がれている様子。
「どうした?貴様。項垂れているだけでは何も解らんぞ。」
私は自分に問いました。
「おい童!武士ならば、面を上げて名を名乗れ!意気地無しめが!」
私が刀を振り上げると、目の前の昔の自分は私に向かい顔を高速でこちらに近づけてきたのです。
彼の顔には眼がありませんでした。
振りかぶった刀は振り下ろすことが出来ず、私はその場に膝をつきました。
眼がない。この15年前の自分には眼がついていない。
私は解ったのです。
15年前、確かに私には眼が無かった。
そう、私は誰かの言いなりになっていたんだ。
親であり、先生であり、テレヴィジョンであり、情報であり…。
私はそれらの言いなりにしか過ぎませんでした。
自分自身で何かを感じ、それを表現することを放棄していたのです。
疎外されることが怖かったから。
自分自身が他人とすれ違った感情を持っていることを、当時の私は知っていました。
「皆、何故そうなんだ」と不思議に感じていたあの頃。
それと同時に、「私」を表現すれば、社会の関係基盤の上から剥離してしまうことも
子供ながらに解っていたのです。
勿論それは感覚として。
そして今の自分には背中がない。
「子供は親の背中を見て育つ」
と言う言葉がありますが、今の私にはその背中が無いのです。
民衆の先導者にならなくてはいけない私に背中が無いのです。
皆、私の背中を見ますが、私には無言で民に何かを与えることができない。
民は、私自身に『お手本』を見いだせずにいるのです。
あれから15年が経ち、私は眼を見開く事ができています。
様々な感情を外へと発信、又は表現することができております。
しかしながら、それは只の戯言でしかなかったのです。
理想は告げるが、それが皆の理想であるとは限りません。
只の独り善がり。
前を見て、時には後ろにいる民衆のことも目配せ出来なければ、
到底、己の理想など達観できる筈も無し。
金谷に花を詠じ
栄花は先って無常の風に誘はる
南楼の月を弄ぶ輩も
月に先って有為の雲にかくれり
人間五十年
下天の内を比ぶれば
夢幻の如くなり
一度生を享け
滅せぬもののあるべきか
信長公よ。
私は、この千鳥足の儘、
一体何処へと向かっているのですか。
御仏頼らずとも、菩前での私は只の赤子同然。
未だ生まれてすらもない灰の様。
この様を、また15年後の自分はどう感ずるのか。
破壊に身を投じるか、生産に命を捧ぐか。
私は、360度の視点を持ち、且つ60億の人の声に
耳を傾けていかなければならないのです。
理想はもうたくさんだ。
プロセスが大事なのだ。
戦車は乗り捨て、ほうきで道のゴミでも掃こう。
そうだよ。それが最初なのかもしれないよ。
誰か私の背中を見つけたら、私にそっと教えてください。
貴方のその行為が「あなたの背中」なのですよ。
ワンウェイ・ジェネレーション
昨日3月8日は、私の生誕25周年でした。
思えば25年も生きてしまったのだなぁ…なんて、少々考えることが多い1日でした。
この四半世紀、私が刻んできた過ちや罪は、
今も未だ背中に十字架として、私を立たせ、歩かせています。
誕生日というものがくる度に、私の胸の中の細瑾の積み重ねが暴発しそうになります。
「君はまた1年間を棒に振ったよ」
「また生きてしまったね」
「この1年間で何ができたんだい?」
そう私に訴えかけるのです。
日々私を追い詰め、敵意の発言を捲し立てる私の中の細瑾。
戒懼の意志はまたも打ちのめされそうになるのです。
毎日不安なのです。
『やり遂げなくてはならない』という意志ばかりが先行してしまい、
実力や実績が見え辛くなる傾向があるように思います。
結局出来上がったのは、為す術がなくなった只の木偶。
25年間、溜まりに溜まった人の垢の結晶。
償うことすら許されざる、罪と罰の結晶。
一罰百戒とされるならば本望。
只、私にはそれすらも許されていないのです。
そこで一句。
人を絶ち
人と生まれしこの体
夢見心地と
罪の頂
K.Katoh
誕生日のくる度に、自分の中の枉意と戦わねばならないのを
少しく悲しきことと感じます。
意志が弱い現れ。
何が悲しくて、私はこの辛く世知辛い世の中で生き延びているのでしょうか。
鋼の意志は、軟弱な基盤の上では何の意味もなさないのです。
今の私が正にそれでありましょう。
只々沈むのみ。
話は少々逸れますが、世間一般では誕生日というものが『嬉しい日』であるという認識が強いですね。
やはり、親からこの世に生を受け、一番初めに胸に刻み込まれるIDというのを、
皆さんは大事にしていることと存じます。
かく言う私も誕生日がくると、親に感謝し太陽に感謝し、様々なものに感謝をします。
感謝の日と言っても過言ではありません。
自分が触れあう万物全てのものに感謝しています。
今の私が在るのはそれらのおかげだよ、と。
今の私の感情があるのは、君の憎たらしい言動のおかげだよ、と。
皮肉も交えながらの感謝祭。アリラン祭。
しかしながら、祝ってもらいたい等ということが全くと言っていいほどありません。
どちらかというと、「おめでとー」とか言われることに、いちいち反応しなくてはいけないことが、
面倒くさくなってしまい、揚げ句「俺、実は今日、誕生日ちゃうねん」とか言ってしまいます。
私には解るのです。
「おめでとー」と軽い乾いた口を叩く人間は、
本気で「おめでたい」とは思っていないのです。
本気でおめでたいと思っているならば、マスゲームを踊りますよね。
1人だろうが、1000人だろうが、おめでたい日はマスゲームと相場が決まっているのです。
過去に私は、皇太子様がご結婚された日や、友人の結婚式などのおめでたい儀式の日には、
誰の目にも触れることなく、自宅で一人マスゲームで踊り狂っておりました。
シャン(お)、シャン(め)、シャン(で)シャン(と)シャン(う)。
と、プラカードを次々めくり、地上絵の一部を演じておりました。
観客席からは感動のあまり、悲鳴と嗚咽がもれ、
将軍様は展望席から拍手喝采。
と言うことで、祝って貰うのが苦手、というお話なのですが、
私、祝う側であることは凄く気持ちいいことと認定しています。
人が喜んでいる顔を見るのが、すごく心地がいいのです。
自己のオルガスムスを得る為の、押しつけがましい行動であるかもしれませんが、
私は「おめでとう」という発言を、心を込めて言いたいのです。
心を込めるというか、本気で本腰入れて言いたい。
ヘビー級の重たい「おめでとう」を投げかけたいのです。
「おめでとう」や「ありがとう」に代表するような、
投げかける言葉の類は、軽い気持ちではなく本気のスタンスで言うのを、
私は常日頃から心がけています。
つまりは、本気で思っていなかったら言わない、と言うことなのです。
オリンピック見ても「がんばれ!」と言わない。
なぜなら、あまり興味がないから。
どちらかと言うと「早く終わんねぇかな、オリンピック」と思っているのです。
新聞やテレヴィジョン、雑誌の類がオリンピックに占拠されてしまい、
本当に知りたいことが省略されると言うことが屡々あるからです。
メダル取っても新聞は一面。取らなくても一面。
ニュースはトップニュース。
「時間無いんやから、先にイスラエルのニュースやれや!」と
毎朝、フ○テレビ系列の『と○ダネ』を見ながら文句を垂れていました。
そんなこんなの誕生日でした。
過ちては改むるに憚ること勿れ。
松坂大輔投手も同じ年齢ですが、
私が松坂世代やないのです。
松坂選手が加藤世代なのですよ。
ロシナンテの肋
『いつの時代も、革命家の最期というのには挫折と屈辱がつきまとうものだ』
加藤という日本人青年が先日、酒をやりながら漏らした言葉です。
私の知る限りの革命家と言われる者達は、何かを成し遂げることはあっても、
それが人生の最終ではなく、向上心と探求心、そして好奇心から生まれる新しい革命に身を捧げ続け、
その闘いの中で挫折と屈辱にまみれながら死んでいくような気がしております。
足ることを知らず、只ひたすらに己の理想と目の前にある現実を照らし合わせ、
理想を追い求めるが故に疎外され、迫害され、
常に己の命が危険に曝される日常に身を捧げ続けているのです。
やらねばならない、やれるのではないか、もし何も出来なければ…。
様々な感覚が錯綜していたことでしょう。
己の社会的立場や、存在価値に脅かされる自分自身との格闘。
常に自問自答の日々、葛藤。
かの有名なチェ・ゲバラ(エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)の最期も、悲しく悲惨なものでした。
「チェ」というのはアルゼンチンで呼びかけに使う愛称です。
「おい!」とか「やあ」とかいった感じらしいです。
「おい!ゲバラ!」ということになりますね。
私が「チェ・カトウ」と名乗っても不思議ではないわけです。
あまりチェのことをご存じでない方達の為に軽く説明させて頂きます。
チェは1928年、アルゼンチン、ロサリオという都市で生まれます。
私も初めは「あれ?キューバ人じゃないんや?」という驚きと共に不思議な感覚に陥りました。
何でアルゼンチン人の彼がキューバ革命に参加しているのだろう、と。
それは様々なチェについての文献を読み漁るうちに明らかになってきました。
その話は後ほど。
彼は幼少期から重度の喘息を患っていました。
彼の人生は革命と喘息の人生であったといっても過言では無いほど、
最後の最後まで喘息が付きまとっていたようです。
にもかかわらず、高校時代にはサッカーやラグビー等を好んで行い、
両親や周りの者達をハラハラさせていたようですね。
いるいる、そういう人間。
そして大学に進学し医学を学び、
在学中にオートバイで南アメリカを放浪し、ハンセン病の治療に己の使命を見いだします。
南米の貧困とインディオの悲惨な生活を目の当たりにし、
自分の医術を貧しい人々や、虐げられたインディオのために活かしたいと思うようになっていったのです。
しかし、もう一つ。その放浪旅行の中で南米各地の政治経済状況と
触れあっていく中で、マルクス主義革命を志すようになっていくのです。
彼は大学の卒業後、アルゼンチンから亡命します。
当時アルゼンチンでは軍医制をとっていたためです。
彼は軍隊ではなく、貧困層の民の為に医力を使いたかったのです。
しかし、病に喘ぐ人々を救えても、その背後に広がる貧困や差別が、その病の元凶となっている。
もっと人々を救いたい、差別や貧困と闘わなくてはならない。
そうしてグアテマラで出会ったペルー人社会主義者イルダ・ガデア(後のチェの最初の奥さん)の紹介で、
亡命キューバ人と知り合うのです。
その亡命キューバ人というのがフィデル・カストロです。
チェとフィデルは一瞬のうちに意気投合してしまいます。
そして、キューバの独裁、圧政、バチスタ政権を打倒するために
共に立ち上がることを決意するのです。
キューバの貧困層を救うのだ、と。
解放するのだ、と。
そしてキューバ革命は始まります。
キューバ革命のお話を書き出したらキリがないので、今日はチェがどういった人間なのかに
話を絞りたいと思います。
知りたい方は、文献などを読んでみてください。
その文献たちは、あなたの心をきっと擽ってくれることでしょう。
キューバ革命の最中、シエラ・マエストロの山中でのお話。
チェ達は食糧難に喘ぎ苦戦を強いられていました。
そんな時、突然、草むらから物音が聞こえました。
チェは咄嗟に腰の拳銃を構えるのですが、拳銃の弾などもう入っていません。
ゲバラが誰かと聞くとどうやら麓の村の住人らしいのです。
日に焼けた真っ黒な肌、そして、屈託のない笑顔が二つ。
どうやら、農園の労働者のようです。
「俺たちは危険を冒してここに来ました」チェは二人にそれは何故かと問います。
「これを…」農夫が差し出した大きな籠には、たくさんの食料や果物がありました。
更にゲバラは農夫に尋ねるのです。
「何故私達にここまでしてくれる?」
農夫は月の光に白い歯を見せながら、
「あなた達はあの憎たらしいバチスタの野郎と戦っています。
しかし、私たちにはそんな度胸はないのです。
だから、私たちはあなた達が好きです。
でも、私たちは卑怯者。どうしても力の強いものには逆らえないのです…。
でも、あなた達が本気で闘っている姿を見て感動したのです。
あなた達は最後の一人になっても戦うつもりなのでしょう?」
さっきまでの疑問が吹き飛んで、チェの胸に熱いものが込み上げてきます。
チェは目いっぱい無理をして
「ああ、俺たちは最後の最後まで戦い続ける。
そう、このシエラ・マエストロの大要塞を根拠地にしてな」
農夫は笑顔で
「北の村と南の村は押さえてあります。
でも、その他の村はまだなのです。
…私たちは卑怯者だから、皆と一緒でないと立ち上がれないのです…。
だから、あなたに頼みたいのです。
村々をまわってもっと説得して欲しい。
あなたの不屈の闘志をもっともっと伝えて欲しいのです」
そして、農夫は去っていきました。
帰り際にチェは農夫にこう言います。
「あんた達は卑怯者じゃない…もう、立派な戦士だ」
私、この話を聞いたとき、泣いちゃいました。
チェが革命カリスマと言われる部分が垣間見られたように思います。
民に愛された所以がここにあるのではないかな、と。
そうしてキューバ革命も終わり解放されたキューバでチェは大臣として政治に従事するのですが、
それでも軍服に無精なヒゲ面。どこでも葉巻を燻らす。
まさにミスターやりたい放題。
しかし、チェの革命の魂は未だ消えてはいませんでした。
彼は革命闘争を求めて、アフリカ、南米を転戦するのです。
そして遂に、ボリビアの山中のゲリラ戦において政府軍に逮捕されます。
1967年のことです。
逮捕から2日後、チェは裁判にすらかけられることなく、
バリエントス大統領の命令によって銃殺されます。
チェ・ゲバラという紛れもない英雄を撃つ羽目になった兵士は、
ゲバラを射殺することを躊躇ったと聞きます。
チェは兵士に向かいこう言いました。
「ここにいるのは英雄でも何でもない、只の一人の男だ。撃て!臆病者め!」
そして彼は39年という短い人生に幕を閉じたのです。
かなり駆け足でチェ・ゲバラという一人の男の人生を紹介してみました。
彼のやろうとしていたこと、やり遂げたこととは結局のところ何だったのでしょうか?
帝国主義打倒と、共産主義への夢。
フィデロ・カストロが彼を賞賛したことが今になって理解できます。
チェは革命的禁欲主義、革命的犠牲の精神、革命的闘争心、革命家としての労働精神を最高度に発揮しました。
そして、彼のようにプロレタリア国際主義の精神を高い段階に押し上げた人物は現代、他には見当たりません。
たくさんの文献を読み漁りましたが、読めば読むほど奥深く、
彼をそこまでかき立てたものとは、いったい何だったのだろうか、と
チェの探求心に、私の探求心がかき立てられていきました。
革命家の最期とは、悲しきもの。
志半ばにして断念させられるか、皆に忘れ去られるか。
満たされることなど、望んでもいない。
誇り高き意志と、屈することのない決意が、只形になって溢れてくるばかり。
私はチェ・ゲバラという革命家を、尊敬するわけでもなければ崇拝しているわけでもありません。
しかしながら、彼の成し遂げた事実に、私も支えられていることは確かです。
彼は自分で言っていました。
「自分は只一人の男だ」と。
私も、どうってことない只一人の男に過ぎませんが、
そんな男にも何か成し遂げることができるんだ、と。
私の構想する大阪革命と日本大革命、大東亜人民闘争、国際市民革命が成し遂げられると信じるのも、
こんなチェ・ゲバラという「一人の男」が歴史の中で、革命の基盤作りをしてくれたからなのかもしれません。
私は立ち上がらなくてはいけないのです。
たとえ一人であったとしても。
「貧困層を前に人はどう行動するか」
今、世界中で巻き起こっている問題・紛争の多くは根源に「貧富」の闘争としての一面を必ず抱えています。
私たちがチェから問いかけられている問題は、単純であるが故に深い。
決して理想を曲げようとせず、努力を惜しまなかったチェ・ゲバラ。
彼の生き方そのものが世界中の人から注目を浴び、
今でも多くの人間から愛される理由こそ『徹底した平等意識』、
そして他人の為ということが自分の為に繋がるということの精神の発揮であるように思います。
私達ももう一度考えていかなくてはいけないのではないでしょうか?
自分の生活を、只々惰性で生きてしまうのではなく、
自分の理想とは一体何か、そしてその理想を達成するには、
今、何をしなくてはならないか。
そう、自分に対する問いかけも、絶やしてはなりません。
常に問い続けるのです。
私は、やらねばならない。
皆さんも一緒にいかが?
赤と黒
私、常日頃からシンボルカラーと言うものを持ち合わせておりまして、
そのカラーが赤と黒であることを、ここに宣言させて頂きます。
単純に言うところの「その色が好き」と言うわけではなく、
心を擽る色とでも言いましょうか、
何故だかその色を見るたびに、心がざわめくのです。
痒くなる。血湧き肉躍る。
赤は赤でも、血液の色とでも言いましょうか。
深紅にやや黄みがかった赤。
私達日本人、否、煩悩をもった人間全般は、これまでにたくさんの血を見てきたことと思います。
私達の歴史は血塗られた歴史と言っても過言ではありません。
大量の血液のもとに、私達の平和があり、
大勢の犠牲のもとに、私達の平穏無事な生活があるのです。
皆さんは自覚していますか?
しかし、平穏無事な生活をしているのは、これを読んでいるあなただけですよ。
世界では飢餓に喘いでいる幼子や、戦渦の最前線で銃弾をかいくぐる人々が、
今もなお、平和とは到底言うことが出来ぬような激動の空間に居合わせているのです。
私は「自覚せず生きる」と言うことを非常に嫌いながら生きてきました。
己のやっていることや、考えていること、世界の情勢からの己への影響など、
私はいったいどのような感情を受け生きているのか。
常に自覚して生活をしていました。
己のやっていることが、周りにどのように影響するか。
私は周りの皆の目には、どのように映っているのか。
ときにそれは、己の感情とは裏腹に、見たくもない、できれば考えたくもない現象のときもあるでしょう。
しかしながら嫌なことに目を伏せるのではなくして、敢えて目を見開く。
自覚のないことが、社会悪であり、自惚れであると。
社会はそう、私に教えてくれました。
只、これには相反する意見もあります。
「自覚することこそが、真の自惚れである」
ということです。
この場合、自覚というよりも自意識と言った方が近いのかもしれませんね。
勿論自意識過剰、且つその過剰ぶりを周囲へ放出する人間ほど、
周りの人間は煩わしく思ってしまったりするものです。
しかしながら、放出することをやめ、己の中に自意識を止めておくと、
それは一瞬にして「自覚」へと変貌するのです。
不可思議な現象ですね。
自覚したい、自覚しなければ。
焦りがあります。
そうして焦れば焦るほど、勘違いが生まれます。
何かの出来事に対して自覚した気になる勘違いをしたとします。
勿論自分では勘違いなどとは微塵も感じていません。
さて、これは自覚でしょうか?
私はこれでも良しとしています。
実のところ「自覚」することとは「勘違い」することなのです。
皆、思いこみの元に生活し、常に隣には勘違いが存在しているのです。
それを100%であると強く思いこんだ成れの果てが「自覚」、即ち「勘違い」。
間違いではないのです。勘違いなのです。
それは悪ではありません。
善も悪も無いのです。全ては勘違いなのですから。
皆さんも自覚が生まれたら、その自覚をもう一度具体的に解析してみては如何ですか?
思わぬところで大どんでん返しがあるような、衝撃的な新しい自覚が生まれると思いますよ。
と書いている私もそう「思いこんでいるだけ」なのかもしれませんね。
そして黒。
黒は黒でも暗黒。レジストレーション、リッチブラック。
それは他のどんな色彩の影響も受けることのない深黒。
海底の、静寂と盲目的な刺々しさ。
遙か宇宙の地球人の侵略を受け付けることのない瑞々しさ。
深く暗いが、また潔白であったりもします。
黒こそが塗り替えることの出来ない「自由」ではないでしょうか?
永遠に侵害されることのない自由。
白が各々で絢爛な極彩色を塗り手繰ることのできる自由であるとするならば、
黒はその最後。
白いキャンバスに様々な「自由」を塗り、全ての色がそのキャンバスに塗られたとき、
そこはもう黒塗りなのです。
様々な色が幾重にも重なり、もう最初が何色かなんて解りません。
皆は各々の自由を完結するに至るのです。
黒こそがフリーダムのカラーではないでしょうか。
とは言うものの私はリバタリアンではないのですがね。
リバタリアニズムは個人の自由の尊重と同時に、絶対的自由を剥奪する国家の廃止。
若しくはその国家の機能を最小限化しようとする思想です。
私は、資本維持や財産権の観点から、リバタリアニズムとは少々外れている思想を持っています。
もっと根本的な、精神の自然史を追求しつつ、
国家、経済、人種、全てにおいての垣根を打破。
経済面に過剰に執着するリバタリアニズムとは少々違いますね。
私は自己の肉体に対する所有権、つまりは人身所有権に重きを置いています。
そして思想はある一つの思想の基に全ての人間が横並び。
これを話し出すと「話が長いよ。ど阿呆。殺すぞ。」と
お叱りの言葉を頂いてしまいそうなので、自主規制。
すいませんでした。
しかし悪いとは思っていない。
シンボルカラーが赤だからと言って、社会主義者な訳ではありませんよ。
シンボルカラーが黒だからと言って、アナーキストな訳でもありませんよ。
私は常にニュートラルな立場でございます。
深紅の血が流れる、漆黒の命。
精神の自由とは程遠い、この現状の大地に、
真の自由と解放を。
腐葉土は常に皆の足下にあるのです。
後は皆の波長を合わすだけなのです。
私はその指揮者となります。
必ずや皆を解放して見せます。
必ずや。
と言うのも勘違いだったりします。
うぐぐ。